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2017年4月 9日 (日)

上野、新宿御苑、赤羽と桜三昧の毎日を過ごしながら、幸せについて考えている。17年4月9日

NHKのガッテンは缶詰を美味しく使いこなすスペシャルだった。
缶詰は今でこそ安価だが、私が子供の頃は高価だった。殊にミカン・桃の缶詰は貴重で、病気にならないと食べさせてもらえなかった。米軍横流しのパイナップル缶となると更に高価で、よほど裕福な家でないと手に入らなかった。

もっとも私が育った漁師町では、米軍占領下の沖縄近海に漁に出かけ漁師が、ついでに米軍基地からパイナップル缶やチョコレートなどを仕入れて密貿易していた。そのおかげで、時たまおすそ分けにあずかった。

高嶺の花のミカンや桃の缶詰は八百屋の棚に麗々しく飾られていた。戦争直後は砂糖不足で果物缶詰の生産は激減していた。店頭の缶詰のほとんどは戦前の品で、10年以上を経て錆が出ているものもあった。

番組では賞味期限は3年と言っていたが、缶詰は膨らんでいない限り100年を経ても中身は安全で、食べても何の問題も起きない。我々の世代は缶詰の上下面が少しでも膨らんでいたら押してペコペコ具合を感じて安全を確認した。
缶詰は新しいのは美味しくない。殊にオイル漬けのツナ缶等は3年以上熟成した方が美味しいと番組で話していた。

高価だった缶詰は、昭和30年代から急速に安くなり、庶民的な食べ物に変化した。キャンプなどへ行くときはサバ缶やイワシ缶を必ず持って行った。


番組ではホタテ缶で冷汁を作っていた。
出演者たちが美味しい美味しいと食べているのを見ながら、不意に母を思い出した。
終末期、母はしばしば食欲が極端に落ちた。
そんな時、ホタテの身をほぐし、出汁で五穀米を煮込み、みじん切りの野菜を加えてホタテの雑炊を作った。母はこれだけは何とか食べてくれた。

そう言えば母が死んでからホタテ缶を食べていない。
金が入ったら、アメ横でホタテ缶をまとめ買いしよう。


今週は、上野公園と新宿御苑の桜を見た。
上野公園の帰り、東京文化会館の入り口で広島の筆本舗・史芳堂がで店を出していた。
イタチ毛の面相筆が315円と通常の半分以下と格安だ。
聞くと店主の父親が死ぬ前に作ったもので、在庫をさばいているとのことだ。
腰があって出来がいいので6本買った。今の面相筆は当たり外れが多く、10本買ってまともに使えるのは1本ほどだ。買った面相は使ってみて、それからネット注文することにした。

そのあと、アメ横で買い物していると雷鳴とともに猛烈な驟雨がやってきた。
10分ほど二木の菓子の店内で雨宿りしていると止んだ。おかげで余計な買い物をしてしまった。その夜の花見の宴はどこも大騒ぎだっただろう。


好天の翌日は新宿御苑へ行った。
相変わらず外人が多い。桜は美しいが、去年ほどの感動はなかった。
広場の芝生に横になり、青空を見上げながら20分ほどウトウトした。
その後千鳥ヶ淵へ行く予定だったが意欲が失せ、そのまま帰宅した。


今年は赤羽の桜が心に染み入る。
母が死んだ2010年の桜もきれいだったが、今年の春は更に美しい。
北区には静かで美しい桜が多くあるのに、マスコミで紹介されることはほとんどない。


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雨の降りそうな夕暮れ、赤羽・岩淵水門近くの桜。
広々としていて気持ちがいい。


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土手上の桜はのびのびと枝を広げている。


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お花畑との対比が美しい。
近所で働いているらしいベトナム人男性二人が楽しそうに写真を撮りあっていた。


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近所からの花見客が絶えない。


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荒川対岸、川口の高層マンションと桜。


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好天の浮間の桜。
木漏れ日が爽やかだった。


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皆、桜を見上げて歩いているが、足元には可憐なスミレが咲いていた。
赤羽はスミレが多い。


100分de名著で三木清の幸福論をやっていた。
正しいことを言っているが、回りくどくて分かりづらい。
しかし、西欧哲学のスキルのあるインテリには好まれそうだ。

彼の考える真の幸福は一瞬で通り過ぎるものではなく、確固として壊れないものだ。しかし、そんなに堅苦しく考えなくても、一瞬でも楽しければそれでいいと私は思っている。

 喜怒は四時に通ず 荘子

自然に喜びが湧き起これば楽しみ、怒りが起きれば哀しむ、無為自然に時々を受け入れればそれで良い。

三木は幸せのために戦え、と言っている。三木がそう考えたのには戦争の時代背景があったからだ。しかし、目標にすればその瞬間に幸せは遠ざかる。幸せは勉学によって得られる特別なものではなく、幸せ研究家が認証する類でもない。自然に暮らしていれば誰でも等しく得られるものだ。

 心はまことに死灰のごとくならしむべし 荘子

喜びにも悲しみにもしがみつかず、さっさと燃やし尽くして忘れるのがいい。

三木の言う持続的な幸せは観念的で危うい。
感覚的な喜怒哀楽を頭で考えるから分かりづらくなる。

 学を断てば憂いなし 老子

世界的にヒットしたイスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」では、知力が人を不幸にしたと知識を否定していた。これは知力万能主義の西欧人としては画期的なことだ。


老子荘子は知識を無用なものと言っているが、完全否定ではない。
その点で老荘思想と絵描きは似ている。
絵描きは徹底的にデッサンを修練して基礎を作るが、基礎ができたらデッサン力を排除して素朴に絵を描く。なぜなら、デッサン力は純粋な表現力を阻害するからだ。同様に老子荘子も純粋に自然に従うために、自然と対立する知識を否定した。


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先日紹介した筆鉛筆。三菱Hi.uni 10B 金軸・定価1本400円と高価。
三菱鉛筆は最高品質の証として鉛筆頭に金帯を入れてあるが、筆鉛筆は金帯2本だ。
世界中の鉛筆を仕事で使って来た経験でも、筆鉛筆は最高品質だと確信している。
筆鉛筆は筆圧が必要ないので、今まで一度も折れたことがない。

筆鉛筆は削り機は使わず、一刀彫りのように六面をスパッと削る。
木質と芯質が大変良質なので、この削り作業がとても気持ちよい。


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安価な紙に、日に20枚ほどサラサラと描いては捨てている。
筆鉛筆は描き心地が良くて楽しくて止まらない。
半紙にも描いてみたが、淡墨のような味わいがある。


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Goof

Mas

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