« 「父は空 母は大地」原画展を終えて静かな日常が戻った。16年3月3日 | トップページ | NHKクローズアップ現代 20年後に仕事がない世界がやってくる 16年3月15日 »

2016年3月 8日 (火)

倒産する会社の兆候と、昔の恥ずかしい記憶。16年3月8日

中国市場低迷をきっかけに世界経済が危うくなり始めている。
米国大統領選についても、誰が選ばれても日本には不利になる。
そうなれば、好調だった日本企業にも危うい所が増えるだろう。

関連して、ネット記事で倒産する会社の兆候を特集していた。
どれも合理的な理由があり、とても納得できる。

その1.
給与の支払が遅れ始める。
これはとてもわかりやすい例だ。遅配が数日でも倒産の危険性を内在している。遅配は社員の1ケ月分の蓄えもないこと表していて、無理な自転車操業を続けているうちに、遠からず倒産へ向かう。
自転車操業=自転車は走るのをやめれば倒れてしまう。資金の借り入れと返済を繰り返しながらかろうじて操業を続ける無理な経営。

若い頃、アパートの管理を任されていたことがあった。借家人には時折、家賃が遅れる人がいたが、その全ての人が、やがて滞納が増え引っ越して行った。

私も前の公団アパートで3ヶ月滞納したことがあった。月13万を滞納分とその月の家賃、合計52万プラス延滞利子をまとめて支払うのはとんでもなく大変だった。

そんなことを1年近く続けて、明け渡しに追い込まれた頃、家財を整理していると、金を5パーセント以上含有する赤銅3キロが出てきた。早速、地金屋で分析してもらうと200グラム近くの金が出た。当時は金価格が高騰していた頃で、100万以上で売却できた。それで滞納分を支払った上、引っ越し代も残った。滞納はそのような奇蹟が起きない限り解決は難しい。

その2,
役職者が急に増え始める。
一見、景気良く見えるが、残業代が実質不要な役職者を増やして、深夜まで働かせ、人件費を減らす姑息な手段のようだ。

その3,
無料パソコンソフトを使いはじめる。
重要なウイルス対策ソフトを更新せず、無料のソフトを入れはじめたら危険な兆候だ。

その4,
玄関に厄除けの塩盛りをしたり、風水を気にし始める。
経営悪化の原因を「運が悪い」「流れが悪い」程度に考えている経営者に合理的な前向きの経営は期待できない。私が親しかった社長も倒産寸前に星占いとトランプ占いに熱中していた。

その5,
本業とは無関係の新規事業に手を出し始める。
出版社を経営していた知人もそうだった。出版とは関係ないネイルサロンから飲食店、土産物屋、まで手を出して、最終的に債権者に追われて行方不明になった。

その6,
経理担当が突然退職する。
経理は会社の財政状況を詳細に知る立場にいる。その担当者が退社するのは会社に見切りをつけたと考えられる。

その7,
社長自ら仕事現場で働き始める。
小企業なら当たり前のことだが、大きな企業で、今までそんなことをしなかった社長が突然現場で働き始めて「俺もやるからみんなも頑張れ!」と精神論を唱えだしたら危ない。

その8,
「今年は勝負に出るぞ」と宣言
利益を上げている企業なら勝負をする必要がない。「勝負に出る」と言い出すのは、すでに経営がまずい状況になっていると考えられる。私もよく「勝負に出る」と口にするのでこの例は耳に痛い。自分を思い返しても「勝負に出る」と言っている頃は大抵危険な状態だった。

その9,
経営が傾いているのに、経営陣が居酒屋や小料理屋などで打ち合わせをしている。更にタクシーで帰ったりしていたらたら致命的。

財政状況が良かった頃の習慣が抜けず、経費節約の意識が全くない。
知人の社長も、経営悪化しているのに上記と全く同じ小料理屋とタクシー帰宅の生活を続け、数年後に倒産した。

その10,
経費購入のボックスティッシュがなくなり、街頭で配布されているポケットティッシュに変わった。

ティッシュの購入費用さえなくなったら、終末期だろう。景気が良い頃からのケチな社風なら納得できるが、ある日突然に、トイレットペーパーの使用量など小さなことをケチり始めたらた危ない。

記事の筆者は、会社が潰れそうだと察知したら、一刻も早く転職をした方が良いと勧めていた。しかし、人情で潰れるまで会社に残ってしまう人は多い。それはそれで、どこの職場でもうまくやれる根性がある、と筆者は言っている。ちなみに、この筆者は生涯会社勤めはしない決意のようだ。


M_7


今朝は霧が出ていた。
朝霧は晴れの兆候の例え通り、お昼には晴れて暖かくなった。


昔のドラマなど見ていると、その頃の恥ずかしい記憶がふいに蘇ることがある。
60年代後半のヒッピー文化が流行った頃もそうだ。
私は数ヶ月間だけ、ヒッピースタイルを真似した恥ずかしい記憶がある。本家米国のそれは文明以前の自然と調和した生活とか、ベトナム反戦を基にしていた。しかし、私同様日本人若者の多くは上辺だけのファションの真似だった。

手始めに、ヒッピーご愛用のヤギ毛皮のコートを買った。バックスキン一面に唐草が毛糸で刺繍してあって、とても格好よく見えた。すぐにジーンズのパンタロンにそのコートを羽織って原宿へ出かけた。すると夜店のおじさんに「よっ、格好いいね」と声をかけられた。

普段なら素直に喜ぶのだが、その時の私はひどく落ち込んだ。
コートのヤギ皮の前処理が悪く、獣臭が強かったことを気にしていたからだ。獣臭を芬芬と漂わせながら電車に乗り人混みを歩いて来た自分が露わに見えて、とても恥ずかしくなった。

獣臭はクリーニングに出しても、専用の洗剤で洗っても取れず、結局、数回着ただけで捨てた。それをきっかけに、ヒッピースタイルは止めて、それ以前から流行っていたアイビールックに戻った。
その頃のことを思い出すと、今でもとても恥ずかしくなる。


私も母も、思いついたらすぐに実行する性格で、一般より恥ずかしい行動は多かった。
私は70歳を超えてから、節操のない行動はしなくなったが、母は晩年まで治らなかった。

10年ほど前の年の暮れ、旧居の下を流れる新河岸川を水死体が流れ下って行ったことがあった。歩くのが不自由になっていた母は、見たいから玄関前通路まで連れて行ってくれと頼んだ。
「人の不幸を見物するんじゃない」
私は母をたしなめた。
しかし、今思うと、母は好奇心で見たかったのでない気がする。90代半ばになって、身近かに迫って来た死を確認したかっただけなのかもしれない。


新河岸川の対岸で温泉の掘削をしていた時、突然天然ガスが吹き出て大炎上したことがあった。その時も、見たいと言っていたが、北風が寒く、風邪を引かせたくないので止めさせた。

それから数日後、家庭医のKさんが定期往診に来た。
「このところ、ガス爆発見学で風邪を引いた患者さんが多くて、てんてこ舞いですよ」
Kさんは嬉しそうに母に話していた。
「それは良ございましたね」
隣室で母が楽しそうに受け応えするのが聞こえた。
Kさんは親切で優しいお医者さんだったが、患者が増えず経営は大変だった。
経営を心配していた母は、うっかり口を滑らせたようだ。


その頃の夜、内線電話が鳴ったことがあった。
受話器を取って用件を聞いたが母の声が聞こえない。仕方なく受話器を手に寝室へ行くと、母は電話機を逆さに持って、一生懸命話しかけていた。
「どうしたの」聞くと「ボタンを押してもテレビのリモコンが効かない」と母は反対の手で目覚まし時計をテレビに向け操作しようとしていた。
「それはリモコンじゃなくて、時計だよ」と言うと、
「見もしないで、どうして分かるの」と母は文句を言った。
「そばにいるから分かる」と言うと、やっと傍に私が居ることに気づいた。
「居るなら居ると言えば良いのに」と、ぼやく母の傍らで、なぜ丸い時計と細長いリモコンを間違えたのか、可笑しくなった。
母に関しての記憶は恥ずかしいと言うより、とても暖かくて懐かしい。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

« 「父は空 母は大地」原画展を終えて静かな日常が戻った。16年3月3日 | トップページ | NHKクローズアップ現代 20年後に仕事がない世界がやってくる 16年3月15日 »