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2016年12月14日 (水)

不安・悩みは実体のないものを想像することで生まれる。現実をそのまま受け入れれば幸せになる。16年12月14日

 早朝、5時に目覚めて荒川土手へ上ると、まだ薄暗いのに多くの人が散歩していた。
土手に腰掛け、朝焼けの空をぼんやりと眺めた。
冷たい風が心地いい。遠く鉄橋を過ぎる列車や枯れ草の葉擦れの音、行き交う足音。
その感じるものだけが、それ以上でも以下でもない現実の全てだった。


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老子荘子によると、ぼんやりと何も考えないのが最上の生き方だ。「井の中の蛙」は偏狭な悪い意味で使われているが、荘子の考えでは違う。もし神の目で地球を見たら、地上の人々は全て井の中の蛙だ。超エリートが世界の全てを知っていると胸を張っても、それは宇宙から見れば砂つぶより小さな地球上のさらに小さな取るに足りない満足感だ。山奥の小さな村落で終える人生も、世界中を飛び回っているビジネスマンや政治家の人生も、万物斉同・大差はない

 昔、母の介護をしている頃、赤羽を出るのは画材を買いに行く数ヶ月に一度だけだった。しかし、自分の世界が狭いとは思わなかった。
その頃、毎日、自然公園へ車椅子で母を連れて行っていた。公園の日々変化する自然の美しさは飽きることがなかった。早春、真っ先に新芽に彩られるのが柳だと知ったのも、真冬の陽だまりの枯葉の下にオオイヌノフグリの可憐な青い花が咲いていることを知ったのも、その頃だった。

不安や悩みは実体のないものを想像することで生まれる。脚色せずに感じたままを受け取っていれば人は不幸にならない。そんなことを早朝の土手でぼんやりと考えていた。


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夕富士


 人生には希望や恋などの喜びがあるが、死への恐怖、哀しみ、怒り、悩み、不安、孤独などの苦しみが占める割合はとても大きい。苦しみには肉体的なものと精神的なものがある。肉体の苦痛はシンプルで治療法がある。孤独の苦しみも恋人や親友や家族の出現で解決する。しかし、怒りや不安など心の苦しみを癒すのは難しい。

不安の多くは現実に起きていない実体のないものだ。
会社が倒産し失業する不安。上司と仲違いして出世の道が閉ざされる不安。あるいはガンになるかもしれない健康上の不安。自分や家族が病気や事故に巻き込まれる不安。それらは、がん検診を受けたり、交通ルールを遵守したりと合理的な解決法はあるが完全ではない。悩むことで解決できるのは、技術上の問題や、社会科学的な問題だけのことだ。

死への恐怖は解決できることではない。悩んでも悩まなくても人は死ぬ。同じ結果なら悩まないほうが良い。誰でも最後に死の苦しみに晒されるが、すぐに終わる。怒りはプライドを傷つけられて起きる。しかし、傷つくことがないのが本当のプライドだ。強靭なプライドがあれば何を言われても怒りは起きない。共に木で鼻をくくるような解決策だが、それ以上の解決策は現実にはない。


 老子荘子などの中国古代思想には知恵や知識はいい加減なもので実体はない、との考えがある。知恵とは即ち物事が分かることだ。その「分かる」について面白い記述があった。「分かる」の語源は「腐ったリンゴをより分ける」などの「分ける」で、「比較する」「差別する」と同じ意味だ。だから「分かる」を使う時、人は「分かる対象」を無意識に選り分け、何かと比較して差別している。

「分かる」は不安と密接な関係がある。
近い将来、地震が起きると分かると、人は平穏な今との違いを比較して不安になる。疲れ知らずで元気いっぱいだった人が、がん検診で進行がんに罹っていたと分かったとしたら、不安に押し潰されてしまう。しかし、現実には健診前の健康感に溢れていた体と全く変わらない。夫の浮気を知った妻も同じだ。知る前までは、不倫の気配もない愛情に溢れた夫であったのに、不倫が分かった後は憎い別人になってしまう。

悩みはそのように分かって比較することから生まれる。荘子や老子が知識はないほうがいいと言った深意は知識が人を不幸にすると見抜いていたからだ。


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カリンと月

「知識は無駄なもの」とはいかにも乱暴に思える。
知性の塊みたいな老子荘子がそのようなことを言うのは自己否定だ。しかし、繰り返すが真意は違う。知識はいつか人を不幸にしてしまうと見抜いての言葉だ。

荘子の「不測に立ちて無有に遊ぶ」は努力の成果など期待せず、のんびり楽しく生きよう、と言った意味だ。その言葉も「知識は無駄なもの」から派生している。努力の成果など、あやふやで煙みたいなものだ。努力はその行為自体に価値があるわけで、やりっぱなしにさっさと忘れてしまうのが最上だ。

努力して失敗すると、もう努力などしないと投げやりになる人がいる。
先日、ネット上で「電車内で老人に席を譲ったら断られ腹が立った。二度と親切にしない」との投稿が話題になった。私は老人なので、席を譲られて断った老人のプライドはよく分かる。だが、若者の親切を冷淡に断る態度は実に無礼だ。

しかし、若者の「もう二度と、老人に席を譲ったりはしない」も大人気ない。親切はリスクを伴うものだ。その若者の取るべきは、親切を断られても腹を立てないことだ。現実には、親切にされたほとんどの老人は感謝しているからだ。

上記の若者のように失敗を怒ったり失望したりして、失敗を恐れて行動しなくなると平凡な人になる。ある調査では平凡な人のほとんどは失敗した経験がない。対して成功した人のほとんどは、無数の失敗を経験している。失敗を恐れて行動しない人生はつまらない。


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もうすぐ満月だ。
冬の月は透明で美しい。
母の介護をしている頃、夜中、母によく呼ばれた。大抵は「今何時」とか「裕子とは長く会っていないけどどうしているの」とか、死んだ姉が生きていると錯覚してのことだった。しかし一度、ベット傍の簡易トイレを使った後、転んで起き上がれないことがあった。だから、呼ばれれば急いで駆けつけていた。

その夜、呼ばれたので急いで駆けつけると、母はベットに腰掛けて外を見上げていた。
「今夜の月は綺麗ね」
母は目を細めて言った。
「本当に綺麗だね」と相槌を打ちながら、母が逝けば一緒に月を眺めることはなくなると無性に寂しくなった。あれから10年近く過ぎたが、今も月を見上げるとその夜の母を思い出す。


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