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2015年12月31日 (木)

死者たちを身近に感じた年の瀬から、新年を迎えた。15年大晦日〜16年元旦

2015年大晦日
おせちはあらかた作り終えた。
父の出身地博多のおせち料理ガメ煮に入れるクワイの皮を剥いていると、母を思い出した。母はクワイの皮を剥くのが上手で、死前年の暮れも、古い手作りテーブルで、クワイの芽を傷つけないように丁寧に剥いていた。

ガメ煮の具材の種類は多く、大鍋にあふれてしまった。それで、29,30日とせっせと食べて減らした。黒豆は程よい甘さに煮上がりとても美味しい。私は砂糖と味醂を合わせ隠し味に醤油を入れ生姜で香りをつける。

年賀状書きは殆ど進まない。多分、書き終えるのは1月3日辺りだ。
クリスマスから正月は忙しいだけで、子供の頃のようなワクワク感はまったくない。


先日、52年の付き合いの、彫金職人時代の仕事仲間Yさんからお歳暮が届いた。彼は毎年、ビックカメラの商品券を送ってくれる。プリンターインクや用紙などは必需品で商品券はとても助かる。

電話でお礼を言った。
「正喜さんはまだ仕事ができるからいいよ。
私は仕事を完全に辞めたので、お金はなくなる一方だ」
二つ年上のYさんは自嘲気味に話した。

Yさんの父親は日本橋の生まれの飾り職で、彼に後を継がせた。父親は昔の噺家・馬金に雰囲気も語り口もそっくりだった。江戸っ子は皆んなベランメー調だと誤解されているが本当は違う。江戸の老職人たちは粋で、とても丁寧な話し方をしていた。

母が元気だった赤羽北の旧居の頃、Yさんは毎年お歳暮を届けに来ていた。
Yさんと母は親しく、三人で話していると活気があった職人時代が蘇って、とても楽しかった。


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川口の高層マンション群の間の、クリスマスの夕暮れの満月。


昨日は散歩道で、統合失調症の元内科医Nさんと偶然会った。
夏の頃、彼から電話があったが、仕事に追い込まれていたので、完了したら電話をすると応えてそのままにしていた。

コンビニ外のベンチで、熱いお茶を飲みながら彼と雑談した。

「最近、生死に対する興味が薄れ、シンプルに生きられるようになりました・・・人が心を病むようになったのは、原始的な脳幹と大脳基底核より大脳皮質が優位に人を支配するようになったからだと思っています・・・」
そのような話を彼とした。

脳幹は爬虫類の脳とも呼ばれ、本能の基本を担っている部分だ。視床下部や延髄などが含まれる。大脳基底核は原始的な哺乳類の脳だ。生存競争に必要な記憶や感情を司っている。脳幹も大脳基底核も極めて頑丈で滅多なことでは誤作動はしない。しかし、科学や文明を発達させた大脳皮質はひ弱で誤作動しやすい。そんな不完全な脳に生き方を委ねたことで人の不幸は始まった。


Nさんに自分はいつ死ぬか話した。
「母の介護で10年。今回の仕事の無理と不規則な生活で5年。合わせて15年は寿命が短くなりました。だから、東京オリンンピック前に死ぬかもしれない、と思っています」

笑顔で頷いていたNさんは自分の最期を話した。
「私の余命は20年くらいです。死因は脳血管系かガンですね」
だとすると、51歳の彼は、私くらいの歳に死ぬことになる。

「しかし20年後ならアンチエイジングが進んでいるから。あと5年くらい伸びるかもしれませんよ」
私は慰めではなく、彼が死ぬのは少し先になると応えた。

そんな話をすると一般の人は必ず否定する。
「そんなマイナス思考はせずに、頑張りなさい。あなたの元気なら100歳まで長生きしますよ」

しかし、私は悲観したり自暴自棄になっているわけではない。
むしろ、前向きな生き方をしている方だ。
だからそのような励ましは応えるのが面倒で重い。
その点、Nさんは絶対に否定したり励ましたりはしないので、気楽に死を話題にできる。


Nさんの次に散歩道でKさんに会った。
私より20歳は若い彼女は、悪性の脳腫瘍が4個できている。
「頭痛がひどいので、近くガンマーナイフで切除します」
彼女は笑顔で話したが、全身に辛さがにじみ出ていた。

そんなKさんを慰める言葉などなく、ただただ聞き役に徹した。
彼女の若さなら、まだまだやり残したことばかりだろう。
私のように、生死などどうでもいいと思うのは難しい。


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新河岸川夕景。


月夜の白い道を歩きながら、子供の頃、隣町で映画を見ての帰り、町外れの塩田脇の白い砂利道を母と歩いたことを思い出した。

子供の頃から母とはよく一緒に歩いた。
母との会話の大部分は、歩きながらの会話だった。
殊に、母が車椅子生活になってからは、毎日、3時間ほどの車椅子を押す間、昔話をした。もし、母の介護をしなかったら、母についての記憶は貧弱なものになっていたかもしれない。


父との会話も、一緒に外出した時のものばかりだ。
中学生の頃、父が役員をしていた土木会社が乗用車を買い入れた。英国から技術供与を受けていすゞ自動車が国産化したヒルマンという車だ。

父は自由に乗れるのが嬉しかったようで、車で帰宅して「これから蛍を見せに連れていく」と車に乗せてくれた。当時は強い農薬が盛んに使われた時代で、田舎からも蛍は姿を消していた。

運転手は車を1時間ほど山道を走らせ、山間の田んぼ脇に止めた。
ライトを消すと、周りは一面蛍が乱舞していた。
その時、父とどんな会話をしたのか記憶にない。
ただ、夢のように美しい光景をはっきりと覚えている。

父と外出すること自体が稀だったので、生涯に交わした父との会話は数時間に満たない。
むしろ、死んでしまった今の方が父との会話は多い。
ドラマで年寄りが故人と話すシーンがよくあるが、自分がそのような年寄りになるとは夢にも思っていなかった。


帯状疱疹の後遺症で胸が痛い。だるいような嫌な痛みが残り、息をするのがつらい。
足底筋膜炎は保存療法としてストレッチが欠かさない。
散歩途中、ベンチに腕をつき、背伸びをするように体を低く寝せて足裏のストレッチをする。その後、胸の痛みも軽くなる。もしかすると、腕を伸ばした姿勢が神経痛にも効き目があるのかもしれない。


2016年元旦

除夜の鐘を遠く聞きながらシャワーを浴びて、真っさらの下着に取り替えた。
それから、神棚と仏壇の水と、筆洗いの水を取り替えた。


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初日の出。
寒い中、荒川土手では大勢の人が日の出を待っていた。


新居での2度目の正月を迎えた。
お屠蘇セットをテーブルに置きながら、前回の正月が昨日のことのように感じた。
しかし、時間が早く過ぎるのは当たり前に思えるようになった。

仮に長生きして、明日、90歳を迎えたとしても、少しも驚かない。
同様に、明日、死が訪れても少しも驚かない。

人生は短いと思えば短く、長いと思えば長い。
その当たり前のことを納得できるようになった。


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2016年年賀状の図柄。
リニューアル版「父は空 母は大地」より「祈り」
ロクリン社より近く刊行。

自然に対して謙虚であれば、人は楽に生きられる。
思い通りに運命を操ろうとすから、人は苦しむ。


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Goof

Mas

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