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2015年12月 7日 (月)

様々な締め切りに満身創痍。15年12月7日

久しぶりに母の夢を見た。
夢の中で、母は私が大切にしていた植木を勝手に剪定してしまい、私は猛烈に怒っていた。
昔、同じことがあって、それが夢に出てきたようだ。
目覚めてから
「あんなに怒ってごめんごめん」
と仏壇の母に謝った。

天真爛漫の母は、そのような失敗をよくしていた。
ダウン・コートが流行り始めた30年以上昔のことだ。
当時とても高価だったコートを買ってあげると、布団を着ているみたいだとキルティングみたいにミシンをかけ、ペッシヤンコにしてしまった。
怒ると「大丈夫、大丈夫」と呑気に糸をほどいていた。
しかし、ミシン針の穴からダウンが次々と飛び出してきて、破棄した。

母とはよく口喧嘩をした。
最後の口喧嘩は、死の1週間前だった。
夜になると母は小用が近くなり、1,2時間ごとに私を呼んでベットから立つ介助を求めた。私は眠れず「寝せてくれないと倒れて、介護ができなくなる」と厳しく叱った。母はそれなら介護施設に入れれば良いだろうと負けずに文句を言った。
しかし、翌朝になると「わがままばかり言ってごめんね」と、可哀想なくらい謝っていた。
それから1週間後に死んだのは、私に迷惑をかけたくない母の意思だった、と思っている。


母が死んでから来年は7年目に入る。
母の思い出が薄紙をめくるように薄れて行くことが却って寂しい。

しかし、母の口癖はしっかり受け継いでいる。
急坂を登る時「よっこいしょ、よっこいしょ」と口をついて出るのも母の口癖だった。
辛い時、「何とかなるさ」とつぶやくのも母の口癖だ。
心底辛い時、どんな愚痴でも笑顔で聞いていてくれた母が無性に懐かしくなる。この空虚感だけは年々深まっていくような気がする。


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渋柿だが、熟しても、いつまで落ちない。


今年3月から絵本を描いていた。
遺書代わりの本だと思って、一生懸命書き続けた。
版元との約束の7月の締め切りを9月,10月、11月と3度延ばし、11月末は絶対に守るように厳命された。

遅れたのは、必要な18枚の絵に対し、倍の40枚を破棄したからだ。
その間、休んだのは聖天宮へお詣りした1日だけだ。だから、11月に入ってからは1日に20時間は描き続けた。締め切り前夜は30時間描き続けて視野が霞んで作画不可能になり仕事を止めた。

現在の出版不況は眼を覆うばかりで、この仕事で得られる印税は半月の生活費ほどだ。この分では下流老人を抜け出すのは難しい。


これほどに疲労困憊したのは生まれて初めての経験だった。
踵に激痛が起きて散歩が厳しくなった。
仕事での不自然な姿勢も災いし、首が痛く回らなくなった。
歯を食いしばって描き続けたので奥歯を痛め、激痛で食事もままならなくなった。

歯科医の診断では奥歯は自然治癒を待つ他なかった。
首の激痛は、整体でマッサージしてもらったが全く効果はなかった。
整形外科医の診断では温めておけば自然治癒するとのことだった。
踵は運動し過ぎにより踵骨棘が出来ていて、足底腱幕が炎症を起こしたためだった。

踵の治療は最悪手術だが今は保存療法で痛みの軽減を図っている。一般では柔らかな中敷で荷重軽減するのが良いと思われているが実際は違う。土踏まずの高い硬い中敷を使い、ストレッチを勧められた。

指定された中敷は赤羽駅高架下の巨大スポーツ店に各種大量に置いてあった。どうやら、同病のスポーツ好きは多いようだ。
私は一番高いハイを選んだが、値段も高い。履いている靴それぞれに入れるので出費はかさんだ。しかし、使ってみると硬い中敷なのに不思議なほどに心地良かった。

意外だったのはストレッチ効果だ。
アキレス腱を伸ばすようにストレッチをすると、すぐに足裏の痛みは取れた。今は、散歩中、幾度もストレッチをして、痛みを軽減させている。

首はいつもマフラーなどを巻いて冷やさないようにしている。初めは首が全く回らなかったが、今はゆっくりなら後ろを振り返られるまでに回復した。

痛みは全て、老いへの予行練習だと思っている。
私と同じ頃の母は、腰、膝、と全身痛いところだらけだったが、平気に明るく暮らしていた。老親の面倒を見ると、そのように老いを学び、老いを悩まなくなる。


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寂しい裏通りの雪だるま。


今日の正午がオリンピックエンブレムの応募期限だった。
先週、突然に思い立ってCGでエンブレムを描いた。
参加意欲はほとんどなかったが、もし私の案が採用作品に似ていたら悔しい。それで悔いを残さないために応募した。

土曜日は、銀座で版元や作家たちとの飲み会があった。
12月の銀座はクリスマス飾りが美しい。何となくみんなに付き合ってしまい、帰宅は12時を過ぎていた。それから絵本の絵の修正作業をした。仕事は日曜深夜まで続き、それから応募支度をした。


応募要項はその時初めて読んだ。
まず仮登録をして、本登録用の指定サイトがメールで届いた。

ネット応募の制約はとても面倒で、用意したファイルが重すぎてどうしても送れなかった。画像ファイルの形式は厳格に決まっていて画像ソフトPhotoshopとIllustratorで作った画像と展開図二種ずつをアップロードしなければならない。Photoshopは毎日のように使っているが、Illustratorは年に数度しか使わない。参考書片手に規定のデータ量に抑えようとするが、どうしてもオーバーして受付拒否されてしまった。

Illustratorで製作したエンブレム以外の指定オリンピックマークはリンクファイルとしてワンセットで送らないと欠損した画像になる。先週、描き上げた時にそのことを運営事務局に問い合わせると、ワンセットで送ってくれと言っていた。しかし、実際に応募書面を開いて見てみるとリンクファイルの箇所はどこにもなかった。


深夜では問い合わせることはできない。
問い合わせ担当女性の仏頂面の面倒臭そうな声が蘇った。
オリンピックマークは応募先のものなので、それにリンクしてくれるはずだと勝手に解釈して送信した。

書き入れ書面も引っ掛けが設けてあった。
生年月日はYYY/NN/HH・・凡例1945年1月16日などと簡単な注釈があった。しかし、凡例通り記入したら何度試みてもエラー表示。試しに1945/01/16と記入したらやっと受け付けてくれた。

試行錯誤しながら応募作業を続けたら午前4時を過ぎていた。
土曜夜は遅くまで飲んでいて眠い。題名もコンセプトもいい加減に簡単に記入して、不完全なIllustrator画像を送った。

私と同じ理由で諦めた人は多いかもしれない。当初、30万を超える素人応募が殺到して大混乱を見込まれていたが、実際は20分の1の15000近くだった。どうやら、巧妙に仕掛けられた素人お断りの応募規定が功を奏したようだ。

今日は喉が痛く、風邪ひき始めの感じだ。
体力が回復基調だったのに、エンブレムで無理をしたのが祟ったようだ。今夜は早めに暖かい布団に入って、録画を見ることにする。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

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