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2015年10月30日 (金)

1億総活躍社会批判の矛盾と反日記事ばかり取り上げる韓国マスコミの病癖。15年10月30日

朝日新聞は相変わらず政府に対し、対案なしで揚げ足取りばかり繰り返している。
先日の記事では「1億総活躍社会」を批判していた。出だしは次のようなものだ。

・・・普通の市民が40年払いつづけてやっと貰える基礎年金の1ヶ月分を1日で使うようなゴルフ三昧で「英気」を養ったお方(安倍総理)から「みんなで活躍しようよ」というお誘いがきた・・・

朝日は経済システムを全く理解していない。
金持ちが贅沢することは日本経済にとっては良いことだ。景気が良くならない最大の原因は、世界2位の金持国なのに、金持たちが貯めこむばかりで消費しないことにある。

安倍総理が仮にゴルフで1日に10万消費すれば、ゴルフ場で働く人たちが潤う。高価な着物を買えば伝統的な機織り職人たちが、高価な食事をすれば、レストラン従業員や漁師や農家が潤う。

金持ちが質素倹約するのは美談ではない。昔、私は彫金職人をしていたが、生活を支えてくれていたのは金持ちたちの贅沢だった。もし、金持ちが贅沢をやめて質素倹約を始めたら、日本の伝統工芸は一瞬で消滅してしまう。高級野菜果物を栽培している農家も、高級魚を獲っている漁民も生活が成り立たなくなる。

絵描きの生活は大変になった。
金持ちが絵を買わなくなったからだ。しかし、換金性のある大家の作品は売れている。そのような骨董品が売れても景気は良くならない。なぜなら、お金は金持ちの間をぐるぐる回っているだけだからだ。金持ちたちが使い捨ての贅沢をしてくれなければ、日本経済は浮上しない。

朝日記事は次のように続けた。

・・・安保法制を成立させた安倍晋三首相が今度は、経済政策に関して「1億総活躍社会」というスローガンを打ち出した。戦時中の「一億一心」「一億火の玉」ではあるまいし。そもそも「活躍」とは何なのか。「活躍」できない人や、そもそも「活躍」などする気もない人はどうするのか。「活躍社会」の不気味さを問う・・・


記事では安保反対のシールズやデモをした人たちの行動こそが「活躍」だと言う。だとすると安保賛成の一般人たちは「活躍」の抵抗勢力と言うことか。

戦時中の「一億一心」「一億火の玉」を持ち出して、強引に結びつける手法は相変わらずのプロパガンダだ。いつまで時代錯誤な言葉狩りを繰り返すつもりだろうか。


しかし「1億総活躍社会」は上手なコピーではない。
少し長いが「誰もが能力を正当に評価される社会」が適切だと思っている。
菊池桃子氏は「1億総活躍社会」ではなく「ソーシャル・インクルージョン(社会的包摂)」が良いと言っていた。しかし、カタカナ語では国民の心に届かない。

朝日記事は偏見ばかりで常識を感じない。
働きたくない人がいたらその原因を探り、精神的なケアをするのが「活躍」させる方法だろう。女性や老人などで、能力があるのに力を発揮できないでいる人たちに、能力に合った仕事を与えるのも「活躍」の一つだ。

そもそも、政府は足の悪い人に全力疾走しろとか、目の見えない人に電子基板のハンダ付けをしろと言ってるわけではない。適材適所、それぞれの能力が正しく評価される社会を目指そうと言うものだ。ただし、それをどう実現させるかは担当大臣の能力次第だ。

私にとっての「1億総活躍社会」は揚げ足をとって潰してもよいようなものではない。何としても実現してほしいと願っている。なぜなら、資産0のままに老後に突入している私は、死ぬ寸前まで自力で生きなければならないからだ。朝日などは、それは社会保障の分野だと言うが、公費に頼る生活は何としても避けたい。


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荒川夕景。


韓国の一流紙に、米国は日本ばかり優遇して韓国には冷たいとの記事があった。
その例として人工衛星打ち上げを取り上げていた。

記事の概略は以下のようなものだ。

・・・1975年時点で人工衛星を宇宙に打ち上げた国は米国とソ連しかなかった。日本は1977年2月23日、人工衛星「きく2号」を初めて成功させた。日本の船舶エンジン技術者らがロケットエンジンの開発を始めてわずか6〜7年で成功したのは米国の全面協力おかげだ。日本は独自ロケットを打ち上げたと言っているが、実際は設計からソフトウエアまで、米国が提供してくれたものだった。このとき学んだ技術で、日本は現在、ロシア・米国・中国に次いでの宇宙大国になった。しかし、米国は韓国に冷たく、ロケット技術はロシアから導入する他なかった・・・

この記事には大きな事実誤認がある。
日本のロケット開発は昭和30年の東京大学生産技術研究所糸川博士がペンシルロケットから始めた宇宙科学研究所(ISAS)と、後発の国機関・宇宙開発事業団(NASDA)の二つの宇宙開発機関が独自にロケットの開発を行ってきた。

韓国紙記事の77年2月23日のきく2号は後発のNASDAのものだ。
ISASの日本初人工衛星「おおすみ」はそれよりも7年早い1970年2月11日にソ連・アメリカ・フランスに続き、世界で4番目に打ち上げに成功した。そのロケットは純粋に国産技術だけで作られたものだ。

米国がNASDAに技術供与をしたのは、放っておいても日本は高度なロケットを自主開発すると分かっていたので、売れるうちに売る実利を取っただけのことだ。

その後ISASとNASDAは統一され、現在の宇宙航空研究開発機構(JAXA)が生まれた。
ちなみに「おおすみ」の打ち上げは固形燃料ロケットの慣性飛行によるものだった。ロケットの誘導装置の研究はされていたが、軍用に転用できるからと社会党に猛反対されて実現できなかった。昔から馬鹿げたことばかりする政党で、衰退してしまったのは当然に思える。

以上の事実はネットで調べれば簡単に分かることだが、論説委員は日本憎しで書いてしまったのだろう。

その背景について、韓国紙の日本特派員たちが日本での座談会で話していた。
日本語に堪能な日本通特派員は韓国では出世できず、欧米や中国特派員が出世コースを歩むことになる。だから、韓国紙の幹部は日本のことはまったく知らない。特派員が日本での価値のあるニュースや友好に役立ちそうなニュースを取材しても、本国でボツにされてしまう。本国が求めるのは反日記事ばかりで、結果的に嫌韓新聞や週刊誌のコピペばかりになってしまう、と嘆いていた。

人工衛星について書いた論説委員も日本を知らない元欧米中国特派員のエリートだったのだろう。ちなみに、従軍慰安婦問題については、特派員たちは本国の硬直した考えとは違う自由な捉え方をしていた。


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荒川上の満月。


杭工事偽装が連日ニュースを賑わしている。
偽装は、杭打ちが現在の方法に変わってから頻発するようになった。
それ以前の杭打ちは油圧ハンマーや鉄の塊などで打撃する、大変にうるさいものだった。私は建築現場を眺めるのが大好きで、昔の杭打ち風景はよく覚えている。

その頃は、地盤が柔らかいと、一打ちごとに杭はグングン突き進んで行ったが、固い岩盤に到達すると杭は進まなくなって甲高い音に変わり打撃面が砕け始めた。現場の担当者はそれで十分な深度に達していると簡単に分かった。地上にはみ出た杭は削岩機で壊し、杭の鉄筋と地盤の鉄筋は一体化されてコンクリートで固められた。

昔の工法なら、計測器でデータを取らなくても強度・耐久性が確保できたが、騒音問題やコストや工期のために、今のドリル掘削に変わったのだろう。

今の工法ではドリルで掘り進み、固い岩盤に達したら止めて、そのデータに従った長さの杭を用意する。しかし、現場がデータの間違いに気づいても、杭を発注し直すと工期が遅れるので、まあ大丈夫だろうとそのまま工事は進められた。偽装を生んだ背景にはそのような悪しき習慣があった。


前居の北赤羽の公団住宅は、18年前の入居時から外壁に斜めの亀裂が無数走っていた。強固な鉄骨が入っているので気にはならなかったが、小さな地震でも大きく揺れる建物だった。

揺れやすいのは基礎に偽装があったからかもしれない。そう思い始めたのは、今の公営住宅に引っ越してからだ。今の建物は大きい地震が来てもほとんど揺れない。同じ軟弱地盤に建っているのに前居は今の建物より3倍は揺れていた。建物の階数により揺れ幅が大きくなったりするが、前居はそれ以上に揺れていた気がする。


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赤羽台の渋柿。
この柿は干し柿にするととても美味しい。
今年は大豊作だが、採ってくれる若い人がいなくなり、朽ちるに任せてある。


昨日は散歩コースを変え、久しぶりに新河岸河の流れに沿って歩いた。
川沿いの廃車置き場跡にはホームレスが数人住み着いていたが、今は一人に減っていた。ぼんやり川の流れを眺めている住人の傍らのブルーシートの屋根では、三毛猫が気持ちよさそうに寝ていた。多分、住人の飼い猫だろう。動物は飼い主がホームレスでも、まったく気にしていない。


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新河岸川沿いの民家の窓。
部屋奥からおばあさんが楽しそうにこの子を眺めていた。


18年前、赤羽台から北赤羽の公団に引っ越す時、家財の大半は背負子で担いで行った。荷は平均すると30㎏ほど、時には70㎏の金庫を担いだこともあった。北赤羽の引っ越し先までは1キロほどだ。それを日に15〜20回往復した。1ケ月ほどかけて引っ越しは終った。

なぜ、そんなばかなことをしたのか、今もよく分からない。まだ元気一杯だった52歳の自分を試してみたかったのかもしれない。しかし、その代償は大きく、踵を痛めてしまった。登山靴のような厚みのある靴ではなく、底の薄いスニーカーで重いものを担いだのが原因だった。

痛みは強かったが、クッション性のある靴に変えたりして、2年ほどかけて自然治癒させた。しかし、かかとの痛みは宿痾になり、毎年のように再発する。今年も、夏あたりから再発している。対策は踵の痛めた箇所が当たる靴の中敷の部分を丸く削り、痛めた箇所を少し浮かせて痛みを軽減させている。

痛みは腰肩と体のあちこちに起きている。内臓が重く、足腰に気だるさを感じることも増えた。睡眠障害も相変わらずで、4時間眠ると目覚めてしまう。体にエンジンがついているように、疲れ知らずだった若い頃が夢のようだ。

しかし、悩んではいない。若い頃は具合が悪いと、様々な病気を考えて悩んだが、70代に入ってからは、不具合は歳の所為にして全く気にしていない。今、満身創痍だったのに全く悩んでいなかった晩年の母の気持ちがよく分かるようになった。

散歩途中、休んでお茶を飲んでいると気道に入れて激しく咳き込んだ。母もよくお茶でむせていた。親子で変なところが似てしまったようだ。


先日の深夜「NHKスペシャル・きのこ雲の下で何が起きていたか」の再放送をしていた。
1945年8月6日原爆投下3時間後の広島、爆心地から2.3キロにある、御幸橋西詰で横たわる負傷者たちの有名な写真だ。

番組は瀕死の熱傷を負いながら生き残った90歳の男性の証言をもとに進んだ。
鋼鉄を溶かすほどの高熱の原爆熱線を受けると、真皮まで焼け、皮膚はボロ布のようにずるりと剥けて垂れ下がる。そのような被爆者たちが目の前で次々と生き絶えて行くのを眺めながら、「自分が死ぬと思うと、言い知れない寂しさに襲われた」と、20歳の彼は思った。

その言葉を聞いた時、母が死ぬ少し前に流した一筋の涙のことをふいに思い出した。
死が間近に迫った時、母が流した涙は、彼と同じように死ぬことの寂しさの所為かもしれない。母より2ケ月早く絵描き仲間の宮トオル氏が死んだ時も、一筋の涙流したと未亡人が話していた。母も宮氏も、死の寂しさの中にいたのだろう。


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Goof

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