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2018年1月24日 (水)

20センチ越えの大雪と、人工知能が目指す無人国家と、西部邁の死と「川は流れる」。18年1月24日

22日月曜日、久しぶりの大雪だった。
午後3時、雪が激しくなったので写真撮りに出た。


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荒川土手は北風が吹き付け、ビニール傘に雪が凍りつく。
吹雪にも関わらず、インスタ用の写真撮りの女性に幾人も出会った。大雪は滅多にないインスタ映えの機会なのだろう。
いつも行くカフテリアで一休みして、日が暮れないうちに周りの雪景色を撮った。


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東京北医療センター庭

病院下の桜並木をミニバンが大きくダッチロールしながら猛スピードで過ぎて行った。若者の無謀運転かと思ったら、運転していたのは老人だ。雪道の危険性を全く自覚していない様子だった。


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帰り道、夜になっても降雪は弱まらず、さらに雪は積もっていた。

買い物を済ませ、6時に帰宅した。炬燵をつけてホッとする間もなく、外でガタンと大きな音がして停電した。非常用懐中電灯を点け、ろうそくを探し出して灯した。

停電では何もできず時間はゆっくりと流れる。昔、登山をしていた頃の夜を思い出す。聴覚が鋭くなり、遠くの木から落ちる雪の音が聞こえた。

30分ほどしてやっと回復した。都内の停電は長くても10分以内に回復するので、今回は異常に長い。夜11時、玄関を開けて荒川対岸の川口市を眺めたが、まだ雪に霞んで何も見えなかった。気象庁発表の東京の気温よりこの辺りは2,3度は低いので、外はすでに氷点下まで下がっているだろう。


23日、日中は比較的暖かい。
雪解けが進むのを待って散歩へ出た。
散歩コースの8割は除雪してあるが、残りは踏み固められて歩きにくい。アウトドア用の革靴が重く、いつもより疲れた。
帰り道、濡れた舗道が凍り始め、氷の結晶が小さくキラめいていた。


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夕暮れの荒川土手。


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 雪の朝 紅さすきみを 幻に

昔の句だ。この写真はたくさんの山茶花だが、句は新雪に落ちた一枚の花弁を詠んだ。

午前0時、玄関前通路に置いた温度計は-1度。明日朝は-7度あたりまで下がりそうだ。ちなみに、我が家あたりの気温はさいたま市とほぼ同じ。24日朝のさいたま市は-8.6度で観測史上最低気温。だから、-7度以下に下がっていたかもしれない。

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散歩途中、環八沿いの旧居近くに差し掛かると、いつも住んでいた13階の部屋を見上げる。夜になっても明かりがついている部屋はとても少ない。しかし、稀にその部屋に小さな明かりが点いていると昔を思い出す。

母が健在の頃は、明かりが見えるとホッとした。幸せというほどではないが、あの頃は今よりずっと穏やかな時間が流れていた。

今の住まいは公営で、家族がいないと入居できない。それで姉と暮らしている。
買い物も料理も洗濯も全てそれぞれ別個なので、二人はただの同居人のようなものだ。

母は絵を描くことや手芸が大好きで、いつも休みなく何か作っていた。しかし姉は、テレビを見ているかごろ寝しているかどちらかだ。
母と私は共通項が多く会話は多かった。しかし、姉とは考えの共通項がなく、1日に数度「アー」とか「ウー」とか短い言葉を交わすだけだ。
そんな姉でも死別したら寂しいのかもしれない。


先日、各国の未来技術の実験場となっているシンガポールを特集していた。未来技術の大半はAIを使った無人化技術だ。
「車の運転も、流通も、総て無人化を進め、社会の無人化を達成します」
シンガポールの担当官は胸を張ってインタビューに答えていた。
「ほほう、それで国民も無くしてしまう訳か・・」
AIと機械だけの荒漠とした街を想像しながら苦笑してしまった。

彼が自慢するように、シンガポールはすでに近未来に近づいている。日本より所得が多い彼らは家庭で料理をしない。食事は朝から外食ですます。彼らの冷蔵庫に食材は一切なく飲み物だけだ。だから台所にはまな板も包丁もない。
外へ出れば箱のような建物ばかりで、人臭い胡散臭さがない。そんな街は私には退屈で、半日も耐えられそうにない。

Eテレで未来学者が、寂しさもAIが解決してくれるので、未来社会では誰とも関わらず一人で生活できるようになると話していた。
そのころは人工知能が人の脳とダイレクトに繋がり、勉強しなくても世界中の知識を身につけることができる。バーチャルリアルティにおいても脳自体がそれを感じるようになり、恋愛も冒険も実体験するようにAIに感じさせてもらう時代が来る。

荘子の胡蝶夢は、現実が夢なのか、夢が現実なのか分からない、と言った寓話だが、近未来ではそれが実現しそうだ。

そのような未来社会では、ストレスを伴うリアルな恋愛や結婚をする者は激減し、大半の人が一人暮らしを選ぶようになる。そうなれば人口は激減し、シンガポールの役人が嬉々として話していたように地球は無人化するのだろう。


右派の評論家の西部邁氏が先日、多摩川に入水自殺した。享年78歳。
昔、私は左寄りだったので、彼の考えは受け入れ難かった。しかし、歳をとるにつれ、彼の考えに共感することが増えた。

精神科医が書いた自殺の本に、真冬に入水自殺する人は死への強固な意思がある、と書かれていた。自殺未遂する者は死に対して曖昧な気持ちがあり、楽な死を選んで失敗するようだ。

彼は2014年に伴侶に先立たれ、厭世観に囚われるようになった。体調が悪かったことが死を選んだ要因だが、社会的評価も高く家族にも恵まれていたのに、最後にたどり着いた荒涼とした心を思うと胸が痛んだ。

彼は東大生の頃、全学連の中央執行委員だったが、昭和36年に活動と決別した。
その頃、仲宗根美樹「川は流れる」が大ヒットした。
彼はその曲が大好きで、晩年になっても、いつも口ずさんでいたようだ。

「あの曲が好きだったので川への入水自殺を選んだろう」
自殺報道の中で彼を知る人が話していた。
それで、iPodに入れてあった「川は流れる」を聴いてみた。
曲は仲宗根美樹ではなく高橋真梨子だ。

 病葉(わくらば)を きょうも浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて 哀しみに 染まる瞳に たそがれの 水のまぶしさ・・・

素晴らしい歌詞の名曲だ。
高校の頃、音楽部主催の合唱会が開催された。
校内にはハスが生い茂る弦月湖と呼ばれる広い沼地があった。
その傍の古い木造講堂壁の陽だまりに若い男女が集まり「川は流れる」の合唱が始まった。
私は集団からから離れ弦月湖の岸辺でガリ版刷りの「川は流れる」の歌詞を眺めていた。南九州は歌のうまい者が多い。若者たちの大熱唱が今も心に深く深く残っている。


Ma_3

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Goof

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