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2016年9月12日 (月)

仕事部屋の大掃除をしたら少し人嫌いになって、一人で静かに過ごしたくなった。16年9月12日

川風が涼しすぎて、タオルケットを2枚重ねにした。
冷たい便座にも秋を感じる。

日曜日は食材の買い出しにアメ横に出かけた。
相変わらず外国人が多く、お祭りのような賑わいだった。
アメ横中ほどのビル地下に密集する中国食品店で腐乳を買った。来客は中国人ばかりだ。腐乳は豆腐を発酵させたチーズ様の旨さがあり、ドブみたいな強烈な匂いの臭腐乳から甘い金山寺味噌風の豆腐乳まで種類は豊富だ。どれも3個1000円と安い。これで熱々のご飯を食べると飛びっきり美味い。

いつもなら買い物をしながら人混みを楽しむ。しかし昨日は人疲れがしてすぐに帰路についた。そのように私は定期的に人嫌いに陥る。しばらくは、赤羽の静かな散歩道で過ごすことになりそうだ。


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荒川土手から荒川対岸の川口方面、望遠にて。


2週間前に知人がガンで亡くなった。
この3年間、彼女は肺・脳への転移と闘いながら仕事を続けていた。
最後に会った頃は声帯に転移し「夜昼なく咳が止まらない」と辛そうだった。
切除すれば咳は止まるが声を失い仕事ができなくなる。彼女は悩んだ末に声を保つ選択をした。
「東京オリンピックまで生きていたいけど、到底無理」
彼女は後に残す家族を案じながら、辛そうに話していた。

人は死そのものよりも、死に至る過程を恐れる。
私も同じで、死ぬことより老いて衰弱しても死がすぐにやって来ないことを恐れている。これから年々老いて行き最後に死を迎える。その間、どうやって生活費を確保するか目算は全くない。

知人はそうなったら生活保護を受けると言っていた。私はそこまで割り切ることはできない。なぜなら、そう決意をした途端に生気を失って行くからだ。無気力にただ生かされていても楽しくはない。だから、必死に健康を保っている。


ガンと闘っていた彼女は健康や命に対して謙虚で、思いやりがあった。
しかし、世間には元気自慢の中年女性が多くいて、閉口させられる。
そのような元気おばちゃんに、うっかり老いの寂しさなど話そうものなら、
「私は元気元気!! 老いなんか吹き飛ばしなさい」とか「寂しいなら若い友達を増やせばいいの」と反撃を受ける。私は長く付き合ったかけがいのない友人たちとの死別の寂しさを話しているのだが、彼女たちに言わせると、友人など簡単に補充できるものらしい。

母と死別して落ち込んでいた時も、
「誰でも死ぬものよ。さっさと忘れて自分の人生を楽しみなさい」とか「嘆いていると、あの世でお母さんが悲しむわよ」とか、元気おばちゃんたちに散々説教された。
私はグリーフケアの教科書の「悲しみは人に話すことで癒される」に従って話していた。しかし、彼女たちには理解できなかった。


不意に母が「車椅子を曳いてもらう」と言っていたことを思い出した。
「車椅子は押す、だろう」と訂正しても、終生直らなかった。
その時は深く考えなかったが、死後、「車椅子を曳く」は車夫が曳く人力車を使っていた名残だと分かった。

大正2年生まれの母は子供の頃からしばしば人力車を使っていた。久留米から隣の二日市温泉へ行く時、高良山へお参りに行く時、養母と一緒に人力車に乗って出かけていた。
養父の愛妾たちに盆暮れの付け届けをする時も、それを嫌った養母は母一人に届け物を持たせ人力車乗で愛妾巡りをさせていた。

一番、母の印象に残っている人力車は実父が危篤の時だ。
久留米の荘島小学校の授業中、突然、養父がやってきて早引きさせた。
母は二人乗りの人力車に養父と一緒に乗った。
「どこ行くと」と聞いても養父はほとんど答えなかった。

人力車は門構えの家に着き、若い女性が泣きながら母を迎え入れた。
奥の寝室へ連れて行かれると、布団の上に男性が正座して待っていた。
「千代しゃんか、大きくなったね」
笑顔で迎え入れた男性の傍では、出迎えた女性が子供のように泣き崩れていた。
母は女性を「大人のくせにみっともなか」と冷静に眺めていた。

帰りの人力車でも養父は無言だった。
しかし、先ほどの男性が自分の実父で間もなく死ぬことや、出迎えた女性が後添えだったことなど、周りの会話や雰囲気で母は理解していた。養父母は養女であることを隠さずに母を育てた。だから、実父がいたことを知っても母は驚かなかった。

すぐに死ぬ人がなぜ笑顔で正座して自分を迎えたのか、後年まで母は疑問に思っていた。
「最後の気力を振り絞って、優しい父親の記憶を残そうとしたのだろう」
母に説明すると納得していた。

実父は久留米藩重臣の嫡男として生まれ、維新後も没落せずに裕福に育った。
遊び好きのドラ息子は染物屋の娘を見初めて、突然家を出た。当時の染物屋は身分が低く、実父の母親は激昂し、実父はすぐに廃嫡させられた。そして実家は次男が継いだ。

生真面目な次男の家系は各界で成功した。
その子孫たちは今も裕福に暮らしている。
対して実父は、一時は官職を得たが、母が生まれるとすぐに実母が死去して生活は荒れた。赤ん坊だった母は養女に出された。

それ以後も、実父は浮き沈みの激しい苦しい生活を続けた。
危篤になって母が会いに行った頃は、そんな彼が第一銀行に就職して再婚し、やっと安定した生活が始まる矢先だった。


母が天草で生まれた頃も、実父は官職に就いて安定した生活をしていた。
自分が体が大きくのびのびとした性格に生まれたのは家庭が安定していたからだ、と母はよく話していた。ちなみに、母の荘島小学校の先輩に画家の青木繁とブリジストン創設者の石橋正二郎がいる。


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荒川土手から。


最近、面白い法則をネットで読んだ。
その一つは「ウッダーソンの法則」
女性は29歳までは自分より少し上の男性を好む傾向にある。
それから31歳までは同年齢の男性を好む。
それから39歳までは1歳年下を好む。
それから上は、いくら年齢を重ねても40歳あたりの男性を好む。
どうやら男の40歳は人生で一番モテる時期のようだ。

もう一つは「ピグマリオン効果」別名「ローゼンタール効果」
教育心理学における心理的行動の一つ。
心理学者が子供たちを無作為に二つのグループに分けて、担任教師に任せる。
その時、一つは大変優秀な潜在力を持っていると教師に期待させ、もう一つは無能で成績向上は望めないと期待させない。
すると、潜在能力があると言われたグループの成績はぐんぐん上昇し、そうでないグループの成績は低迷する。それは優秀だとか、無能だとかの思い込みが教師の教育姿勢に影響するからだ。

私は南九州の素朴な漁師町の小学校で育った。
その頃、私が描く絵は下手でも上手くても無条件に先生は満点をくれた。学友たちも同じで、私が何を描いても「まーちゃんは絵がうまい」と褒めてくれた。おかげで、私は絵の才能に対しては何の疑問も感じないように育ち、都会の学校に転校した頃には絶対的な自信に変化していた。だから先生が評価しなくても、学友たちがけなしても絵に対する自信は揺るがなかった。

その自信は今も同じだ。自分の作品がどんなに認められなくても挫折したことはない。これは理想的な「ピグマリオン効果」を幼少期に受けたからだと思っている。

そしてもう一つ心理的行動は、創造性が豊かな人ほど机が散らかっている。
私の机や仕事部屋も大変に散らかっている。
しかし限度はあり、土曜日は気分転換に1日かけて隅々まで徹底的に掃除し、画材や道具類を整理整頓した。私は人嫌いになると仕事部屋の大掃除をする傾向がある。


新Macはやっと全ての設定が完了し問題はなくなった。
今月末に今使っているニフティのホームページURLサービスが終了し、新しいサービスが始まる。それに合わせてHPの大改造をしている。最近のユーザーの半数はスマホなので、スマホでも見やすいように簡略化するつもりだ。しかし、長年使い続けたURLやHP画面との別れには一抹の寂しさを感じる。


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Goof

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