日南紀行あとがき。17年6月4日
日曜の駅への道を若い男女が歩いていた。
昨夜は一緒に過ごし、どこかへ遊びに行くところだろう。
女はスタイルもセンスも良く、とても可愛い。対して男は小太りの体を細めに見せようと黒の上下。どう見ても女の方が魅力がある。
女は甘えるように男の手を握ろうとした。すると男は髪をかき上げるふりをしてその手を避けた。ムッとした女は男を追い抜きプンプンと先を行く。男は慌てて追いかけ横に並んだ。
逃げたり追いかけたりと恋愛は忙しい。
それが恋の醍醐味で、若い頃はその煩わしさが楽しかった。
帰り道、荒川土手にサイクリングに来ていた中年夫婦が川向こうの河口方面を眺めながら休んでいた。二人はベタベタくっくわけでもなく会話もないが、互いの信頼感が遠目にも分かる。その絶妙な距離感がとても良い。先の男女がそのようになるには20年は紆余曲折を繰り返す必要がありそうだ。
60年ぶりの日南市大堂津への帰郷で大勢の旧知の人たちに会った。
帰京後も様々人と会う機会が多く躁状態になっていた。
躁は初めは新鮮で楽しいが、一ケ月近く続くと重苦しくなって軽い鬱に替わる。
その重苦しさから脱するには人と会わないのが良い。
一人散歩の孤独感は安らぐ。
いつものコースを散歩し、好きな場所でぼんやりするのが良い。
ぼんやりと夏空を見上げていると嫌なことを忘れる。
郷里では二日に渡って古い友人たちと会い、子供たちや父兄を前にして講演した。
その様子は宮崎日日新聞に写真入りで掲載された。
終わった後、友人たちが宮崎空港まで車で送ると言うのを固辞して、大堂津駅で列車を待った。
大堂津駅は無人駅となっていた。
戦前の建物は実にしっかりと作られている。
見かけは廃墟だが傾きも雨漏りもない。
しかし、ひさし下のベンチは風雨に晒され染みだらけだ。
誰も使った形跡のないベンチに腰掛け、雑草生い茂る鉄路を眺めながら1時間に1本の宮崎行きの列車を待った。
ホームで列車を待つ者は一人もいなかった。
暗い曇り空から、時折、大粒の雨がバラバラと落ちては過ぎて行った。
昭和20年代、その小さな駅に駅員が5人はいた。
駅舎脇には国鉄の官舎があった。
貨物引き込み線のホームではマル通職員が干物の箱や塩辛の樽をムシロと荒縄で巧みに梱包し、山のように積み上げていた。
駅舎の軒下でスコールを避けていると、不意に60年前の賑わいが蘇った。
当時の駅は町の社交場で、老人たちは孫の手を引いて機関車を見に来ていた。
子供だった私たちは肉親や知人を待つだけでなく、下車する人を物珍しく眺めていた。
列車を待つ間、"You Raise Me Up"を聴いていた。
歌詞がとても心に響く。繰り返されるYouは、それぞれの、伴侶、恋人、家族、そして心を癒してくれる自然だ。曲を聴きながら荒れ果てた線路を眺めていると切なくなった。
2両編成のディーゼルカーの乗客は私を含めて5人だった。
次の油津駅に着くと、先生に引率された100人ほどの小学生が乗車して賑やかになった。
私の前に10歳ほどの女児二人が腰掛けた。彼女たちは宇宙人を見つけたように、見慣れない風体の私をまじまじと見つめていた。日南では、パナマ帽の大人など珍しいのかもしれない。
「ぼくは絵描きだよ」
タブレットで作品を見せると、周囲の子供達がワッと集まって覗き込んだ。
「本物の絵描きさんに会えてよかったわね」
引率の先生が子供たちにお礼を促した。
子供たちは元気よく「ありがとうございます」と次の飫肥駅で下車して行った。
車中が急に寂しくなった。
農村地帯の北郷に入ると列車は雨の広瀬川沿いに走った。
護岸工事がしていない昔のままの清流が懐かしい。
時折、線路際まで生い茂った照葉樹林の枝が車窓をバタバタと打った。
青島駅で途中下車した。
青島駅は無人駅になり、土産物屋の通りは廃墟になっていた。
観光客どころか人っ子一人歩いていない。
駅では人がいないのを幸いに、台湾から来たカップルが濃厚なキスをしていた。
このような寂しい青島を撮るのは昔は無理だった。
60年前は宮崎交通創業者岩切章太郎氏が南国化に大成功した時代だった。
全国各地から新婚旅行カップルが大挙押しかけ、青島は毎日が祭りのように賑わっていた。
宮崎空港で飛行機を待つ間、県の観光課トップを務めた友人と食事をした。
「フェニックスやワシントニアパームは即刻伐採して宮崎本来の在来種、ビロウやソテツと植え替えるべきだ。本物の熱帯へ誰でも安価に行ける時代に、偽物の南国では人を集めることはできない。本物の自然の照葉樹林や昔のままの広瀬川の清流を売り出すべきだ」
そんなことを力説したが
「過去の成功体験にしがみついている観光業界にそれを理解してもらうのは大変なことだ」
彼は力なく応えた。
帰りの飛行機では爆睡し、目覚めると羽田だった。
東京は好きだ。
いつもの散歩コースを歩いていると落ち着く。
今も様々な思いが渦巻いていて、後に書くべきあとがきを先に書いてしまった。次回は本文の日南紀行を記入できるだろう。
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