田原総一朗と福島瑞穂の政治討論に見たリベラル知識人のバカバカしさ。毎日繰り返すセンチメンタル・ジャーニー。15年7月24日
先日、ネットで「朝生」での田原総一朗と社民党の福島瑞穂の政治討論番組の再現を読んだ。ほとんどの「朝生」は熱心に見ている。そのやり取りはありがちな内容で、特に記憶はない。個人的には、今までの社会党の言動との矛盾は感じなかった。
会話の真偽については、捏造との異論がある。
ネットからのコピーを以下に記すので各自各様に判断してほしい。
福島「ですから、日本はスイスのような平和中立国を目指すべきなんです」
田原「スイスは国民皆兵制で、一般家庭に自動小銃が有る国だよ」
福島「いえ、例えばスウェーデンみたいな中立国もあるわけですし…」
田原「スウェーデンはナチに協力して中立を守った国だし、今では武器輸出大国だよ」
福島「えーと、ベルギーのように歴史的に中立を貫いた国もあるんです」
田原「ベルギーみたいに何度も外国軍に蹂躙されてもいい?」
福島「えーでもー、侵略するより侵略される方がイイですし…」
田原 「有事立法というのは、どこかがもし攻めて来たらどうするのか、どう対応するのかという法案ですよ、社民党はこんな物いらないって言う訳?」
福島 「戦争の為の法律は要らないと思います」
田原 「そうじゃない、どこかが攻めて来た時のために…」
福島 「いや戦争の為の法律ですよ」
田原 「ちょっと待って、じゃぁもしどこかが攻めて来たら殺されりゃぁ良いっていう話し,降伏する?」
福島 「うーん…、戦争が起きないように努力する事が政治の責任じゃないですか」
田原 「いやだから、日本が戦争する気は全く無いでしょ、今でもない!」
福島 「ただですねぇ有事法制はそんな単純な法律ではない訳ですよ。米軍の活動を円滑にしたり、国民保護法制という名でいろんな人の権利を制限する…」
田原 「ちょっと待ってよ、敵が攻めて来た時にね、国民の人権自由とかでどこ動いて行っても良いですよ。とはならないし、そりゃ規制もしますよ、当然」
解説者 「福島さんじゃあね、万が一攻められた時に、社民党は国民をどうやって守るのかという具体的な案が無いじゃないですか? どうするんですか?」
福島 「うーん、ただ…例えば…非核構想をやるとかですね…」
田原 「ちょっと待って! つまり敵が攻めて来るなんて事は有りえない!こんな夢みたいな事を自民党は言って、どんどん日本を軍国主義化してると、こういう事?」
福島 「…そうですね、私は北朝鮮などを仮想敵国にしながら、どんどんどんどん軍事国家の道を歩んでいると思います。」
田原 「北朝鮮と仲良くするんだって…」
福島 「そうです。そういう努力が必要だと思います。」
--彼女も私も宮崎出身で、彼女は高校の後輩だ。
私が10代の頃から、宮崎の南北に長い海岸線に北朝鮮の工作船が頻繁に出没し、工作員を送り込んだり、若者を拉致したり、やりたい放題だった。当時の漁民や海岸近くの住民の間では、工作員からの被害や噂が絶えなかったが、警察が警戒したり取り締まったりする動きはほとんどなかった。
北朝鮮工作員の暗躍は日本海側でも噂になっていた。
「暗くなって浜へ行くと人攫いにさらわれる」
海辺の住人の間で長い間噂されていた。
漁から帰ってこなくて、海難事故扱いになった漁民の中には拉致された者も含まれているが、今となっては真相は闇の中だ。
工作員に対して警察が動きを封じられていたのは、朝鮮総連から依頼された、社会党を始めとする左派勢力からの圧力だった。公然と拉致を繰り返す国家が敵ではないとは、信じられないほど恐ろしい政治感覚だ。彼らが取り締まりを阻止したのは、殺人にも拉致にも、北朝鮮としての義があると信じていたからだ。
昔、社会党が元気だった頃、小学校校長をしていた同窓生がいる。
彼が悪戯をした在日の子供を「そんなことしちゃだめだぞ」と頭を軽くコツンと叩いたことがあった。
翌日、朝鮮総連関係者と日教組と社会党議員たちが血相を変え、小学校に大挙してやって来た。そして、在日の子供を差別してぶん殴ったと、彼を校長室で暴力的に吊るし上げた。
彼は極めて温厚で人を殴るなど絶対にできない好人物だ。
30年昔の出来事を話す時、彼は今も怒りに震える。
社会党と総連の不透明な関係は、一度も納税したことがない在日資産家とか、私が実際に知っているだけでも枚挙に暇がない。
田原 「っとなると社民党いらなくなっちゃうよ」
福島 「いゃあ、そんな事は無いですよ、だって憲法9条を改憲したいと言うのが今強く出ていて」
解説者 「あのね福島さん、僕は社民党に頑張ってもらいたいと思う。でもとてもついていけない…」
福島 「警察官の拳銃使用は絶対反対。犯罪者と言えども人権はある訳ですし、犯人には傷一つ付けてはいけない。たとえ凶器を持った凶悪犯と言えども警察官は丸腰で逮捕に向かうべき」
田原 「そんな事して、警察官が殺されたら?」
福島 「それは警察官の職務ですし」
--「ええっ?」と言う驚きの声が怒濤のように スタジオ中に響き渡る。その声にまずいと思ったか福島が続ける。
福島 「それに犯人がそんなに抵抗するんだったら無理して逮捕する必要は無いと思うんですよ、逃がしても良い訳ですし」
田原 「じゃっ、逃がした犯人が別の所でまた人を殺したら」
福島 「それはそれで別の問題ですし」
犯罪者には人権があって、警察官にも被害者にも人権はない。
人権派弁護士の福島瑞穂なら当然そのような考えをするだろう。
この会話は、番組動画で確認していないので、真偽については何も言えない。
それが創作であったとしても、社民党がそのような考え方をして来たことに確信を持っている。
防衛問題に関しても左派政治家やリベラル知識人の考えも彼女の考えに近い。
創作だとすれば、出演者の特徴を含め実に巧く描かれている。
朝日の従軍慰安婦強制連行捏造記事に満ちていた反日悪意と比べると、こちらは平和ボケ親中親韓左翼への穏やかな批判だ。ちなみに捏造と創作はまったく意味が違う。
先日の抗日軍事パレートを熱烈に賛美していた左翼がいたが、彼らはパレードのミサイルが日本を標的にしていることを考えもしない。
国民が知りたいのは社会党を含む左翼勢力の考えで、その意味で誰にでも分かりやすい会話だった。
快晴の荒川。
とても蒸し暑い1日だったが、荒川土手へ上ると心地よい風が吹いていた。
土手道から新河岸川の浮間橋を渡り、去年まで暮らしていた北赤羽の公団住宅へ出た。母を看取ったこの住まいは、死後6年過ぎても思い出が蘇る。
公団住宅脇の閑静な裏道を抜け、御諏訪神社の河岸段丘下の古道に出た。御諏訪神社は赤羽に引っ越して来た42年前からお参りを続けている。この神社の苔むした雅味豊かな狛犬は母の生まれた大正2年に建立されたものだ。
神社から東京北医療センター下の桜並木へ出た。
この辺りの緑地帯は真夏でも涼しい。今、医療センターは増設工事中で、病院敷地へ上るエレベーターは工事が終わる2年先まで使えない。代わりに病院の車が待機していて、通院患者や見舞客を丘上の病院玄関前まで運んでくれる。しかし、利用者は少なく、担当者はいつも退屈そうだ。
病院下公園入り口と病院玄関への道は同じだ。
公園へ向かう私は、いつものように通院患者と間違われた。
「どおぞ、遠慮なく利用してください」
送迎車のドアが開いて声をかけられたが丁重に断った。
しかし、連日、好意を無にするのは心苦しい。
次は乗ってあげようかと、ふと思った。
病院下公園から緑道公園に抜けた。
緑道公園の陸橋から、42年前に十条から引っ越して来た崖上の旧居跡が見える。そのころの私は収入が多く、生涯で一番勢いがあった。
父も母も兄も姉も元気で、小さな姪たちは毎週泊まりがけで遊びに来ていた。
四方を自然林に囲まれ、深夜まで金槌を振るって地金を伸ばしていても、近所からの苦情はなかった。当時は彫金職人として、月に10日働くだけで一般サラリーマンの3倍は稼いでいた。
自然林は近所の子供たちの格好の遊び場だった。
仕事場には漁船で使う霧笛用のふいごが置いてあった。その木製取手を上下に閉めると「ブォー」と大きな音がした。
その霧笛で、時折、仕事場脇で遊んでいた子供達を脅した。
蜘蛛の子を散らすように逃げて行く子供たちはとても可愛かった。団塊の世代の彼らは今は50歳前後で、孫のいる歳だ。多分、私を怖いおじさんとして記憶しているはずだ。
仕事場脇の木陰は野良犬の休み場でもあった。
都会で生き抜かねばならない彼らはとても穏やかで、人とトラブルを起こさないように気遣っていた。時折、窓を開けると、木漏れ日の中で休んでいる優しい視線と目が合った。今も、当時の思い出と共に彼らの優しい瞳を思い出す。
そのように、多くの野良犬たちが我が家の傍の自然林で休息して通り過ぎて行った。その後、彼らのほとんどは保健所に捕獲された。時折、保健所の車で運ばれる彼らの悲しげな鳴き声が遠く聞こえることがあり、とても辛かった。
野良猫もよくやって来た。
時には看取ったこともあり、都の清掃局に連絡し、2000円ほどの費用で引き取ってもらった。担当は清掃局だが、ゴミ扱いされたりはしない。係員は丁重に新しいバスタオルで包んで引き取ってくれた。
その家で祖母と父を看取り、安定した生活を捨てて、貧乏絵描きに転向した。
その頃は毎日のように、絵描きになれるかどうかわからない先行きに悩みながら荒川土手を散歩した。だから、今の住まいも思い出深い地にある。
毎日の散歩で古い知人と出会う。彼らは一様に母の思い出話をする。昨日会ったおばあさんは母の写真をいつも御守り代わりに持っていると話していた。母を忘れないでくれるのはとてもありがたいが、ついホロリとして言葉につまり辛くなる。だから最近は知人たちと出会わない道を歩くことが増えた。
そのように、毎日の散歩は過去へ辿る小さなセンチメンタル・ジャーニーのようだ。
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