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2017年1月13日 (金)

凍てついた早朝の月に昭和を想う。雪道で滑らない歩き方。17年1月13日。

夜明け前、ゴミ出しのついでに荒川土手に上った。
斜面の草地はバリバリに凍てつき、草の葉を縁取っている霜が美しい。

土手上は早朝散歩の中高年が引きも切らない。
街を見下ろすと、朝の音が心地よかった。


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今朝の月。
オレンジピンクの満月が西の空に沈みかけていた。


絵のような走る新聞配達を今は見かけない。
昔は牛乳配達の自転車荷台のガラス瓶がガラガラとぶつかる音に目覚めていた。新聞配達の若者に、玄関前を掃除していた年寄りが「ご苦労さん」と声をかけているのが寝床まで聞こえた。今はホンダカブの断続的なエンジン音がそれに代わり、人と人との関係は薄くなった。

私が上京した昭和30年代は、早朝から洋品屋や一膳飯屋が営業していて、早朝勤務の工場労働者や日雇いの人たちで賑わっていた。それらはコンビニや24時間営業のファーストフード店に代わった。


朝の透明な冷気の中、昔の光景を思い出していると、空き缶を満載した自転車が通り過ぎた。多分、下流の河川敷に住んでいるホームレスの人だろう。
日本のホームレスは生活の保護の資格があっても、公に頼ろうとしない。
以前、深夜の新河岸川の河畔で座禅を組んでいたホームレスの人がいたが、近づきがたい後ろ姿に、その人の人生が気になった。

昔の年寄りたちは、そのような人たちに気楽に声をかけ、おにぎりや下着などをあげていた。母も同じで、新河岸川河畔のホームレスに食べ物をやったついでに、身の上話を聞いたりしていた。

その中の一人の老人はマグカップで自分で挽いたコーヒーを飲んでいた。老人は元会社経営者だと母は話していたが真偽はわからない。母よりも年上だったので、とっくに亡くなっただろう。


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夕暮れの新河岸川に架かる浮間橋。


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浮間橋から新河岸が上流の夕日を見る。
この写真は水面に映った風景を上下逆転させたもの。
手前のリベット締めされた鋼板は新幹線・埼京線橋桁の底面。


明日明後日あたり、氷点下3度に達し雪も舞うようだ。
関連して、テレビで凍った雪道の歩き方をやっていた。

凍った雪道を歩く時、絵のように大股で、踵から着地すると、とても滑りやすく危険だ。
踵からではなく、土踏まずでの着地を意識し、地面と平行に靴底を着地させる。
絵のように膝は伸ばさず少し曲げ、腰を落とす感じで、歩幅は短くちょこちょこと歩くと決して滑ることはない。更に、靴先を内側に向け気味にすると滑りにくい。

昔、厳冬期の釧路へ行った時、坂道がスケートリンクみたいにガチガチに凍っていた。
地元の人はお年寄りでも平気で歩いていたが、登山靴の私は何度もなんども派手に転んで、みんなに笑われた。
私は地元の人の靴底は雪国仕様だから滑らないと思っていたが、専門家によると上記の歩き方をすれば、靴底に溝のない紳士靴でも滑らずに歩けるようだ。

今の季節だと、大きな靴店に北国仕様の靴が置いてある。
それらは靴底に雪が凍りつかない仕様で、埋め込んだスパイクやセラミックで滑りにくい。
着脱式のスパイクも1000円ほどで売っているので、今のうちに買っておくと良いだろう。


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荒川河川敷ゴルフ場向こうの川口方面。
冷たい風が心地いい。


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