幸せでも、気力がないと実感できない。幸せを感じるには体力が必要なようだ。16年3月26日
6時に起床。一般の人なら当たり前の時間だが、宵っ張りの私には珍しい。
外へ出ると静かで、荒川からの冷たい風が心地よかった。
最近、「人生はこれで終わるのかな」と思うことが増えた。
しかし、朝の清涼な大気にふれると、
「まだ捨てたものではない。人生は変えられるかもしれない」
と前向きになる。
1ケ月前に個展が終わって、次の作品作りに励んでいる。
これからはどの仕事も、最後になる覚悟が必要なようだ。
緑道公園を散歩をしていると、私の前20メートル程先を、見覚えのある後ろ姿の男性が少しよろめきながら歩いていた。彼は私と同年代だ。彼はいつも可愛い小型犬を連れていたが、その犬がいないので彼だと確信は持てなかった。
最後に、彼に会ったのは1年前だ。
その時、小型犬はかなり弱っていた。
「もう少しがんばって、長生きしなよ」
彼は小型犬の頭を撫でながら、寂しそうに話しかけていた。
犬の一生は短い。彼らの1年は人の7年以上に相当する。
もしかすると小型犬は死んだのかもしれない。
そのころ、彼の妻も脳梗塞で入退院を繰り返していた。
彼は疲れはて、崩れるように傍のベンチに腰掛けた。
うつむいていてる顔は間違いなく彼だったが、周囲を拒絶する重い雰囲気があり、話しかけられずに通り過ぎた。
帰り道、
「いつも散歩させていた道へ行くと、悲しさが込み上げてくる」
ペットロスの手記にそのような言葉があったのを彼に重ねて思い出した。
貧しいが、夏くらいまでなら何とか生活できる。
寂しさはあるが、彼ほどではない。
体調は年相応に弱ってきたが、毎日、散歩できるのだから幸せなのだろう。
しかし、幸せを実感するには体力と気力が必要で、今の自分には縁遠く感じる。
花冷えの寒気が戻っている。
荒川沿いの住まい近辺は、街中より2,3度は冷たい。
浮間橋から旧居下の遊歩道を眺めるとレンギョウと雪柳が満開だった。
本来なら溢れるように咲いているのだが、開花前に公園課が業者を入れて剪定したので、例年より貧相に見える。
これは反対方向から撮った写真だ。
日付は2008年3月30日とある。
母は95歳で死の2年前だった。
このころまでは元気だったが、これから半年後の残暑の厳しい初秋、私の個展のため介護施設にショートステイで預けたのをきっかけに急速に弱って行った。
介護施設の優劣の差は大きい。
母を預けた施設は、個室の手すりが外してあって、入所者がベットから離れないようにしてあった。そのころの母は、日中のトイレは自分一人で行けたが、手すりがない部屋では、すべてベット傍の簡易トイレで済ます他なかった。
翌朝、銀座の画廊へ行く前に施設を訪ねた。
部屋へ入ると、母は電気も付けず暗い顔で寝ていた。
ポータブルトイレの臭気も気になった。
我が家ではすぐに始末していたが、その施設では行き届いていなかった。
「散歩へ行こう」と誘うと、母は無気力に「疲れた」を繰り返した。
肌はかさつき、声はかすれて消え入りそうだ。
たった1晩の間に、いつもの快活さが消え、別人のように見えた。
「寝てばかりいると、一気に寝たっきりになるよ」と、強く言って、母を車椅子散歩に連れ出した。施設の回りは殺風景な工場ばかりで、母は暗い表情のままだった。
3日目には、母は更に肌がカサカサに乾き、頭もぼけて弱り始めていた。
一刻の猶予もない。
すぐに4日目の退所を施設に告げ、翌朝、母を連れ帰った。
「あそこは寂しくて、二度と行きたくない」
帰り道、母は始めて本心を話した。
施設の食事はまずくて、全く喉を通らず、職員は呼んでもなかなか来てくれず、一人で放って置かれたようだ。
それ以後の個展期間中は、母は在宅にした。
世話は親しいヘルパー女性二人にお願いし、介護保険が適用されない延長時間は自費で支払った。
母はすんでのところで、ぼけと寝たっきりを防げたが、それをきっかけに老いは大きく進んだ。今もその時のショートステイを後悔しているが、適切な対応をしたとしても、死期をほんのわずか遅らせるだけのことだ。どんなに完璧な介護をしても、人は死から逃れることはできない。
東京北医療センター下の桜並木は1分咲きだ。
この広場はこれから、花見客の宴席で賑わうことになる。
姉は土曜日の休日で、隣町の十条商店街へ出かけた。
シャッター通りが増えた都内の商店街の中で、十条は昭和の活況が残っている珍しいところだ。昔風の下町の人情が残り、私にも心地よい街だ。
私は十条で18歳から28歳まで暮らしたので、知り合いが多い。
しかし、その多くは鬼籍に入ってしまった。
今年は母が死んでから6度目の春だ。
死の3ケ月前の春、
「今年の桜は、一生で一番美しい」
車椅子の母は桜吹雪の中でしみじみとつぶやいていた。
私も最後になるような気がして、母の言葉を否定しなかった。
春の花々は、過ぎ去った様々なことを思い出させる。
朝鮮日報によると、日本酒が試飲できる「ソウル酒フェス」に対して環境団体が中止要請をした。
福島産の日本酒が含まれていたからだ。
しかし、福島産日本酒は日本と韓国の政府機関により二重の厳格な放射線測定がなされていて、放射能はほとんど検出されない安全な酒だ。
結局「ソウル酒フェス」は26日に開催され、盛況の内に明日27日終わる。
日本にも同様の風評被害を煽る環境団体があるので、韓国を一方的に悪く言う気はない。何れにしても、このような非科学的抗議は後味が悪い。
ちなみに、2013年度、1時間あたりの東京の放射線量は0.034~0.052マイクロシーベルト(μSv/ h)。対してソウルは0.108~0.154μSv/ hと3倍ほどだ 。
花崗岩の岩盤が多い朝鮮半島は日本の3倍は自然放射線量が多い。今核開発で問題になっている北朝鮮は世界屈指のウラン鉱産出地で、韓国より更に放射線量は多い。だから、福島産日本酒より韓国産マッコリの方が放射線量は多いかもしれない。
今も、福島で子供に甲状腺癌が多発していると訴えるマスコミが多い。
事実なら看過できなが、発生率は他県とほとんど変わらないと主張する医療機関も多数だ。そのように問題提起が一方的では単なるプロパガンダになってしまう。マスコミは感情的にならず、冷静に科学的に訴えてほしい。
最近面白かった記事。
在日中国人は産経などの反中国のニュースを熱心に読むと言う。
普通に考えると、親中の朝日新聞が愛読されていそうだが、人民日報日本支社と揶揄されているような朝日を読んでも真実は見えて来ない。その点、反中の産経は中国について本当に知りたい記事満載で中国人に人気がある。
安保条約イコール戦争法案だとのプロパガンダが日常化した。
この策略が成功した場合、利を得るのは日本国民ではなく中国である。中国は日常的に尖閣諸島を侵略し続け、永遠に弱めることはない。
もし米国で、内向きのトランプ政権が成立すれば日米安全保障条約は後退し、中国にとって尖閣侵略の絶好のチャンスが訪れる。その時、安保条約イコール戦争法案だとのプロパガンダが成功し日本防衛が機能していなかったら、中国は容赦なく尖閣を占有するだろう。国内の野党左派は日中話し合いでの解決を訴えているが非現実な牧歌的発想で、却って国民を危険にさらす。
日本が強力に国土防衛意思を前面に出せば、中国は出てこれず戦争も小競り合いも起きない。外交とは、戦わずに勝利し平和を守ることだ。
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