終末期に見る、死者が迎えに来る幻覚。16年11月3日
久しぶりに暖かくなって、荒川河川敷からのそよ風が心地よい。
60歳から70歳へは一瞬で過ぎた。
それ以上に早く、死期は一瞬で訪れるだろう。それで、スケジュールを真っ黒に埋め尽くすような生き方はやめた。貧しくても、自然や刻々と過ぎて行く月日をしっかりと受け止めて過ごしたいと思っている。
・・・我々は土から取られたちり・・彼の遺体を地にゆだねる・・土は土に、灰は灰に、ちりはちりに・・・
キリスト教徒の埋葬の際に唱えられる祈祷書の言葉が、ふいに思い浮かんだ。
それは全ての宗派に共通する死への意識だ。
最近、人工知能に委ねられた近未来社会のことをよく考える。自分より考えることが優れている機械が現れた時、人は自分の存在意義に悩むはずだ。ネコやイヌなら悩まずに肉体や感覚に従って生きられるのに、人にはそれができない。日常の全てに「なぜ、なぜ」と理由を考えて悩み続ける。
しかし、人は夏の青空や、春の野山や、厳冬の雪景色など、自然の移り変わりに感動できる。論理的に説明することは難しいが、人は自然の一部だから感動できるのだろう。人の存在意義は感動できる心にある。そして感動は、死を受け入れる力になる。
荒川土手の空。
終末緩和ケア医・奥野滋子氏の死についての記録を読んだ。
奥野滋子氏によると、死を前にした多くの人が死者が迎えに来た幻覚を見て安らかに逝く。
その記述の中で、身寄りのいない60歳女性の終末が心に残った。
彼女は卵巣癌で、夫とは死別し子供はいない。実母は学生時代に亡くなっている。
彼女は腹水が溜まり、体はやつれ、自力で動くこともできない。
ある朝の回診で、彼女は母親が病室に来たと話した。
母親は窓辺に腰掛け外を見ていた。話しかけても自分を振り返ってくれないのがとても寂しかったと彼女は話した。
何も答えてくれない母親に、自分は何か悪いことをしてしまったのだろうか、と彼女は悩んでいた。
翌日の回診でも彼女は「母親が背を向けたまま振り返ってはくれない」と、暗い顔をしていた。
翌々日、彼女は清々しい顔で回診を待っていた。
彼女は嬉しそうに「母親が私を振り返ってくれました。いろいろお世話になりました。私はもう大丈夫です。ありがとうございます」と礼を言った。その日の午後、彼女は血圧が急下降して意識がなくなり、夜中に亡くなった。医学的に説明するなら、臨死状態で分泌される脳内麻薬エンドルフィンによる多幸感の中で、彼女は母親に手を引かれながら旅立って行ったのだろう。
家族に囲まれての死はドラマの中だけだ。現実には、そのような別れは少ない。家族が居ようと居まいと、人は一人で死ぬ。24時間体制で家族が付き添っていても、トイレか台所へ立った一瞬に死ぬこともある。隣で寝ていた夫か妻が、朝には冷たくなっていることもある。悲惨なことだが、元気だった赤ちゃんが、静かに寝ていると思ったら突然死していたこともある。
ちなみに、私は母の最後の吐息と心音を聞くことができた。それは極めて稀で幸せなことだ。しかし、私がそう思っているだけで、死に逝く母の気持ちは別かもしれない。母の意識は遠すぎて、私が傍で手を握っていることにすら気づかなかったかもしれない。
その逆に、私が傍にいたことを喜んでいたかもしれない。
死者の気持ちは、良いように考えるほかない。
そう信じるのが最善だと思っている。
しかし現実には、母は終末期に先に逝った父、姉、兄の幻覚をしばしば見ていた。
だから、多幸感に包まれながら父兄姉たちに伴われて旅立ったと信じている。
釈迦が語った苦しみに「愛別離苦」がある。
どんなに愛し合っていても、死別の苦しみがある、との意味だ。
努力しても、最期は一人で死ぬほかない。
しかし、多くの救いが用意されている。
その一つが、終末医療の医師が見た「お迎え」現象や、臨死状態で分泌されるエンドルフィンによる多幸感なのだろう。
夕暮れの荒川土手。
死者より、死別によって残される者の苦しみの方が深いかもしれない。
その結果、死後や終末医療への希望を書きとめる終活ノートが注目されている。
これは近い将来、AI=人工知能を使ったものに変わると思っている。
具体的には、本人の声をAIに登録し、マニュアルに従って自分の考えをAIに詳細に記憶させる。そして、自分が危篤状態に入った時に子供や妻たちはAI化された自分と会話する。
「お父さん、危篤で意識がないけど、延命治療や胃瘻をしてもらう」
するとAIは父親の声で、まるでそこに生きているように答える。
「延命治療は一切しないでくれ。それで助かるわけではなく、ただ苦しい時間が長引くだけのことだ」
AIの目は周りの人たちも認識し、妻や子供の顔を認識し名前で語りかける。家族は死後の墓のことや遺産相続について、残された妻や子供たちは生きている父親を前にしているように話し合うことができる。
それは今すぐにでも、コストさえかければ可能な技術だ。Macの音声入力ソフトSiriを使った明瞭な受け答えを聴きながら、そんな近未来の終活を考えていた。
医学的には肉体は絶えず入れ替わり、数年で別の肉体に代わる。それでも自分が自分であると確信できるの記憶の継続性によるものだ。上記のように、人工知能によって自分がさらに完璧になれば、形だけの不死が得られる。
だが、それは寂しい不死だ。
太古から繰り返されて来た自然死こそが素晴らしい終わりだ。
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