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2015年5月 4日 (月)

坂戸市の道教の廟・聖天宮を訪ねた。そこは絢爛豪華なパワースポットであった。15年5月4日

散歩途中、いつもの公園のベンチに腰掛けて持参したポットのお茶がなくなるまで新緑の森を眺めている。

GW初日の5月2日は友人たち三人で坂戸市の聖天宮へ行った。
公園のベンチでぼんやりしながら、
あれは5月の夢だったのでは、と不思議な旅を思い返していた。


聖天宮に興味を持ったのは、ドラゴンボールなどのコスプレおたくたちが道教の廟の境内で撮影会をしているとのニュースを見たからだ。その所在地は道教とは何の関連もない、武蔵野の雑木林や畑が広がる一角にあった。

すぐに聖天宮の公式サイトを検索した。
建て主は台湾の大金持ちだった。その人は 四十歳半ばに不治の大病を患ったが、信仰していた道教の本尊「三清道祖」のおかげで一命をとりとめた。

彼は 深謝の念と、多くの人が神様のご利益にあやかれるように道教の廟を建てることにした。彼が建立場所を道士に占ってもらうと、台湾ではなく、日本の坂戸市の武蔵野の雑木林に建立せよとお告げがあった。

当時はその地へ至る道も最寄の東上線若葉駅もなかった。
彼は莫大な私財をつぎ込んで雑木林を整地し昭和五十六年に着工した。建立には台湾の一流宮大工を招き、十五年をかけて平成七年に聖天宮は開廟した。

今は東上線若葉駅も正門前の道も開通し、グーグル地図で辿ると、駅から東方へ2キロほど一本道左手に忽然と聖天宮の廟が現れる。


5月2日午後2時、雲ひとつない快晴。
若葉駅で版画家の菊池君と地元在住のY君と待ち合わせした。
Y君は車で迎えに来ていた。夏のように暑く、菊池君は駅のトイレで汗で濡れたシャツを着替えた。

聖天宮への道には、女子大、団地、明治製菓、共同印刷、田村製作所などの大工場が整然と続き、新緑の並木と満開のツツジが美しい。

それらを抜けると田園風景が広がり、唐突に聖天宮の黄色い屋根瓦が見えた。
しかし、Y君の車のナビの聖天宮への道筋は違う方向を示していた。

「どうなるか試しに、ナビに従って行ってみましょうか」
Y君は遠回りのナビの示す道を選んだ。Y君は長年地元に住んでいるのに聖天宮があるのを知らず、私が誘って初めて知った。

車は裏道をうねうねと進み、大きく遠回りして聖天宮駐車場の裏門に到着した。今思うと、ナビには聖天宮前を走る広い一本道が完成する前の古い地図がインプットされていたようだ。


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聖天宮境内から門外の田園風景を見る。


聖天宮に隣接する無料駐車場は150台分の駐車スペースがある。
快晴の連休初日にもかかわらず、停車していた車は5台だけだった。20年前に開廟したのに知名度はまったくない。地元のY君は知人たちに聞いてみたが、誰も聖天宮の存在を知らなかった。

聖天宮前を走る広い道路の通行量は普通にある。
通り過ぎる人たちは、時折、廟の境内にコスプレの若者集団が出入りしているのを見て、怪しい新興宗教の本殿だと誤解し、うっかり中を覗いて勧誘されないか恐れているのかもしれない。
繰り返すが、公式ホームペジにあるように聖天宮は極めて商売っ気のない清廉な道教の廟だ。


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本殿への入り口。

参詣料は300円と格安だった。
入廟すると日光東照宮と見紛う絢爛豪華さに三人はど肝を抜かれてしまった。菊池君は道教に詳しく、日夜仙人への修行をし、台湾まで参拝に出かけているほどだ。その彼も本場を凌ぐ聖天宮の立派さに驚いていた。


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本殿前の石畳の広場。

本殿へ行くと、親切な係りの女性が懇切丁寧にご本尊の三清道祖の参拝の仕方を教えてくれた。まず、五百円で線香6本と金箔を貼った壽金神紙の束を貰った。壽金神紙とは、小さな祠で燃やして天の神様に献上し、願いと感謝の気持ちを表す紙のお札のことだ。

事前に調べた公式サイトには、食べ物を持ってきて神前に供えるようにあった。
私はチーズ、菊池君とY君はクッキーとミネラルウォーターを供えた。それらは参拝の後に下ろして食べ、神様からの恩恵としていただく。

道教の参拝の仕方は、太くて長い中国線香を青銅製の大きな線香立て二つに3本づつ供え、煙と共に神様の恩顧を受ける。その後、敷居の赤いクッションに膝をついて具体的に住所氏名と願い事を心に念じながらご本尊を12回拝む。

係りの優しい女性は、つきっきりで懇切丁寧に参拝の仕方を指導してくれた。拝礼の後、お焚き上げの小さな祠で紙のお金を燃やした。


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祭壇は神域なので近づいての撮影は禁止されている。

廟内の広場から見上げると雲ひとつない青空だった。
「天の神様に包まれているような気持ちがする」
感激している私を「ずいぶん信心深いね」と二人は笑って見ていた。
裕福な菊池君は別にして、明日の保証のない貧乏絵描きの生活はついつい神頼みになってしまう。


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廟内の休憩室でくつろぐ菊池君とY君。
台北のホテルだと言っても、信じてもらえそうだ。


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聖天宮の上には青空が広がっていた。

あっという間に午後3時になり、左右の鐘楼で鐘と太鼓が12回打たれた。その音は異国情緒たっぷりで、異空間にいる不思議さが増した。

その後、三人でおみくじを引いた。
まず男女分けされた「簽桶」(おみくじ棒が入った器)から、願いを念じながらおみくじ棒を引いて数字を覚える。
次に陰陽を表す三日月型の木片・神筈」(しんばえ)を陽陽に揃え、引いた数字を念じながら床に落とし、陰陽が出たら数字への神の認証を得たことになり、数字が示すおみくじをいただく。
陽陽・陰陰の場合は、引いた数字が神のおつげではないことを表しているので、最初からおみくじ棒を引き直し、神筈を床に落として陰陽が出たら、おみくじをいただく。


聖天宮に隣接する広い雑木林に露天の休憩テーブルが設けてあった。
今はボタンが開花していて心地よい。
休んでいると緑陰を涼しい風か吹き抜け実に爽やかだった。
三人で神前からいただいたたクッキーを食べ、お茶を飲んだ。

「小保方さんは何時ヌード写真集をだすのかな」
唐突に小保方晴子氏の話題になった。
「やっぱり、裸に割烹着でしょ。試験管かフラスコ持って< STAP細胞はありますっ >って演出するだろう」
三人は夢見るように目を細めた。
もしかすると道教の神域の生命パワーが満ち満ちて、そのような他愛のない会話になったのかもしれない。


4時の閉廟まで聖天宮でのんびりくつろいだ。
三人それぞれに年回りに合ったお守りを買って慌てて出ようとすると、
「厳格に4時に締めるわけではありませんので少しくらい時間オーバーしてもかまいませんよ」
係員は笑顔で話しかけた。


聖天宮から川越へ向かった。
緑豊かな入間川を渡ると川越市内だ。
川越市内の観光スポット菓子屋横丁の手前には新河岸川が流れていた。

新河岸川の下流は旧居の下を流れていた。
川は岩渕水門を抜けると隅田川と名を変え東京湾へ注ぐ。
昔は江戸と川越藩をつなぐ大切な運河で、多くの伝馬船が川越特産のサツマイモやお茶、生糸などを積んで江戸へ運んだ。川越への帰り船には、農家の大切な肥料になる江戸市民の人肥を積んで戻った。

蛇足だが、東武鉄道開通当初の下り電車の主な積荷は人肥で、"おわい電車"とか"黄金電車"と呼ばれていた。私が子供の頃まで、人肥は日本農業に不可欠の大切な肥料だった。


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時の鐘の鐘楼。11月から改修にはいるのでこの光景はしばらく見られなくなる。


川越市内を抜けて若葉駅へ来たY君によると、GW初日の川越蔵造り通りは観光の車と人で大混雑していた。しかし、我々が到着した午後5時近くには大半の観光客は帰路につき、街は程よく空いていた。川越の観光地のお店は日が暮れると閉めるので観光客は激減する。その時間帯はゆったりと歩けるので、観光の狙い目かもしれない。


菓子屋横丁近くの駐車場に車を止め、三人で街を散策した。蔵通りは東南アジアや台湾、中国の若い女性観光客が多く、綺麗な足を眺めているだけで楽しかった。


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骨董店をハシゴした。
私はエリザベス女王の戴冠式記念の指ぬき1000円を裁縫用に買った。どの店も丁寧で、建物の来歴などを親切に話してくれた。無料でお茶を供してくれる店もあり、居心地が良かった。

川越からY君宅へ向かい、夜は可愛い奥さんの美味しい手料理をいただいた。
飲み物は川越の地ビールを菊池君が買った。からりと晴れて暑かったせいで、6種類の個性的なビールはどれも抜群に美味しかった。

奥さんを交え、馬鹿話を楽しんでいるうちにあっという間に10時を過ぎて、菊池君と私は奥さんの運転で駅まで送ってもらった。


今日も、あの不思議な異空間を旅した思い出が遠い昔の夢のように蘇る。
GW中、川越観光へ行かれる方は、少し足を伸ばしてパワースポットの聖天宮を楽しむことを是非に薦める。

拝観時間は午前10時から午後4時まで。係員はみなのんびりしていて、少しの時間なら融通をきかせてくれる。

今年前半の行事は終わったが、7月から後半の行事が来年4月末まで目白押しに続く。行く場合は公式サイトを事前に調べることをお勧めする。道教の廟は横浜中華街にもあるが、坂戸の聖天宮は規模も丁寧な作りも格段に上で、良心的な料金設定も好感が持てる。


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今日の荒川土手夕景。強風が実ったえん麦を揺らしていた。

韓国の執拗で呪いに近い安倍総理バッシングが続いて来たので、彼の米国議会での演説に対する反応に興味があった。

演説後の韓国主要紙は相変わらず罵詈雑言のオンパレードだったが、行間で暗に朴政権外交の失敗を認めていた。

一方、日刊ゲンダイでは
--アメリカ人記者たちは、「まるで中学生の英語スピーチ大会だ」と笑い合っているそうだ--
と手厳しかった。私は安倍総理を支持していないが、このような記事には反発を感じる。

もし、オバマ大統領が日本の議会で拙い日本語で演説したとして、バカにして退席する議員がいるだろうか。そして、日本のマスコミ人が下手な日本語だと侮辱して笑うだろうか。

日刊ゲンダイの記事内容が真実だとすれば、米国の議員やマスコミ人たちは幼稚園児並みにこらえ性がなく品格がない。

日本はアジアでは、母国語で高度な教育を受けられる数少ない国だ。
日本人が英語下手なのは当然なことで、安倍総理は堂々と日本語でスピーチすればよかったとの主張は正論だ。

しかし、むきになって書き立てるほどのことではない。もしかすると、日刊ゲンダイの記者と寄稿した英語自慢の国際ジャーナリストには英語圏への根深いコンプレクスがあるのかもしれない。


昨日の憲法記念日には、全国各地で護憲派の集会があった。
私は戦争は絶対反対だが、報道されていた壇上の文化人や野党政治家たちの戦争反対のアジテーションには違和感を覚えた。

改憲派の防衛力強化の根拠は隣国の異常な軍拡と侵略体質にある。
なのに彼らはその事実に触れず、もっぱら日本政府への攻撃に終始していた。
隣国に対して戦争反対の抗議がなかったとすれば、彼らの抗議は欺瞞的だ。そのような一方的な戦争反対では、彼らが隣国政権の代弁者だと思われても仕方がない。


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