« 新国立競技場・ザハ案決定の闇。競技場はオリンピック後、直ちに撤去すれば国民負担は小さい。影ある男になってモテる方法。15年7月10日 | トップページ | 田原総一朗と福島瑞穂の政治討論に見たリベラル知識人のバカバカしさ。毎日繰り返すセンチメンタル・ジャーニー。15年7月24日 »

2015年7月16日 (木)

集団的自衛権賛否の分かりにくさと、ザハ案・新国立競技場見直しに対する安藤忠雄氏の考え。15年7月16日

集団的自衛権が国会を通った。
野党が言う憲法違反を確かめるため、改めて憲法を読んでみた。

日本国憲法・第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

これでは、65年前の警察予備隊の発足当時から黒で、現在の陸海空軍に至っては真っ黒な憲法違反だ。だから、集団的自衛権が合憲だ違憲だと論じること自体ナンセンスの極みだ。自民党戦略の誤りは、そうとしか答えられない憲法学者たちを動員したことにある。

それでも自衛隊が合憲とされているのは、9条は理想的な規範にすぎないと解釈されているからだ。9条は国際情勢等の変化に合わせ、高度の政治的解釈で変遷しても違憲ではないとされた。

その代表例がドイツ憲法だろう。同じ敗戦国として、戦争と軍備を放棄したが、東西冷戦の最前線にいて、軍備も、武器輸出も、海外派兵も、戦闘も可能な国に変化した。それでもドイツは徴兵制を復活させていないし、戦争に突き進んでもいない。反対派はドイツが実現している平和は日本には無理だと思っている。そのように国民を信頼しない政党では政権を取るのは難しいだろう。

日本での最初の第九条の変革は、朝鮮動乱の頃、米軍に代わって日本の防衛治安維持兵力を補うために設けられた警察予備隊だ。さらに軍事力を充実させた今の自衛隊は更に違憲状態だ。それでも日本国民は自衛隊を信頼し絶対に必要だと考えている。


自衛隊を容認していても、日本人は世界一厭戦気分の強い国民だ。
そのような国民に「軍国主義と徴兵制が復活して、あなた達の子供や孫が戦争に巻き込まれることを容認しますか」と聞けば、ほとんどの日本人は拒否するだろう。その質問形式は現実を無視した極論だが、反対派のアンケートはそこへ巧妙に誘導している。

国民が反対した真意は、どのような法案が通っても、反対を表明しておけば与党は暴走できない、との思いがあるからだ。国民の反対支持がある今回の国会は野党にとってはとても戦いやすいはずだったが、結局は与党に押し切られた。

野党敗因の一つは、過去から今に至るまで、平和に対し実効性のある対案を示さなかったことにある。野党が言う集団的自衛権が徴兵制を復活させ侵略戦争を起こす、との飛躍も理解しがたい。

私が若い頃の仮想敵国はソ連だった。当時の左翼は、ソ連が日本に攻めてくるのは、抑圧された日本人民を解放するためだ。攻めてきたら白旗を掲げ、解放軍を花束で迎えるように、と宣伝していた。そして、防衛力を持てば戦争に巻き込まれると、自衛隊に猛反対していた。しかし今、それは真っ赤な嘘で、ソ連が民衆を弾圧し、侵略国家であったことを国民は熟知している。

日韓条約の成立前夜は、批准したら日本は戦争に巻き込まれると左翼は反対していた。安保闘争の時も同じように戦争に巻き込まれると反対していたが、戦争には巻き込まれなかった。
「歴史を学べ」は左派の常套句だが、左翼こそ歴史を学んでいないようだ。

今も左翼の考えは進化していない。狼少年みたいに、日の丸・君が代・日本礼賛番組と、なんでも治安維持法、軍国主義復活、侵略戦争に繋げて連呼されては信じられなくなる。野党は分かりやすい言葉で、過去から現在まで、理路整然と説明してほしい。


与野党の考えの違いは、
与党の考えは、日本は国際情勢の中で危険な状況にいて、尖閣は中国に侵略されている。国際的な治安・平和維持へ経済援助だけでなく、軍事的責任を果たさないと利己主義な国として世界から孤立する。

野党の考えは、日本は危険な状況にはない。もし危機があるとすれば、それは日本が自ら招いた自業自得で、当時国に誠実に対応すれば危険は去る。尖閣についても、中国が本気で侵略するわけがない。誠実に話し合えば棚上げにしてくれる。第一に、こんな小さな島は中国に譲るか共同管理にすればいい。軍事力が関わるような国際的責任は果たさなくていい。それでも日本の平和と経済は守れる。関われば日本は戦争に巻き込まれるだけだ。この野党説明は独りよがりで解りにくい。


連日、1万人のデモが国会を取り囲んだとのニュースが繰り返されている。--実際は1万人では国会を取り囲めない--安保闘争の頃のうねるような大群衆と比べたら、今のデモ隊は実にささやかなものだ。

国民が集団的自衛権に反対しているのは野党支持からではなく、反対を表明しておけば、法案の暴走を止める安全装置として役立つ、と思っているからだ。

日本国民は戦争大反対だが、戦争反対の野党を支持すれば平和と生活が保てる、とも考えていない。そのあたりのねじれを野党もリベラルな知識人たちもほとんど理解していない。

だから、1年後の選挙で現野党が大躍進して政権をとる可能性はほとんどない。国民の関心は、平和と平穏な生活にあり、その何れも野党には実現できないと思っている。加えて、野党や知識人たちが中国や南北朝鮮のプロパガンダを代行している、と国民が薄々感じていることも賛同されない理由だ。

現実に、中韓は集団的自衛権に大反対している。中韓以外のアジア・オセアニア・欧米各国では、日本はこれで当たり前の国になったと好意的だ。いつも、海外をダシにして日本を非難する野党が、今回に限って世界の反応を無視しているのは極めて不自然なことだ。

集団的自衛権が、もし暴走しそうになったら国民の抑止力が働くと確信している。これまで、日本が平和を守れたのは野党の力ではなく、与党の支持母体である国民が平和を望んでいたからだ。

対して、反対集会のひな壇に並ぶリベラルな知識人たちの芝居がった言葉には、国民への信頼を感じない。彼らの言葉の節々に、無知で無謀な日本国民は自分たちが指導しなかったら、すぐに戦争へ走ってしまう、と言った上から目線を感じる。彼らは、敗戦後のドイツの平和を何かにつけて賛美しながら、ドイツの再軍備が集団的自衛権より一歩前へ進んでいることを決して語らない。そして、同じことをしようとしている日本を口汚く罵っている。


M_6


15日、台風前の好天。
これから間もなく、猛烈な雨が通り過ぎた。


16日、安藤忠雄氏の記者会見を聞いた。
大半はザハ・デザインへの賛辞で、それは巨大建設費を負担する国民への配慮ではなく、森喜朗元総理を始め文科省官僚への配慮だった。
ちなみに世間では、新国立競技場は森喜朗記念館と呼ばれている。

ザハ案の美しさは建物から羽衣のように流麗に伸びる触覚にあった。
今の改正案はそれをバッサリ切ってカイガラ虫のように、なんとも情けなく劣化してしまった。それでも素晴らしいと褒める安藤氏の言葉はあまりにも政治的すぎる。現デザインはザハの原案から大きく劣化し、尾羽を切り取った雄鶏のようなものだ。--他の建築家たちは沈みかけた亀とか粗大ごみと言っていた。

もし、彼が本気で改正案も美しいと思っているのなら、建築家としての感性を疑う。独学で世界的建築家まで上り詰めた彼を尊敬していたが、権力を持つと魂は腐ってしまうようだ。

各方面で対策が語られているが、一番良いのは、現在の条件でザハにデザインをやり直させることだ。元々、彼女のデザインは規定違反で失格作品だった。それに破格の13億のデザイン料を支払う以上、それくらいの要求はできる。

アーティストとしてのザハの立場で考えても、原案から大きく変更させられた現デザインは受け入れられないだろう。変更デザインが発表された時、これでは怒ったザハからクレームが来るのでは、と関係者は心配していたくらいだ。関係当局は、選択肢の一つとしてそれを考えてほしい。


17日、安部総理は見直しを決め、森元総理も賛成した。
森氏はザハ案はとろけた生牡蠣みたいで嫌いだったと話していた。それが本心なら、ザハ決定には安藤氏が大きく関わっていたようだ。世界が小さなオリンピックを目指している今、あの巨費は時代の流れにそぐわない。


参考に・・・世界一の160階建てのビル、ドバイのブルジュ・ハリファの建設費は1500億。東京スカイツリーは650億。比べてみると、新国立競技場建設費2520億のバカ高さが浮き立って見える。

新国立競技場のパロディ画も賑やかで秀逸だ。
匂いがうやむやになる未来の便器の蓋。
金をめちゃくちゃ食う怪獣カネゴンの頭。
近年稀な素材に恵まれ、これから更に盛り上がりそうだったのに、パロディ作者たちは残念だろう。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

« 新国立競技場・ザハ案決定の闇。競技場はオリンピック後、直ちに撤去すれば国民負担は小さい。影ある男になってモテる方法。15年7月10日 | トップページ | 田原総一朗と福島瑞穂の政治討論に見たリベラル知識人のバカバカしさ。毎日繰り返すセンチメンタル・ジャーニー。15年7月24日 »