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2015年8月 4日 (火)

炎天に死のイメージ。酷暑の散歩は霧吹きでしのいでいる。そして琉球独立。15年8月5日

35度以上の酷暑日が今日で5日連続で、観測開始以来最長記録になった。
昨日は酷暑の中、画材買いに池袋へ出た。
いつもはびしょ濡れするほど大汗をかきながら、炎天下をグイグイ歩く。しかし、服が汗だらけでは電車に乗るのが恥ずかしい。それで、汗をかかないように駅までゆっくり歩いた。

汗をかく場所で肉体年齢が分かる。
30代までは足に汗をかく。腕にかくのは40代まで。胴体が汗をかかなくなったら60過ぎだ。顔は死ぬまで汗をかく。それらには個人差があり、冷房無しの生活と毎日の運動で汗腺の退化を遅らせることができる。

私の酷暑対策は霧吹きだ。
散歩中、絶えずGパンにたっぷりかけながら歩く。すると気化熱によってとても涼しい。
汗の働きも同じだが、汗と水の気化熱はまるで違う。水だけで湿したGパンは5分ほどでサラサラに心地よく乾く。しかし、汗は蒸発しにくく、いつまでもべたついて気持ち悪い。


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散歩道にある化学工場のクラシックなビル。


先月のEテレ、米国俳優モーガン・フリーマンが語る死と時間についてはとても良かった。
死については、将来、クローン技術による肉体再生で克服できる。それは脳をスキャンして得られた記憶を再生された肉体にコピーすることで、永遠の命が得られる。

昔、同じことを考えた。
老いて瀕死の自分の傍に再生された健康で若い自分が横たわっている。瀕死の自分の記憶は若い自分にコピーされる。若く健康に再生された自分は目覚め立ち上がり、傍の死にかけた自分を困惑しながら眺める・・・

この場合、瀕死の自分では、まったく死への恐怖と苦痛は解決しなていない。しかし、コピーされた自分は死から解放された至福感に満たされている。

上の例から、生きている自覚は切れ目ない永続性にあると分かる。
しかし、毎夜の眠りや手術などでの麻酔でも意識は断絶され、命の永続性はとても曖昧なものだ。
全身麻酔は胆嚢切除手術で経験しているが、麻酔された瞬間から突然に目覚めた。その間の手術の記憶はまったく欠落していた。

もしその間に手術失敗で死んでも、前記のようなコピーが行われたとしても、何も気づかなかったはずだ。
解剖学者養老孟司氏によると、他人の遺体は存在するが自分の遺体は存在しない。同様に自分の死も存在しない。なぜなら、死の瞬間は爆睡や全身麻酔と同じで、死を意識する自我も消滅するからだ。


時間についての物理学者の考えは一般とはかなり違う。
物理学者は絶対的な時間を考えるが、一般人は意識上の時間を考える。

一般的な時間認識。
事故などの緊迫した状況では時間の進行は遅くなり、数秒の出来事をとても長い時間に感じる。その最たるものが臨死体験だろう。ネズミによる実験では、死に至る極めて短時間に脳は非常に覚醒して猛烈に働く。それを人に当てはめると、数秒の間に一生の人生の記憶が蘇り遡る。

小鳥などの小動物の時間は極めて緩慢に進む。だから、猛スピードの車もノロノロ運転のように見える。小鳥が猛スピードの車を軽々と避けられるのは、時間の進み方が違うからだ。

時間の前後関係が誤って認識される病気に統合失調症がある。例えば、リンゴを齧った後に、そのリンゴを買って来て皮を剥いたりする。

ある種の脳疾患では、周りの出来事が猛スピードで過ぎて感じているように感じる。その場合その人の行動は極めてスローになっている。そのように、脳の認識の仕方で時間は早くなったり遅くなったりし、絶対的な時間は存在ない。

関連して、年齢と時間の進行の関係式。
10歳を1とすると、
その2倍の20歳は2の平方根の1,4・・・倍に時間の進行は早まる。
60歳は同様に6の平方根の2.44・・倍に、
90歳では3倍に早まる。
だから、10歳の1年の経験は、90歳では4ヶ月で過ぎてしまう。


物理学での時間。
今、一番正確な時計はアルミニウムイオンを使った原子時計だ。その誤差は37億年に1秒以下だ。

2010年米国で、その時計を二つ並べ、片方を30センチ高くした実験がなされた。結果は、高い方の時計が早く進むのが確認された。それは30センチ高い分だけ重力が弱まったからで、アインシュタインの相対性理論に従い時間が早く進んだ結果だ。

生命も時間も、絶対的なものではない。
和時計なら日の出と日の入りは常に6時で、夏と冬は時間の長さが大きく変化する。

物理学上の時間以上に重要なのは、人は命と時間を自我に従って捉えていることだ。自分の中では時間は早く流れたり遅くなったりする。命も幻のように消えたり生まれたりする。

人のいい加減な感覚では、自分が生きていることも時間も、正しく捉えることはできない。宇宙の始まりは整然としていたが、時間の経過とともに入り乱れ、今生きている世界は混沌として誰にも正しく捉える方法はない。それは荘子の思想「万物斉同」と同じだ。正しく捉えられないから、死と生も、老いと若さも、差異を判断することはできない。

時間は一方方向にしか進まない。
車に例えると、中山道を東京から長野へ進んでいる時、時間=車はバックできないが、Uターンして東京へ引っ返すことはできる。出発点の東京を過去だとすれば、車は過去へ戻ったことになる。しかし、それは見かけ上のことで、タイムマシーンのように過去へ戻った訳ではない。そして、子供の頃の輝かしい夏に戻ることはできないが、新たな夏を迎えることはできる。


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百日紅は真夏の花だ。


朝日記事は論理の組み立てが自分勝手でいい加減だ。
先日の記事「琉球独立の現実味」は、沖縄県ではなく独立国名の琉球と書くところが朝日らしい。

沖縄県の市町村長らがオスプレイ配備反対を訴え、東京・日比谷などをデモ行進した。その時、通行人から「そんなに日本が嫌なら出ていけ」という言葉を浴びせられた。朝日記事によると、沖縄に戻った人々は「じゃあそうしましょうかと言いたくなるね」と語り合った、と言う。

日本には言論の自由がある。その程度の罵声はどのようなデモ行進でも起きる。一つや二つ、反論や罵声があったからと言って、それが総意だと沖縄県の市町村長たちが思うはずがない。

しかし、その出来事を独立論まで無理やり持って行くところに朝日特有のプロパダンガを感じる。
記事は「ネット上でも罵詈雑言が投げかけられる琉球独立論」と続き、県民にとって「独立論は共通の話題の地位を獲得しつつある」と強引に引っ張って行った。そして、独立論を与太話のように見ていると、いつか後悔する日が来るかもしれないと結んであった。

この朝日特有の言い回しにはいつもうんざりする。
日本のリベラルと知性を代表していると思い込んでいる不遜な傲慢さを感じる。

朝日や沖縄タイムズが喧伝するほど沖縄は1枚岩ではない。
離島部は琉球王朝時代に差別搾取された歴史があり、沖縄本島への拭いがたい不信感がある。中国の尖閣領海侵出により、石垣島あたりの漁民は蹂躙されている。だから、海上自衛隊駐留を希望しているくらいだ。もし、独立の現実味が増したとしても、離島部は本島には従わないだろう。

独立すれば米軍基地は当然のように追い出される。
沖縄は基地依存していないので米軍がいなくなっても問題はないと言われている。確かに基地従業員などのように直接依存の経済は小さくなった。しかし、基地受け入れに対する思いやり予算は莫大だ。本土の地方と沖縄の僻地を比べてみれば、インフラ整備など沖縄は格段に優遇されている。沖縄県は米軍基地によって間接的に莫大な予算を配分されている。

もし、沖縄独立が実現すれば、日本と米軍の穴を埋めるのは中国だろう。中国の支配は過酷で、沖縄タイムスなど真っ先に言論弾圧で消滅するはずだ。以上は沖縄県民は肌で知っていることで、朝日が夢見るほど琉球独立は甘くはない。


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