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2015年9月14日 (月)

長雨が終わると一気に秋色は増し、風の音に海を感じた。15年9月14日

今の住まいは風が強く、広い荒川河川敷からゴーゴーと吹き抜ける。
しかし、嫌な音ではない。
耳に当てた貝の海鳴りのような、懐かしい音だ。
午後、一人椅子に腰掛けて風の音を聞いていると60年以上昔の子供の頃が蘇る。


その頃、暮らしていた日南市大堂津の浜辺には戦死者のための忠霊塔が建っていた。
灯台のようなコンクリート製の円柱で上部に旧軍の星のマークが付いていた。その下の碑文は軍国主義の残渣として進駐軍の指示で削り落とされていた。

太い根元にはドーム型の小部屋があった。
戦前は祭壇が祀ってあったが、碑文と一緒に取り除かれ何もない丸いコンクリートの床だけになっていた。
半円形の入り口からは広い砂浜と黒潮の海が見渡せ、風や波音がドームに響いていた。


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ドームの記憶は後年の作品に度々登場した。
「サンタの休暇」
彼はクリスマス以外は、暖かい南の島で毎日遊んで過ごしている。


驟雨が来ると、子供たちは忠霊塔のドームで雨宿りした。
流浪者たちは宿代わりに使っていた。

漁師町には、いかけ屋、ゴム長の修理屋、下駄の歯や鼻緒の取り替え、こうもり傘の骨接、薬草売り、と色んな職種の人が流れ着き、数日路上で仕事をしては次の町へ去って行った。
子供たちにとってはどれも楽しい仕事風景で、大人たちと一緒に取り囲み、のんびり見物した。

いかけ屋は、鋳鉄の釜底に空いた穴を赤熱し、白い灰をまぶして赤熱した鉄片を置いて金槌で叩き接合させ塞いだ。白い灰は藁灰だと思うが、彫金で酸化物を溶融して取り除くホウ砂と同じ働きをしたのだろう。

アルミ鍋の穴は、廃棄されたアルミ鍋から切り取った丸い細片の周囲に無数の切れ目を入れ、鍋の穴にはめ金槌で叩いて密着させた。水漏れは黄色い粉をこすりつけ熱して溶かしこんで塞いだ。

長い間、黄色い粉は硫黄だと思っていたが、硫黄とアルミが反応した硫化アルミニウムは水と反応して猛毒の硫化水素を発生する。だから、黄色い粉は松ヤニだったかもしれない。

大堂津は小さな漁師町だったが、いも焼酎の醸造所が二軒あった。
醸造所の空き地には飴色の焼酎熟成用の瓶が並べられていた。
そのうちの一軒の古澤醸造は今も健在で、当主の営業力で製品は全国展開をしている。
飴色の焼酎熟成用の瓶を思い出したのは、蓋の隙間を硫黄で封がしてあったからだ。

ゴム長の穴は、熱した鉄ゴテでゴム片を溶かし、巧みに穴を塞いでいた。
高下駄の歯替えは、使い込んだ古歯ブラシのようになった歯を抜き、新しい桜の板をカンナで削って土台にはめ込んだ。土台を磨き鼻緒を取り替えるとゴミのような高下駄が新品に変わった。

傘の骨接用具は、上京してしばらくは金物屋で一式を売っていた。
仕事机の引き出しを探せば今も残っているはずだ。

昔の子供たちはそのように手仕事を学習し、その技術は大人になって生活に役だった。


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大雨が上がった朝、河川敷のゴルフ場は浸水していた。
すぐに大型排水ポンプが働いて、翌日にはゴルフ場は再開された。


前の住まいは、夜になると灯りに惹かれたセミがよく部屋に飛び込んでいた。
今の住まいは、カナブンが多い。荒川土手の草の根を食べて幼虫が繁殖しているのだろう。カナブンはずんぐりした体に似合わず飛翔力がある。しかし、一旦着地すると飛び上がるのは不得手で簡単に捕まえられる。

だから、毎朝、玄関前通路に出るとセミやカナブンが沢山死んでいる。
小さな生き物の最期は、どれも淡々として安らかだ。
地面に落ちている彼らを見ると、このように死ねたらいいのに、と思ってしまう。


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散歩道の彼岸花と赤まんまの花。
この辺りにも母の遺骨の微粉末を少し撒いた。
眺めながら、彼岸花が大好きだった母が喜んでいるように思えた。


深夜、絵を描きながら1993年TBS「高校教師」の再々放送の録画を再生している。

20年前の再放送の時、TVCMの動画のために300枚ほどのセル画と10枚の背景を描いていた。日程は厳しく、それだけの量を10日間で仕上げた。だからほとんどの寝る時間はなく、その眠気覚ましに録画を延々と再生し続けた。

そのおかげで、ほとんどの台詞と画面を記憶している。
だから今も、台詞を聞いているだけでリアルに画面が蘇る。
今は引退した桜井幸子は撮影時は20歳だったが、17歳の少女と母性を兼ね備えた二宮繭役を清楚に違和感なく演じていた。

今見ると、ほとんど化粧をしていない女子高生たちがとても新鮮だ。
携帯もスマホもない時代のドラマで、今なら筋立ての変更が必要になる。真田広之扮する羽村先生と繭が鎌倉の宿で結ばれた夜、今なら繭の父親は悶々と心配したりせずに、繭の携帯に電話とメールを送信続けたはずだ。

聖バレンタインデーにチョコを渡したくても連絡が取れなかった繭も、今なら携帯メールで羽村先生に連絡できた。

--父親48歳二宮耕介役の峰岸徹は2008年65歳で肺がんで死去した。

32歳の羽村先生とセーラ服姿の繭のデートは今なら世間の目がうるさいだろう。
今思うと、のどかな時代だった。
ドラマでは堂々と動物園でデートしたりしていた。
今なら羽村先生は青少年保護育成条例違反で逮捕され、実名報道された上に教職を失う事態だ。

駅の改札にはまだ自動改札がなく、駅員が切符切りをしていた。
お小遣いが異常に潤沢な女子高生など、バブルの活気が残っていた当時が懐かしい。
あの時代へのセンチメンタルな回帰は、絵を描く気分と不思議に波長が合う。


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急ぎ足で歩いても、汗をかかなくなった。
昔痛めた左足のかかとが最近痛み始めた。
他にもあちこちに起きる体の不調をだましだまし、老いを受け入れている。


最近、2013年イギリス・イタリア合作「おみおくりの作法」を見た。
監督・脚本のウベルト・パゾリーニ。
ウベルト・パゾリーニがガーディアン紙掲載の「孤独死した人物の葬儀を行なう仕事」に関する記事から着想を得て、関係者を取材して作られた。
2013年の第70回ヴェネツィア国際映画祭オリゾンティ部門で監督賞を含む4賞を受賞している。

--ロンドン・ケニントン地区の民生係ジョン・メイ(エディ・マーサン)は実直で生真面目で孤独な中年の独り者。孤独死した人のゆかりの人を探し出して、葬儀に参列することを勧めて来たが、一人も応じることはなく、ジョン・メイは一人で真摯に死者を弔った。

或る日突然に、予算削減のため彼は解雇を通告された。
仕事熱心で遺族探しに予算を使いすぎる彼は上司に疎まれていた。

彼の最後の仕事は孤独死をした中年男ビリー・ストークで遺族さがしのために1週間だけの許可をもらった。
その過程で男の粗暴な前科が次々と顕になるが、男がこよなく愛していた一人娘の存在を知った。

彼は最後の仕事として、私費で男の墓地を手に入れ墓碑を作った。
そして、犬の保護施設で働いている娘を見つけ、埋葬への参列を勧めた。

男の埋葬の日、墓地には彼が見つけた大勢の参列者が詰めかけた。
ジョン・メイも墓地へ急いでいたが、突然に交通事故で死んでしまった。

死ぬ時、彼は幸せな笑みを浮かべていた。
笑みの理由が何であったのか、
これから見る人のために書けないが、最後に実に温かい結末が用意されていた。

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Floating Along the Milky Way.

写真40万枚をつないで作られた広大な宇宙の精緻な動画。
宇宙を漂う感じを疑似体験できる。
小さな世界が嫌になった時、ぼんやり眺めていると癒される。

現代物理学では、この広大な宇宙が少なくとも10の500乗個はあると想定されている。我々の属する宇宙は、広大無辺な大宇宙では砂粒ほどに小さな存在だ。

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Goof

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