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2015年5月24日 (日)

現代美術ギャラリスト・小山登美夫と鈴木京香の対談を、森山未來・イスラエル・ドキュメンタリーを見ながら反芻した。15年5月23日

昨夜は遅くまで絵を描いていた。
傍のEテレでは、イスラエルで俳優・森山未來がダンスをしたり、気ままに海辺でビールを飲んだりしていた。素人っぽい画面からは中東の眩しい空気がリアルに伝わって来た。

彼は元々ダンサーで、文化庁から1年間、イスラエルのダンスカンパニーへ派遣された。番組は、それにNHKが便乗して自撮りを頼んだものだ。

彼が借りている住まいは小さな広場に面していた。窓辺からは枯れかけた木が見えた。そこは常に戦争状態の国で、ガザ地区への空爆が始まると、少し不安げな彼の顔の向こうから、サイレンや爆撃の音が遠く聞こえた。それでもイスラエルの光は眩しく、戦争慣れした国民は何事もないように街を散策していた。ただ、戦闘中はミサイルの破片が舞い落ちるので気をつけていると彼は話していたことに、戦争の緊迫感を感じた。

画面は中東の裏町に散乱するゴミや雑踏の匂いが伝わって来るような、不思議なリアル感があった。彼の旅先のベルギーやスウェーデンの肌寒いが平和な風景が挿入されると、画面から生命感が失せた。そして「イスラエルから帰りたくない」と、つぶやいた森山未來の言葉とともに番組は終わった。


その前の番組では、フランス・ブルゴーニュ地方の名門ワイナリーに日本から嫁いだビーズ・千砂(ちさ)氏が独白し続けていた。

彼女の夫は急死して、ワイナリーは存亡の危機に陥った。雹に痛めつけられたブドウ畑とブルゴーニュ地方の暗鬱な画面で、彼女は切々と何かを訴えていた。


さらにその前のEテレ番組は、SWITCHインタビュー・達人達は「鈴木京香×小山登美」の対談だった。
初めて聞く名の小山登美夫氏はギャラリストだ。私は絵描きにもかかわらず「ギャラリスト」については何も知らなかった。ギャラリストとは画商みたいなものだが、番組での印象はかなり違っていた。主として現代アートの作家を発掘し、世に売り出す仕掛け人たちのことを言うようだ。

鈴木京香はオークションに熱心に参加するアートコレクターだった。
「どんなに優れた作家でも、昔の成功体験を引きずって、作風を変えない作家は好きではない」
彼女は語っていた。
私も同意見で、彼女が更に魅力的に見えた。


ギャラリスト小山登美夫氏は芸術畑の人らしくは見えない。
小太りで丸顔で、平凡なセールマン風に見えた。しかし彼は、世界的現代アーティストの村上隆や奈良美智らを発掘し、美術界で注目されている一人だ。

小山登美夫氏が売り込みに成功したのは、思い込みの強さと行動力にあった。芸術を仕事にする以上、審美眼はあって当然だが、ギャラリストとして成功するには、それ以上に資金力や運の強さが必要なようだ。

アートの世界は、小山登美夫氏のような押しの強いギャラリストが、切れ味と生きの良い新人作家1000人を集めて石を投げ入れ、当たった者をプロデュースすれば成功するような世界だ。新人作家には複雑な理論武装は不要だ。村上隆や奈良美智はひらめきをシンプルに押し通したから幸運に恵まれたのだろう。


私は、生活と制作できる環境のために絵が売れたい願望はある。
と言っても、熱望ではない。

前回、荘子を書いたが、彼はある王に宰相として招かれた時、次のように答えた。

「貴方たちは亀のミイラを絹に包んで神聖なものとして大切に祀っている。しかし私は、そんな亀より泥の中を這い回っている亀でいる方が良い」

この言葉は好きだ。
私も自分の立ち位置を気にせず、自然体で生きることが一番幸せだと思っている。


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毎日、散歩へ出かける。
荒川土手を駆け上ると、広大な荒川河川敷の光景が広がる。
それは素晴らしい交響曲に包まれている気分だ。
その一瞬、この時間があれば他には何もいらないと思ってしまう。

毎日、同じベンチで休み、木立を見上げながらお茶を飲む。
初夏のような今は、爽やかな風が汗ばんだ首筋を過ぎて行くのが心地よい。
これも、かけがえのない幸せな時間だ。


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荒川河川敷には数百本の桑がある。毎日、完熟した甘い実を指先と口を紅色に染めて食べている。


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グミの実。
甘酸っぱい味で、田舎の子供たちは大好きだった。


売れるか売れないかは考えないで、ひたすら絵を描いている。私にとって散歩が重要なように、絵を描くことも生きている一部だ。作品が認められるなら、それはそれで嬉しい。しかし、売れなくても失望はしない。そのような気分になれたのは70歳を迎えてからだ。だから、年をとるのは悪くないと思っている。


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緑道公園のプラタナスの巨木。


あと一ヶ月と少しで母の五周忌だ。
去年までは年月の過ぎる速さを嘆いていたが、今は年月を考えなくなった。
誕生から、そう遠くなく迎える死まで、私の中で渾然一体に混ざり合っている。年月を考えなくなったのは、時間が自分と一体化して、時間が見えなくなったからだろう。この状態はとても居心地が良い。


荒川土手の高さは5階だての建物ほどあり、駆け上ると少し息苦しくなる。好天続きの今は、土手上に出ると日差しが溢れ、眩しさに瞳孔が一瞬収縮する。だから、土手上の光景はローキーの写真のように少し薄暗く、大地からの水蒸気のために青く霞んで見える。

死の直前、母は遠くを眺めていた。
それは息絶え絶えの苦しい時間を過ごした後に、明るい空が見えて安堵した視線だった。土手へ駆け上った時の息苦しさの中で、広い光景を眺めた幸せ感と、終末期の母の視線は似ているような気がする。


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ベランダから撮った三日月と宵の明星。
三日月の位置は毎夜変わっていて、今夜は明星の遥か左上に変わっているはずだ。


昨夜は曇っていて見えなかったが、夕暮れから西の空に三日月と宵の明星が並んで見える。土手上の広い舗装道路を、三日月と宵の明星を見上げながら歩く。土手道では車の心配はなく、ジョギングをする人たちとすれ違うだけだ。

荘子は、運命に逆らわないのが幸せだと言っている。最近、本当にそうだと思っている。あと何年生きられるとか、健康を保てるとかは重要ではない。運命に逆らわなくなってから、五月の自然と一体感を持てて心地よくなった。


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荒川土手。
巻雲の後に雨雲がやってくる。
明日月曜は雨が降るかもしれない。


先日、床屋さんへ行った帰り際、床に落ちていた自分の髪を拾った。
「どうするの」と聞かれたので「自分の遺髪にする」と答えた。

独り身なので、周囲の者たちが私の死後を案じている。
それで「生前葬をしておくから、遺骨はどのように処分しても構わない」と言っておいた。
生前葬と言っても、世間一般のようなお金を使って、近親者を集めて儀式をするわけではない。散歩コースの好きな場所に母の遺灰を撒いてあるので、同じ場所に"遺髪"を撒くだけのことだ。

5月の青空と新緑を見上げながら死ねたら最高だが、思い通りいかないのが世の常だ。99%、住まいで孤独死するか、何もわからないまま収容された病室で最期を迎えると思っている。死だけは貧富にかかわらず平等に訪れてくれる。
それにしても、在宅で私に看取られた母の最期は恵まれていた。


Ma_3

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Goof

Mas

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