« 明日、22日から「父は空 母は大地」原画展。16年2月21日 | トップページ | 倒産する会社の兆候と、昔の恥ずかしい記憶。16年3月8日 »

2016年3月 4日 (金)

「父は空 母は大地」原画展を終えて静かな日常が戻った。16年3月3日

2日夜に節句を思い出して、雛人形を飾った。
母は忘れなかったが、私は毎年、ニュースで知ってから慌てて飾っている。


我が家にはガス湯沸かし器がない。
厳冬の頃は柄付きブラシを使い、できるかぎり手を濡らさないように食器洗いをしていた。

この数日、水道水に刺すような冷たさはなくなり、素手を濡らしても苦にならなくなった。そのようなことに春の訪れを感じる。10日前から沈丁花も馥郁と香り始めた。

今日は日差しが春めき、ベンチで休んでいると暖かさに眠くなった。
原画展では大勢の来客に対応したが、楽しさより戸惑いが残った。日頃孤独に過ごしているので今の静けさは心地よい。いつもの散歩道を歩き、いつものベンチで熱いお茶を飲みながら音楽を聴いていると安らぐ。

夢うつつに聞いた中に「G線上のアリア」があった。
28年前、絵描きに転向した頃、午後になると荒川土手へ出かけ、この曲や「アメージンググレース」を聴きながら夕日を眺めていた。何の保証もなく絵描きに転向したので、未来には漠然とした不安があった。しかし同時に、43歳の私には野たれ死にしても良い覚悟があった。

その頃はまだバブルの余韻が残っていた。
意外にも、すぐに絵は売れ始め未来への不安は杞憂に終わった。
出版は右肩上がりの急成長期で、雑誌などのイラストの仕事も潤沢にあった。インターネットは殆ど普及していず、グラフィクデザインも活況で、広告用のイラスト需要も多かった。今振り返ると、絵描きに転向するには最適の年だった。

あれから二度引越しした。
姉や母や多くの友人知人たちとも死別した。
「27年は一瞬で過ぎてしまったなあ」
夕空の木々のシルエットを見上げながら、胸中で思った。


M_8


新河岸川にかかる橋。


夜道を帰りながら、母を思い出した。
元気な頃は、夕暮れに帰宅すると母は編み物をしなからテレビを見ていた。

母はそれから、ベットへ向かい、横になって寝入るまでテレビを見ていた。
「寝るより楽はなかりけり」
笑顔でつぶやいていた母を懐かしく思い出す。
今思うと、それらが私が失った温かい家庭の光景だった。


「父は空 母は大地」の原画展では原画購入希望者が複数いたが、いずれも意に沿わず断った。作家がこの姿勢では企画した画廊側は経費倒れだろう。本当に申し訳ないが、原画売却は絵本の評価が定まるまで伸ばすことにした

今回の原画展は案内葉書やネット上の告知ではなく、通りすがりに知って入ったフリーの客がとても多かった。持ち込んだ絵本70冊は完売し、来客数に限れば成功だったかもしれない。

そのようなイベントが終わる都度、人生の残り少なさを感じる。
訪れた友人たちの老いも、否が応でも自分に投影してしまう。


M_x10


最終日の私。


原画搬入時の熟年運転手が絶えず咳き込んでいて、風邪をうつされてしまった。会期の半ばから辛くなったが、何とか悪化させずに済んだ。


26日の帰りは旧友たちとコリドー街のトルコ料理屋へ行った。その日はベリーダンスの日で満席だったが、何とか席を取れた。食事中に眼前に迫るベリーダンスの熱い視線と濃厚なドーランの香りに、私はドギマギして魂を抜かれてしまった。


Bd_1


帰宅してから思い出しながら描いた。
私服に着替えて帰って行く彼女は上品なお嬢さん風だった。


最終日の帰りは、版画家の菊池君とY氏と同窓生のお嬢さん四人で宮トオル氏遺作展のレセプションへ出かけた。
ヴァニラ画廊 03-5568-1233 銀座8-10-7 東成ビル地下2F
「沈黙する聖少女。宮トオル遺作展」3月5日まで。
宮トオル氏は幼年期を過ごした奄美の風景と少女を描き、80年代を風靡した。
彼は母よりも3ケ月早く急逝した。

レセプションは終わっていたが、いち子未亡人に無理を言って長居した。


M_11


版画家の菊池氏撮影。
私とY氏。「芸術は爆発だ」の真似。


M_13


荒川土手。


今日は下の荒川土手でヤハズエンドウの新芽を摘んだ。
水洗いするとたくさんの幼虫が水中に落ちた。
早くも春の命の営みが始まっているようだ。

さっと茹でてパルメザンチーズで和えて食べた。
春の香りが口中に広がり、美味しくて幸せになった。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Ma7

Ma_8


|

« 明日、22日から「父は空 母は大地」原画展。16年2月21日 | トップページ | 倒産する会社の兆候と、昔の恥ずかしい記憶。16年3月8日 »