日本人の発想力は豊かだが、それを生かせない日本企業は衰退した。NHK「ドキュメント72時間・男が靴を磨くとき」の有楽町現場へ行った。17年9月25日
文春オンラインで藤原敬之氏の栄光の「モノづくり日本はなぜアップルに負け続けているのか」を読んだ。
概略は・・世界的競争力を辛うじて保っているのは自動車・ゲームだけで、「モノ作り日本」はガラパゴス化の中で取り残されてしまった。そもそも日本人は本当にモノづくりの才能があるのだろうか・・と彼は日本人の才能に疑問を呈している。
その一例として・・16世紀の日本人はそれまで見たこともない鉄砲を僅かな年月で世界最大量生産したが、鉄砲そのものを創造したわけではない。「目の前に現れた鉄砲」は作れるが、「無から鉄砲を創造すること」は出来なかった・・としている。
その原因を宗教にも結びつけていた・・西欧の一神教「神の世界」を「理想」と置き換えることで、様々な哲学や思想が生まれ、現実に無いものを創りだすというモチベーションが生まれる。それが画期的なモノ(発明・製品)を生み出すことに繋がる・・それに対して、多神教で宗教観が希薄な日本人は理想の描き方が弱いと彼は思っている。
読み終えて強い違和感を覚えた。彼は世界の科学技術史を理解していない。
鉄砲は中国で火薬が作られたことから発想された。中国辺境の自然環境には硝石が多く、日常生活の中で偶然に硫黄と炭粉が混ざって黒色火薬は発見された。火薬から鉄砲の初期形態の臼砲、ロケット、爆弾への発想は自然な流れだ。臼砲は字のごとく臼に火薬と岩石などを詰め、爆発させて岩石を飛ばす兵器だ。それらは進化しながらシルクロードを経て西欧に伝わり、より使いやすい火縄銃へ進化した。
西欧人も中国初の鉄砲に触発されていて、無から鉄砲を生み出した訳ではない。
江戸時代、日本の火縄銃は近代的な銃へ進化しなかったが、それは世界で唯一、日本は軍縮をやり遂げた平和国家だったからだ。兵器開発を制限された結果、火縄銃は究極までに洗練され芸術に変身した。
そもそも科学技術もアートも無から新しいものが突然に生まれることはない。アインシュタインの相対性理論は物理学の積み重ねの延長線上に生まれた。天才ピカソはアフリカの土俗文化に触発されてあの作風を生み出した。
彼は留学生の少なさを指摘していた・・米国への留学生は中国が33万人に対し日本は1万9000人。人口比に換算すると、台湾からの留学生の約6分の1である。だから、日本はますますガラパゴス化の中で自ら取り残されて行く・・と決め付けていた。確かに、英語下手が国際的な活躍を低下させている。日本の大学の地位が国際的に低いのも英語力にある。
しかし「それがなんだ。それがどうした」と言うのだろうか。
ガラパゴスを揶揄する彼の発想に外資系に身を置いた者特有の西欧崇拝を感じる。
彼は、日本はこのままでは世界の孤児になり貧しく落ちぶれる一方だ・・と言い、中国、シンガポール、韓国のように英語を普及させて若者はどんどん外国へ出て行くべきだ・・と力説する。しかし、中国、シンガポール、韓国は我々の手本になるような素晴らし国家だろうか。そう思っているのは、拝金主義のエコノミストたちだけだ。
はたして世界と日本が違うのは悪いことだろうか。
ドイツやフランスやイタリアは国際化の為に自国文化を否定したりはしない。ベンツやBMWは自国文化を大切にしたからこそ生まれたドイツ的な個性だ。フランスやイタリアの服飾や食文化の豊かさも個性を大切にしたからだ。
日本のガラパゴスは金儲けには不向きだが、自国文化を守り抜く姿は没個性へ向かっている世界では貴重な存在だ。数値崇拝のエコノミストには容認できないだろうが、世界でどれだけ売れたかを誇ったり気にしたりしないのが真の未来志向だ。自国の文化を大切にして、程々の生活ができて、穏やかに一生を終えられるとしたら、それこそ本当の幸せだ。世界何位と競争に明け暮れていては環境破壊は進み幸せは遠くなるばかりだ。
ガラパゴス家電には素晴らしいものがたくさんあった。
先日、ファックスを使う必要があって20年前の製品を押入れから取り出してコードをつないだ。すると、20年間内臓電池が時を刻み続けていて正確な時刻を表示し、送受信も正常に行われた。今更ながら昔の日本製品の優秀さを再確認した。しかし、この誠実さはガラパゴス化の象徴として唾棄されてしまい、今はすぐにゴミになる中国生産の家電ばかりに変わってしまい残念でならない。
世界中が英語を話し、同じような家電を使い、欧米風の生活をするのが素晴らしいことだろうか。シンガポールのように、がむしゃらに他国語を学び、がむしゃらに外貨を稼いで自国文化を否定していたら人生は空しいばかりだ。今、海外旅行客が日本に殺到している。それはガラパゴスと言われるほどに独自文化の魅力が残っているからだ。
彼はアップルを大絶賛していた。
しかし、アップルは立派なことをして世界制覇した訳ではない。
数年前、アップル製品のコネクタを作っている中小企業の島野製作所がアップルを訴えた。その経緯は、アップルからコネクタを依頼された島野製作所は新製品を開発し増産体制を整えた。しかし、アップルは契約を反古にして発注を止め、島野製作所の特許とノウハウを無断で海外企業に提供して安く作らせた。その結果、増産体制は無駄になり特許権も侵害された。それでも我慢して再取引を要請すると、大幅値下げと高額リベートを要求して来た。それで島野製作所はアップルを訴えた。
島野製作所は優秀な企業でアップルなしでもやって行けるので訴訟に持ち込めた。しかし、泣き寝入りしている日本の中小企業は多い。このような汚い事はアマゾン、グーグル、サムソンなど、海外の成功した大企業なら当たり前のようにやっている。
日本人に発想力がないと彼は言っているが大間違いである。日本の経営者が新発想を理解していないだけで、日本人に新発想の才能がないわけでは決してない。伝統的に日本の大企業は世界初のアイデアを採用する勇気がない。海外企業が先に採用して成功しそうだったら慌てて後を追う。日本の特許公報には、そのように企業から無視された世界初のアイデアが死屍累々と連なっている。
日本の特許公報は宝の山だ。海外の専門家はそれらを漁り、特許公報に掲載されたアイデアの70パーセントが海外メーカーに盗まれている。藤原敬之氏はそのような海外メーカーの裏面を熟知しているはずなのに、アップルなどの海外メーカーを目指せとは道義がなさすぎる。
昔、私は発明に熱中し200件以上のアイデアを出願した。その中の二つは権利が消滅した後に海外メーカーに使用(盗用)されて世界的に使われている。その頃、大手電機メーカーに、アイデアを売り込んだことがあった。その時、社外のアイデアはどんなに素晴らしくても採用しないと門前払いされた。
ソニーが世界企業になったのは、当時はまだ中小企業で世界初に果敢に挑戦する元気さがあったからだ。そして今、ソニーが衰退しているのは大企業に成長して大企業病に罹り挑戦しなくなったからだ。
日本経済の問題点は日本人の資質ではなく事なかれ主義の経営陣にある。その事実から目を背けていては日本経済の浮上はありえない。
夏雲の名残。しかし、秋は一気に進んでいる。
帰宅してテレビをつけると、1964年東京オリンピック開会式の日本晴れの大空に描かれた五輪マークの逸話をやっていた。五輪マークは当時、住んでいた北区十条からも大きく見えた。私はオリンピックには興味なく、開会式のテレビ中継の音声を遠く聞きながら空を見上げていた。
その前の、聖火リレーの時は環七沿いに並ぶ大群衆の頭上を、聖火の煙がぴょんぴょん跳ねながら進んでいくのを記憶している。当時、環七は全線開通前で十条付近はほとんど車の通行はなく、舗装されているのは中央車線のみだった。あれから53年が過ぎた。当時の知人たちのほとんどは鬼籍に入り、思い返すと切なくなる。
東京北医療センター庭の彼岸花。
土曜はアメ横へ食材を買い出しに出かけた。その後、銀座へ回った。前夜見たNHKの「ドキュメント72時間・男が靴を磨くとき」がとても良かったからだ。場所は見慣れた有楽町駅前の交通会館だ。この辺りと見当をつけて行くと、地方の農産物直売の催事で埋まっていて靴磨きコーナーはなかった。
仕方がなく1個110円の食用ホウヅキを五個買ってその場で食べた。
お盆に仏前に飾る日本本来の真っ赤なホオヅキも好物だ。こちらは苦くて酸っぱいが、子供の頃はみんな喜んで食べていた。殊に女の子は皮を破かないように丹念に中身だけを取り出して食べ、皮だけにした球形のホオヅキをくわえてギュウギュウ鳴らして楽しんでいた。
法螺貝の一種の卵・海ホウヅキは側面に丸い穴が開けられ赤く染めて塩水に漬けたものを駄菓子屋で売っていた。こちらはホオヅキより耐久性があったが高価だった。
食用ホオヅキはオレンジ色で甘酸っぱくとても美味しい。しかし、知らない人が多くあまり売れていない。それでサクラになってあげようと、女店主と立ち話をしながらポケットからホオヅキを取り出しては食べた。すると、興味を持つた客が立ち止まり次々と売れた。
目的だった「ドキュメント72時間・男が靴を磨くとき」は、今では珍しくなった「路上の靴磨き」だ。熟練した職人たちの手にかかると、くたびれた靴でも10分でピカピカの新品に変わった。客の靴への思いは深い。就職した時に母親から買ってもらった靴、妻が心を込めて買い求めてくれた靴、営業マンが取引先に覚えてもらいたい一心で買った高価な靴、知床から陳情に来た町長が担当省庁へ向かう前の身だしなみの靴、それぞれの男たちの心情は心を打った。
下世話だが、10分間1100円なのに行列して待つ客の多さを見ると、職人さんたちはかなりの高給取りだ。低料金の東南アジアやインドアフリカの靴磨きが見たら羨望の世界だろう。
交通会館の後、顔馴染みのエスニック衣料店へ寄って女主人と立ち話した。彼女は読み終えたからからとメーテルリンクの「青い鳥」堀口大學訳の新潮文庫版をくれた。子供の頃、絵本で何度も読み内容は熟知している、と思っていたが、堀口大學訳は美しく精緻に描かれた大人向けの戯曲だった。
読みながら美しい画像が次々と思い浮かんだ。
1日に2幕読んで、二日目で半分読み終えたところだ。
青い鳥を手に入れることで人間は自然を支配できる。青い鳥を巡り、人間に支配されたくない自然の動植物や夜の妖精たちとチルチルミチルと飼い犬のせめぎ合いがファンタジックに描かれている。
チルチルミチルに青い鳥を捕らえてくるように命じた妖女と光の精は神に近い存在かもしれない。いずれにせよ、チルチルミチルは本物の青い鳥を捕らえることはできない。
| 固定リンク