« 20センチ越えの大雪と、人工知能が目指す無人国家と、西部邁の死と「川は流れる」。18年1月24日 | トップページ | 逆流性食道炎の検査に胃カメラを飲みピロリ菌の検査をした。18年2月9日 »

2018年2月 3日 (土)

老後に稼げる額と、IT企業の定年は35歳。18年2月3日

夜来の雪は昼過ぎには消えた。
寒さは厳しいが、淡雪に春の足音を感じる。


M_8

荒川土手と河川敷のゴルフ場。

相変わらず貧乏絵描きをしているが、今はポツポツと仕事が入り、最悪ではない。
しかし、先行きはどうなるかわからない。
それで、シルバー人材センターへ行って、今の自分が働いて得られる収入を調べてみた。

最高額は北区が雇用するふれあい館管理で、月平均就労76時間=77,365円。
楽な仕事だが70歳までの年齢制限あり。
次は北区管理の駐輪場管理人で、月平均就労91時間=77,365円と収入はふれあい館と同じ。就労時間が15時間多い分収入は少ない。こちらは年齢制限はない。
いずれも競争率は異常に高く「まず就労は難しいですね」と係員は話していた。
それ以外の仕事のほとんどの月収は少なく、平均3〜5万円ほどだった。
シルバー人材センターで調べて分かったのは、年金でなんとか生活できるお年寄りが、暇な時間を有効活用してお小遣いを稼ぎたい場合のみに適合し、生活費のために働きたい人には不向きだった。


昔、知人は大企業のIT部門でプログム開発にあたっていた。
当時はコンピューター草創期で、将来を嘱望された最先鋭の仕事だった。
しかし、彼は30代半ばで突然退社し、電子部品関係の小さな商社を始めた。
「なぜ安定した仕事を捨てたのか」と問いただすと「プログラム開発は35歳に壁があり、幹部候補以外のほとんどは他部署に回される。だから退社した」と話していた。

彼の商社は時代の波に乗り順調に売り上げを伸ばしたが、2000年を過ぎたあたりから下降線をたどり自然消滅した。
数年前、風の噂で70歳間近の彼は私大の用務員をしていると聞いた。
「エリートコースを歩いていたのに、落ちぶれてしまったか」と同情していたが、シルバー人材センターへ行ってそれは勘違いだと知った。

用務員の仕事は電球の取り替えとか、備品の簡単な修理とか軽い仕事ばかりだ。清掃などの業務は外部に任せるので、さほど大変な仕事ではない。それでいて20数万の月収があり福利厚生もしっかりしている。比べて、シルバー人材センター所属の一般老人は、せいぜい月平均4,5万ほどだ。老人仕事の中で彼は勝ち組だった。


今、中国・深圳のIT系企業は大躍進していて、新入社員でも優秀なら年収は1000万を軽く超える。しかし、実態は大変に厳しく、幹部候補生以外は35歳で退社させられる。それは韓国も似ていて、サムソンでは40歳前に退社を迫られる。

それに関連して、シリコンバレーで働いていた日本人についての記事を読んだ。
彼は関西の名門校から東工大に現役合格した。
在学中に仲間と連れ立ちITペンチャー企業に入り浸り感化された。それですぐに東工大を中退し、米西海岸の大学へ留学した。

米大での在学中、ロスやサンフランシスコのIT企業で働くと、日本の数倍の年収2000万ほど稼げた。それで米大も中退し、シリコンバレーで本格的に働き始めた。

年収は十分にあったが、彼はどうしても個人主義の米国には馴染めず、いつまでたっても友達も恋人もできなかった。高価な食事。高価な服に時計。贅沢はできたが砂を食む思いだった。
そのうち彼はレイオフにあい帰国を決意した。
その時の30歳を超えたばかりの彼の所持金は、退職金2000万、貯蓄2000万、株3000万と合計7000万ほど。普通なら、若者には多すぎるくらいの資金で、旅行をしたり、タイあたりで数年のんびり過ごしたりするのだろうが、彼はすぐに日本のIT企業に再就職した。
IT業界の35歳の壁が彼の脳裏にあり、焦ったのかもしれない。

日本企業では収入は3分の1に落ち、就労時間は連日深夜までの残業が続いた。その上、期待した友人も恋人もできないまま酒に溺れるようになった。
楽しみはネットでの株投資だけだったが、アルコール漬けの頭ではミスの繰り返しで、7000万ほどの貯蓄はあっという間に消えてしまった。

気の毒だが、彼は生き方を間違えていた。
若い頃の彼はお金さえあれば幸せになれると信じていたようだ。
その分、お金以外の知識は疎くて、友人も恋人もできなかったのかもしれない。

そんな彼は酒に溺れて落ちるまで落ち、どん底へ達すれば、人はどう生きたら幸せになれるのか分かるかもしれない。もしかすると、すでに彼は、お金だけでは幸せになれないと感じているのかもしれない。


Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

« 20センチ越えの大雪と、人工知能が目指す無人国家と、西部邁の死と「川は流れる」。18年1月24日 | トップページ | 逆流性食道炎の検査に胃カメラを飲みピロリ菌の検査をした。18年2月9日 »