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2017年4月14日 (金)

生まれながらに悟りの境地、悩みなく幸せなアマゾン・アモンダワ族とピカソ考。17年4月14日

赤羽北の公団住宅に住んでいた頃のことだ。
緑内障で失明したお隣のネコのモモちゃんは、毎日のようにヒゲで壁との距離を測りながら我が家へ遊びに来ていた。
彼は失明の不幸を悩んでいるようには見えなかった。
もし彼が人であったら、自殺を考えるほどに悩み苦しんだはずだ。

モモちゃんが悩まなかったのは、健康な頃の自分と失明した自分を比較しなかったからだ。
人の悩み苦しみは、過去の自分や他人と今の自分を比較することから生まれる。昔は健康でお金持ちだったが、今は病弱で貧乏だとか。お隣は裕福で家族に恵まれているのに、自分は貧乏で孤独だとかだ。

未来に対しても、30年以内に大地震が起きるとか、ガン家系だから自分もがんになるかもしれないとか、失業するかもしれないとか、現実に起きていない妄想に苦しむ。

しかし、世界には過去の自分や他人との違いや、明日のことを悩まない種族がいる。
ブラジル・アマゾンで1986年に発見された、150人ほどのアモンダワ族がそれだ。彼らは自分の過去も未来も考えない。
彼らにも子供の頃の記憶はある。しかし、子供の頃の自分と今の自分は同じ自分だと割り切っていて、比較したりしない。彼らには年、月、日も時間の概念もなく、数字は4までしかない。もし、五個〜十個の果物があったとすれば、沢山あると表現する。

月日時間の概念は、夜、昼、雨季、乾季があるだけだ。
明日の感覚もなく、今生きている現実が全てだ。
だから、彼らは極めて幸せに暮らしている。
禅語に「前後を際断せよ」がある。
過去と未来の際で断ち今に専念せよとの意味だ。
彼らの姿勢は悟りの境地にとても似ている。

しかし、彼らが発見されてから30年は過ぎた。今はボルトガル語を使い教育も受けている。彼らがどう変化したか不明だが、昔より確実に不幸になっているだろう。

人類が農耕を知って、支配者が富を独占し始めてから数字は発展した。
対してアモンダワ族は富は平等に分配するので、数字は4までで十分だった。
明日のことも考えないから、平均余命が20年とか10年とか考える必要もなかった。


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4月10日月曜日、銀座で知人の個展を訪ねた後、千鳥ヶ淵まで歩いた。
暗くなって着いたが、期待していた桜のライティングはなかった。
交番で聞くと「前日の9日まででした」と気の毒そうに教えてくれた。
それでも桜は満開でまだ散っていず、花見客は多かった。
お堀の向こうの斜面に目をこらすと、月光に浮かび上がる桜が美しかった。
絵は、翌日ドトールで描いた。


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ドトールの窓外の通行人。
印象に残った人を描いた。


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11日は雨だった。
旧居の公団住宅前の桜。
引っ越してきた頃、桜は手で握れるほどの幼木だった。
幹を撫でながら、幼い花が可愛いと話していた母を思い出す。


最近、ピカソのドキュメンタリー番組を見た。
感覚を二次元化する圧倒的な才能がテレビ画面から伝わってきた。
彼のような巨匠はこれからは生まれないはずだ。
今は秀でた表現力の意味が変質し、誰でも表現し発表できる時代に変化したからだ。
これからは彼のような巨匠は必要とされないだろう。

彼の出現は時代が味方した。
もし彼が10年早く、あるいは10年遅く生まれていたら、優れた画家にはなれたが巨匠にはなれなかった。スペイン国籍も味方した。彼はナチスドイツに占領されたパリで暮らしていたが、ナチスとスペインは同盟関係にあり、反ファシストであったにもかかわらず深刻な迫害は受けなかった。

フランコ政権に依頼されてドイツ空軍がゲルニカを無差別爆撃したことに対する抗議として、彼は巨大な作品「ゲルニカ」を描いた。これは彼の最高傑作の一つとして評価されている。番組ではステレオタイプに「祖国の悲劇に対する怒りを圧倒的に表現している」と述べていたが、私はそうは思わなかった。

造形的に力強く大変に優れた絵画ではあるが、この作品に怒りは感じない。それは怒りを描いた多くの歴史的名作に共通することだ。優れた芸術的作品には心地良さがあり、怒りは薄められてしまう。むしろ、無名の素人の稚拙な絵の方がはるかに怒りや残酷さを純粋に表現している。例えば被爆者が描いた絵などがその代表だ。対して、丸木夫妻による原爆の図は芸術的美しさや心地良さがあり、そのぶん怒りや悲惨さは薄められている。

ピカソは歴史上、世界一裕福で高明な画家だったが、幸せかどうかは別だ。
彼は自分以外を愛することができず、人としては不幸だった。
彼の旺盛な制作欲は、あくなき生への執着だった。
だから、死や、ぼんやり過ごすことを極度に忌み嫌っていた。
彼の死の半年前の自画像が番組で登場したが、生への執着と恐怖が描かれていた。アモンダワ族とピカソを比べると全く逆に思える。


ピカソと比べて、ゴッホは早く生まれすぎた。
ゴッホの生涯で売れた数枚の作品の合計額より、ピカソの画室に残された灰皿の吸い殻やゴミ箱の方が100倍は高く売れるはずだ。ゴッホの自殺の原因は、貧しい画商・弟のテオから、仕送りはもうできないと手紙で知らされたからだ。

番組でピカソの絵がオークションで100億で落札された。
今ならその倍で売れたかもしれない。オークションは貧乏絵描きには目眩を覚えるような光景だ。100億は1年に1億使っても100年かかる。そこに所得格差が異常に開いてしまった資本主義の終焉を感じる。

ピカソの絵はバブルの頃、大量に日本へ持ち込まれた。
ほとんどはヨーロッパでは売れないピカソの二流品だったが、日本では名前だけでバカ売れしてヨーロッパの画商はボロ儲けした。バブル崩壊後、それらの多くはヨーロッパへ売り戻されたが、購入価格の1割ほどに買い叩かれた。

中国バブルでも同じ現象が起きた。
しかし、中国富裕層は日本のバブルに学んでいるので、日本人ほどカスを掴まなかったはずだ。


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12日、赤羽自然観察公園へ行った。
自然の桜も美しい。
中央崖上に見事なコブシの古木があったが、その向こうに建設予定の道路にかかっていたので伐採された。この風景を見ると喪失感を覚える。


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伐採されたコブシの古木。


公園で、毎日、母を車椅子で連れて行っていた頃の知人に会った。
「母が死んでから7度目の春です」
と話すと「そんなに過ぎましたか」と、知人は感慨深げだった。

 死に支度 致せ致せと 桜かな 小林一茶

新聞に載っていたと知人から教えてもらった。
歳を重ねた今、この句はとても心に染み入る。


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Goof

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