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2015年12月22日 (火)

今日は冬至。モグラ叩きのように次々と身体が痛む。15年12月22日

今日は冬至。日の入りは16時31分。
3時半に散歩へ出かけたが、あっという間に暗くなってしまった。


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埼京線ガード下の新河岸川夕景。


今年も多くの有名人が死んだ。
野坂昭如。水木しげる。原節子。愛川欽也。菅原文太。高倉健。ロビン・ウィリアムズ・・・記憶に強く残っている故人だけを記したが、全体の数パーセントにすぎない。彼らとは縁もゆかりもないが、なんとなく寂しい。

対して、自分の死に寂しさはない。
自分の生死自体、深く考えなくなった。

昔の人は、家や一族や国家のために生きて死んだ。だから一生懸命自分の生死について考えた。

現代人の生死は自分と家族のためにある。その生死の縁である家族の結びつきも弱く、なぜ生きているのか悩む人は多い。

私にとって死に一番近い感覚は全身麻酔だ。
胆嚢摘出手術を受けた時、
「これから麻酔をかけます」
と麻酔医が話しかけた。
その一瞬に意識はなくなり、突然に麻酔から覚醒すると手術は終わっていた。

もし、覚醒しなかったら、それが私の死なのだろう。
通常の死の多くは苦痛から臨死体験へ繋がり、最後の死の瞬間だけは全身麻酔とまったく同じだ。


晩年の母は「死ぬことは少しも怖くない」とよく話していた。
当時、60代に入ったばかりの私は、年寄り特有の強がりだろうと思っていた。しかし今は、母の本心だったと確信している。

母の死に対する考えはわずかだが揺らぎがあった。
死の1ケ月前、母は闇を嫌がるようになったので、夜も寝室を明るくしておいた。しかし、すぐに闇を気にしなくなり、狼狽も苦悩もなく死を迎えた。

私も時折、生への執着を感じる。
しかし、執着には直ぐに飽きて、生死などどうでもよくなる。
とは言え、健康には留意し、具合が悪くなれば病院へ行く。なぜなら、死ぬ寸前まで現役で稼がなければ食えないからだ。稼げなくなったら何もせずに餓死を待つような過激な生き方は私には到底できない。


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御諏訪神社下から。
丘上の学校跡に何か建設中だ。


7ケ月間の仕事が終わってからの私は、激戦地から命からがら生還した兵士の気分だった。
何をする気にもなれず、何も考えず、ぼんやり過ごして来た。
仕事をやり終えた後、喪失感が起きるのはまだ体力が残ってゆとりがあるからだ。乾いた雑巾を絞りきるほどエネルギーを使い切ると、仕事の結果も何もかも考えなくなってしまう。

仕事は倒れる覚悟で続けて来た。
そして、予想通り倒れてしまい、モグラ叩きのように体調不良が続く。
最初の首、足裏、奥歯の激痛が治まると、次は喉の激痛が始まった。
その頃、少し体調が回復していたので忘年会に出席し、汚れた空気に晒されて咽頭炎を起こしてしまった。それは経験したことがない激痛で、微温湯を飲んでも、軽く咳をしても、喉奥に焼ごてを当てられたような激痛が走った。食事も満足に取れず、夜は絶えず激痛で目覚めた。さらに辛かったのは声が出なくなったことだった。

すぐに耳鼻咽頭科へ行った。
住まい近くには2院あり、どちらにするか迷った。
一つは今年5月に開業したばかりの若い医師。もう一つは古くから開業している老医師。知人から老医師の医院は患者は少ないが丁寧だと聞いていた。辛い状態で、子供や老人たちでごった返す待合室で長時間待たされるのは嫌なので、老医師の医院を選んだ。


メディカルビルの3階にある医院の待合室は陽光が燦々と差し込んで暖かかった。窓から下を見ると眼下に新河岸川がキラキラと輝いていた。待っている患者は私だけで、診察室から治療中の患者の声が聞こえた。

5分ほどで診察室に呼ばれた。
「どうされましたか」
知的な雰囲気の痩身の老医師は丁寧に鼻腔と喉を診た。
「これでは痛いですね。よく効く抗生剤がありますので、3日飲めば治ります」
声が出ない私はただうなづいた。

診察のあと、鼻と喉に薬剤の吸引をして医院を後にした。
一階の薬局で薬をもらうとすぐに飲んだ。
それから、食材を買って帰宅した。

風邪をひいても葛根湯しか飲まないので、処方された抗生剤のジスロマックは劇的に効いた。薬は日に2錠を3日間飲むと1週間は効力が続く。
翌日には喉の赤みも激痛も消えて声が出るようになった。
咽頭炎は2日で完治したが、その代わりに激しい咳が始まった。横になると殊に酷く、一睡もできなかった。

再度耳鼻咽頭科を訪ねると咳止めのフスコデ配合剤と抗アレルギー剤のアレグラを処方された。アレグラは花粉症の時飲んでよく効くことが体験済みだ。この両剤も劇的に効いて、咳はその日の内に治まった。

そして、もう一つの忘年会へ出かけた。
免疫力が弱ったままでの外出は無謀で、帯状疱疹が背中にできてしまった。発疹のむず痒さと不快なチクチク感があり微熱もあった。懇意にしている皮膚科へ行くと、抗ウイルス剤を処方された。70歳過ぎでは抗ウイルス剤の副作用で腎臓を痛める可能性があるからと、医師は、むくみや尿量減少などに気をつけるように何度も念を押した。

直感で、帯状疱疹は神経痛などの後遺症が起きる気配は感じなかった。皮膚科医には悪いが副作用のリスクを冒す気になれず、抗ウイルス剤を飲むのはやめた。その代わり、栄養を摂って日長コタツでゴロゴロしていた。おかげで昨日あたりから発疹は枯れ始め、背中の痛みと痒みはほとんど消えた。


今の私の身体の状態は、免疫力の低下により、毎日5000個生まれているがん細胞の幾つかが生き残っているか、すでにガンが成長している可能性がある。以前の私なら、とても気にする事態だが、今の私は全く気にしていない。仮にその後、がん終末期の苦痛に晒されることになったとしても、それは短期間で終わると楽観している。


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荒川土手夕景。


今も身体のあちこちが痛むが、それでも散歩は楽しい。
冬色の河川敷も、寒月に照らされた夜道も心地よい。

不測に立ちて無有に遊ぶ
何も考えず、川を流れる木の葉のように、なされるがままに生きる。
それが一番楽な人生のようだ。
そのように人生を淡々と捉えられるのは貧しいからかもしれない。もし、私が裕福だったら、1日でも長い享楽を期待したはずだ。豊かさには憧れているが、そのように心を弱くする側面がある。


最近発見されたアンチエイジング医療。
75年前から使われている糖尿病薬メトホルミンに若返り効果が発見された。マウス投与実験では40%の延命効果があった。しかも、1日の薬価は8円と安価だ。

分析の結果、メトホルミンには生物の細胞を頑丈にし寿命を延ばす酸素を細胞内で増やす効果があることがわかった。これから臨床治験に入る。もし、人にも効果があれば、70歳が少なくとも50歳に若返ると言う。


東京オリンピックエンブレム審査の進行状況のメール通知が来た。
メールによると、最初の形式審査で15000の応募作から形式を満たさない5000作品が落とされた。多分、私の作品はこの段階で落とされたはずだ。応募時、疲労のピークにあり、オリンピックマークをトレースすることを省略したためだ。ネット上で本登録を済ました後、確認すると応募作品からマークが消えていた。登録は1回だけで、再登録はできないので諦めた。

そのようなミスをしたのは、委員会に問い合わせた時、リンクファイルも同時に送るように言われたことに幻惑されたからだ。冷静な今ならそのようなミスはしない。
現在は64作品が選考され、更に3点ほどに絞られ1月初旬に決定する。


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Goof

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