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2017年3月22日 (水)

人生は死を受け入れるための儀式だ。17年3月22日

テレビを止めると時間が流れる音が聞こえる。
微かにキーンというような静かな音だ。
それをぼんやりと何も考えずに聞き入っている。
音を心地よく意識し始めたのは50代からだ。
若い頃は、それは退屈な音で、感じればすぐに行動していた。

万物斉同、総ての人が寸分違わず誕生で始まり死で終わる。
石を食べ息を止めても死なず、永遠に生き続ける人などいない。

TVCMで加藤諒が不老不死の役をしていた。
CMで加藤諒は明るく語っているが、もし死なない人生があったらゾッとするほど辛い。

宇宙にも終わりがある。
その時、原子は素粒子レベルまで分解し、宇宙は光を失い冷え切った真っ暗な闇になる。不老不死なら、暗闇を漂いながら孤独に永遠に生き続けることになる。それは究極の恐怖だ。周囲に知人友人、肉親が存命なうちに死ぬことこそ最上の幸せだ。


生きている喜びがあるのは、心のどこかで自分の死を意識しているからだ。
総ての人は死に至る年月を、労働、愛、家族、創造、遊び等々と、儀式を執り行うように生活している。総ての人生は、どれも初めてで最後で、二度目は絶対にない。

死を受け入れるための儀式は人生に飽きることだ。
だが、どんなに長生きしても、飽きることはとても難しい。
人生は楽しく飽きが来ないから死が辛くなる。
人生に飽き飽きしていたら、死は安らぎに変わり、死への恐怖は消える。

飽きが来るほど人生が嫌になるのは難しいが、その手前のぼんやりするだけなら誰でもできる。
年老いて、エネルギー値が低くなれば、公園のベンチでぼんやりと空を見上げて、静かな心地良さを味わうことができる。
ただし、やり残したことがあってはその境地は難しい。
やり残しがあったら、強引に諦めることだ。
それなら、誰にでもなんとかなる。

ぼんやりすることは宗教における瞑想と同じ効果がある。
だから、ぼんやりできれば、死を少しだけ楽に受け入れられる。


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21日、催花雨に霞む荒川対岸の川口方面。
この雨の名は美しい。


私の同年の友人たちが集まると、決まって親世代のことが話題になる。
皆、長命の親ばかりで、中には105歳まで生きた親がいる。
「親が死んだ歳まで25年。自分が達するのは到底無理だな」
そんな言葉でその話題は終わる。

今の若者たちより、我々はタフに育った。
しかし、厳しい戦中戦後を生き抜いた親の世代は心身ともに我々よりはるかにタフだった。親の世代は完璧なオーガニックの食物で育ち、体の出来が我々とはかなり違っていた。


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先日のお彼岸に、大堂津での子供の頃の法要を思い出した。

粗末な仏壇なのに、とても丁寧に読経をしてもらっていた。子供にはその時間が長くて「しびれたー」と言っては、母や姉に叱られた。

絵の中で生きているのは私と隣のテルコ姉だけだ。
そこに兄と父の姿はない。父は山っ気が多く、いつも一発逆転の新事業を起こそうと駆け回っていて、その都度借金を重ねていた。
祖母に溺愛されていた兄たちは祖母と暮らしていた。祖母は兄たちに死に水を取ってもらえると期待していたが、色々あって私が東京に引き取り、母と二人で在宅で看取った。

この頃、母は大変に苦労していた。しかし、私たちが元気で明るかったのでとても楽しかったと、後年よく話していた。

仏壇横に見える風景はすっかり変わった。
グーグルのストリートビューで見ると、畑や田んぼは住宅地に変わっている。左手奥の山は城山と呼ばれ、山頂に茶畑があり、遺跡のように石碑や石仏がたくさん並んでいた。


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東京北医療センター下の公園のユキヤナギ。

先日の深夜、新海誠監督「秒速5センチメートル」を見ていたが、淡々とした描写に退屈して途中でやめた。
淡々と日常を描いた作品は多くある。小説では村上春樹作品がそうだ。
若者たちがそれらを好むのは、リアルな人生が希薄だからかもしれない。自分にもあり得る淡々とした作品群は、希薄な人生に輝きを与えてくれるのだろう。

音楽では、英国のブライアン・イーノが提唱したアンビエント=環境音楽もそのジャンルにある。ブライアン・イーノのアンビエントはエリック・サティの楽曲「家具の音楽」から影響を受けている。「家具の音楽」は意識的に聴くのではなく、家具のようにいつも傍にある音楽と言った意味だ。


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散歩道路傍のボケの花。
野生種なので小さくて可愛い。


最近、花粉症に風邪が重なって酷い目にあった。
一番ひどくなった17日に、知人と寄席へ行く約束をしていてたので休むわけにいかない。それで、その日の午前中に耳鼻科へ行って薬を処方してもらった。

耳鼻科の医師はソシアルダンスが大好きな元気なおじいさんだ。いつも空いていて待ち時間なしなので気楽に行ける。水っぱなや咳き込む子供たちで大混雑の耳鼻科ほど嫌なものはない。空いている理由は一度でしっかり治してくれるので、患者が何度も通わないからだ。

予想通り待ち時間なしで、抗炎症剤の噴霧と吸引をして、抗アレルギ剤と抗菌剤と解熱剤を処方してもらった。すぐに服用して夕方まで眠ると、嘘のように熱も引き、鼻水も収まっていた。おかげで寄席へ行き、深夜まで知人と飲んだ。

知人の知り合いの噺家が恵比寿のホールを借り切っての公演だった。満席だったが、志ん生、円生、三遊亭金馬等々、綺羅星のような名人たちを生で見ていた身としては、どうしても楽しめなかった。それが、40年間寄席へ行かなかった訳だと、あらためて分かった。

若手がどんなに上手に先人たちをコピーしても、名人たちのように戦前の江戸の名残を知らなければ古典の味わいは表現できない。


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17日以来、iPodに志ん生を入れて聞きながら歩いている。繰り返し聞くのは志ん生の粗忽長屋だ。何度聞いても身をよじらせるほど可笑しい。ニヤニヤ歩いている私は、異常者と間違われたはずだ。


昔、溝口健二監督「近松物語」を見た。
昭和29年制作で、近松門左衛門「大経師昔暦」を川口松太郎が戯曲化した「おさん茂兵衛」の映画化作品だ。戦後間もない貧しい時代であったにもかかわらず、日本髪も着物も調度品も全て完璧な美しさだった。この美しさは、今の若い美術担当には到底無理だ。
それでも50代以下の人たちには新鮮で、若手の古典落語同様に十分に楽しめる。だから、楽しんでいる若い人たちに昔は良かった、などとは言わないことにしている。


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赤羽も桜が開花した。


姉はニューヨークへ出発するまでに歯を治している。
米国での歯科治療は費用・技術ともにできる限り避けた方が良いからだ。
姉がこちらへ引っ越して来る前に住んでいた駒込の歯科医院へ行くのは大変だと言うので、赤羽駅近くの上野歯科医院を薦めた。先日が初診日で、帰宅した姉はインフォームドコンセントの的確さと丁寧さに大感激していた。これからの治療も的確にやってもらえる。病院の選択も、人生にとって大切なことだ。


冬は好きだが、寒さに飽きて来た。
今は無性に満開の桜を眺めたい。
この様子では、到底、人生に飽きたりしない。
終局へ向かう身としては執着が残り、辛い死を迎えそうだ。


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Goof

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