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2016年6月26日 (日)

巧くいっている私の養毛方法と、カラスに補食された4羽のツバメのヒナたちと死んだ肉親たち。16年6月26日

エレベーターホールのツバメの巣で抱卵が始まった、と思っていたが、鏡を使って覗くとまだ産んでいなかった。

しかし、夜、帰宅した時、小さな巣から首を伸ばして私を見下ろす顔がとても可愛い。
ツバメは飛びながら虫を捕まえる習性から、ネコやフクロウのように両目がやや前を向いている。鳥たちの中で殊に可愛いのはそのせいかもしれない。

前回のカラスにヒナを補食された親ツバメたちは、いつも緊張していた。しかし、今回のツバメはのんびりおおらかだ。それが運の強さにつながり、カラスの攻撃を避けられれば良いのだが。

住まい前辺りの土手は他より虫が多く、ツバメだけでなく、ムクドリも集まっている。
東京ではツバメの営巣に適した家が減り、住宅難のツバメ同士の巣をめぐる小競り合いが度々起きる。今日も争う鳴き声がしたので見に行くと、巣の縁が少し壊れていた。

とは言え、餌取りをしない暑い日中、5羽のツバメが住まい前の電線に仲良く並んで休んでいた。


母が死ぬまでは、先に死んだ、父、祖母、長兄、姉のことはほとんど思い出さなかった。母が死んでからは毎日のように、みんなを想い出す。


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最近想い出すのは、赤羽台の昔の家にみんなが仲睦まじく集まっている姿だ。
死んだ場所も時期も違うので、このような家族の姿はなかった。

絵は、享年79歳の父。右の着物姿は享年84歳の祖母。その隣は享年43歳の兄。右端は享年69歳の姉。そして車椅子で編み物をしているのは享年97歳の母。それに、先日、ヒナのうちに死んだツバメを4羽を描き加えた。


その頃の家は、手芸好きの母の毛糸や布などの材料と、工芸好きの私の道具や素材で、骨董屋みたいに物だらけだった。

窓辺には絵のようにフィリピン製の貝殻の風鈴が下がっていた。
あの乾いた音を聴いていると郷里の海を思い出す。
壁には私の作品に混じって、母の機織り機や毛糸の編機など手芸の道具が所狭しと下がっていた。本も、二階の床が沈むほどに多かった。それらの膨大な本や道具や素材やレコードなどは二度の引越しで殆ど処分してしまった。


母が31歳の時に私は生まれた。
父は母より10歳上なので41歳だった。
私は4,5歳の頃から父の記憶がある。
その一番古い記憶でも父はハゲていた。だから10代の頃から、自分は45歳前に絶対にハゲると確信していた。

10代の頃、ハゲる時期を父よりも遅らせようと決意し、熱心に養毛方法を調べて実行した。
方法はマッサージと養毛剤だ。
養毛剤は刺激性のものから漢方薬系まで全て試みたが、著効のあるものはなかった。

努力の甲斐もなく、40代に入った私は友人たちの中では一番薄くなっていた。
「よう、てっぺんが薄くなったな」
集まると友人たちからからかわれた。
しかし、それ以降は抜け毛がほとんど停まり、60代になると私の毛髪がみんなの中で一番濃くなった、

今は養毛剤ミノキシジル-商品名リアップ-と洗髪方法を変えたことで更に効果を感じている。
ミノキシジルは血管拡張剤として高血圧治療のために開発された。高血圧治療薬としてはさほど注目されなかったが、服用者たちから、脱毛が止まり毛髪が増える不思議な効果が報告された。それで、養毛剤として俄然注目された。

今の洗髪方法はシャンプーを止め、毎日、お湯だけで丹念に洗うだけだ。
シャンプーを使っている頃はいつも地肌が赤く痒みもフケも止まらなかった。それがシャンプーを止めると、健康な地肌が戻り、フケも痒みもなくなった。
日本の水は軟水なので、お湯だけでも汚れは十分に落ちる。その良い点は地肌に必要な脂分まで落とし過ぎないことだ。脂性の地肌の多くは、シャンプーで落としすぎた反作用によるものだ。

私はシャンプー剤のアレルギーで地肌と毛髪が長年にわたり痛めつけられていた訳だ。
70歳を過ぎた今の髪の毛はしっかりとし、白髪も少なく脱毛も進行を止めている。
それらの効果は、父を反面教師として努力したおかげだと思っている。


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25日土曜日の荒川河川敷。
曇り空から時折薄日が差して、ゴルフ場の芝や木々が瑞々しく輝いていた。


 馬鹿げたことでも一生懸命にやると、大きな価値を生む。

昔、出版社の依頼で考えた諺。結局、その企画は立ち消えになった。
意味は、ラブレター書きやメンコの収集などのつまらないことでも、一生懸命続けていると、いつか評価されて収入につながる。


先週日曜日、友人に誘われて池袋で飲んだ。

宮崎料理の店を見つけたからと連れて行かれた。
裏通りにあるその店は、農園名が手書きで書かれていたり、農具が置かれたりする、今流行りの土臭い作りだ。しかし、見かけは信じない方がいい。出てきた宮崎名物の炭焼き地鶏は似ているだけの別物だった。

炭焼き地鶏は、炭粉をまぶして表面だけ焼いた完全な生焼けだった。
そのくせ、食べ方や付け合わせの生ピーマンやキャベツの食べ方を店員が長々と講釈するのが不快だった。

「講釈はいいから、ちゃんと焼き直してくれないかな」
頼むと、しばらく待たされて火を通した炭焼き地鶏が運ばれてきた。だが地鶏特有の風味が全くない。どう味わっても100グラム25円ほどの安物ブロイラーの胸肉だった。

値段はどれも高いのに、店内は若者たちで大賑わいだった。
そんなインチキをしていたら、あっという間に閑古鳥が鳴き、1年足らずで店じまいだ。


24日夜は眠れないまま、去年公開のSF米国映画「オデッセア」をiTunes storeからレンタルして観た。

火星基地で猛嵐に巻き込まれた不運な事故で、地球へ帰還するクルーたちから一人取り残された男のサバイバルの物語。

彼の救出は4年後に到着する次の火星探査船を待つほかない。
植物学者である彼はジャガイモの栽培をして生き延びようとするが、次々と事故が起きて、絶体絶命になる。そのまま死んでは映画にならないので、ハラハラドキドキの超人的な方法で、彼は引き返してきた仲間に救出される。

突っ込みどころは沢山あった。

その1、
引き返すクルーたちの宇宙船は地球の引力を利用したスイングバックで火星に引き返すのだが、そのアイデアが天才的発想と設定している点。

--2010年12月、日本の金星探査機「あかつき」が軌道投入に失敗した時、5年後に再投入に成功した。この時の複雑な軌道計算の方がはるかに高度なアイデアだった。

その2、
引っ返す時、NASAは物資補給ロケット発射に失敗し、中国の補給船に泣きつく。
中国は交換条件をNASAに飲ませて、補給船を打ち上げる。

日本の補給船「こうのとり」なら無条件で協力していた。
この設定は中国市場を意識した営業上の理由だろう。

その3、
火星の引力は地球の100分の38と弱いはずだ。
それにしては主人公の動作が重苦しいのが終始気になった。

原作はNASAでの人間模様や、助けに戻るクルーたちの葛藤が細やかに描かれている感動の物語のようだ。
原作と映画は別物として考えるべきで、その意味では、その前にレンタルで観た「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」の方が映画的に成功していた。


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