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2018年3月15日 (木)

あっという間に春。焼き鳥を食べて嬉しそうな少年。 18年3月15日

畑違いのIT関係に熱中していた。
最近、その書類書きにとても頭を使った。
先日などは、使いすぎて脳がシーンと静まり、何一つ考えられなくなった。
生まれてから初めての経験で、とても驚いた。
何も考えられなくなる状態は面白い。
何しろ、何も考えられないのである。
楽しいことはもちろん、嫌なことも、辛いことも、何も考えられなくなった。
もしかすると、これが悟りに入った状態なのかもしれない、と思った。

熱中していたテーマのプレゼンが近くあって、結果はすぐに出る。
勝つか負けるか何も予測していない。
勝負事好きは我が家の伝統だ。
勝ちにも、負けにも慣れている。
しかし、長いこと負け続けているので、今回もまた負る、と思っている。

若い頃は負けるとしばらく引きずっていた。
今は10分で立ち直り、次の勝負事を探し始める。
何しろこの歳になると残り時間が少なく、いつまでも引きずっていられなくなったからだ。


赤羽駅近くで知人が個展をしている。
散歩コースなので、気が向いた時に寄ってお茶をする。
女性画廊主は素人で本気度が薄い。
彼女と話しているうちに、「残り時間が少なくなったので、何に対しても一生懸命になる」と話した。
「残り時間が少ないなんて、何言ってるの。若いくせに。うちの父は90過ぎだけど、あなたより元気よ」
彼女はすかさず言い返した。
「残り時間が年々少なくなって行くのは現実でしょう」
とついつい反論して、しまったと思った。
彼女は、むやみやたらに元気を押し売りする"元気おばちゃん"だった。
相手にしなければいいのに、抑えが効かないのは、脳が疲れているからだ。
こんな時は逃げるに限る。
すぐに画廊を飛び出して、家路を急いだ。
家へ急いで帰っても、何も良いことはないのに、と思いながら家路を急いだ。
「昔は楽しいことが家に沢山あったな」
と思いながら急いだ。

昔は、金属をトンカチ叩いて溶接し、オブジェを作ったりして本当に楽しかった。
夜寝るのが嫌になるくらい楽しかった。
大工仕事も楽しかった。
2キロ離れた材木屋へベニヤ板や垂木を買いに出かけて、
汗をかきかき担いで帰った。
夜中までトンカチやっても、山の中で近所から文句は出なかった。
都内なのに山の中に住んでいるのはとても贅沢だった。

広大な土地持ちだった材木屋は廃業して駐車場に変わった。
その一部に、今はマンションが建っている。
そんなことすべてが懐かしい。
今も道具は揃っているが、集合住宅では、音のする作業は一切できないのが寂しい。
キーボード脇に昔使っていた小槌がいつも置いてある。
仕事に疲れると、それで肩や首筋をトントン叩いている。
指跡通りに窪んだ、小槌の白樫の柄を撫でていると、むやみやたらに昔が懐かしくなる。

絵を描くのは楽しいが、体を使ってものを作る方がずーっと楽しい。
間もなくやってくるAI時代を人らしく生き抜くヒントは、
そのようなアナログな手仕事にあるのかもしれない。


先日、深夜に放映の「リトルプリンス」を録画して、それを昨日寝る前に見た。
サン=テグジュペリの「星の王子さま」を現代に当てはめたCGアニメだ。
これが心に染み入ってとても良かった。
人は亡くなっても、心の中で会話すれば、心の中に生き続ける。
主人公の少女の唯一の友達の、隣家のおじいさんがそんなセリフを言った。
メーテルリンクの青い鳥でも、死者たちの住む思い出の国で、
「死者たちはいつも居眠りをしている。誰かが思い出してくれると、目覚めることができる」
と、死んだおじいさんたちが話すシーンがあった。
祖母に兄に姉に父に母と、多くの死別を経験した。
だから、その意味がとてもよく分かる。


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先月末、まだ寒い頃の情景だ。
本当に嬉しそうに、おばあさんと母親に連れられた7,8歳の少年が焼き鳥屋から出てきた。
私が住む辺りの子供たちには、昭和の雰囲気が残っている。
このような素朴な姿を見るとホッとする。
傍の猫は街ネコでみんなに可愛がられている。
耳には去勢済みの三角の切れ込みがある。
しかし、最近見かけなくなった。
元気なら良いのだが・・・

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先月から水仙が満開だ。
清楚で本当に美しい。

今日は去年末に伐採されたソメイヨシノの古木の跡に植木屋が若木を植えていた。
幼木の歳を聞くと「10歳くらいです」と植木屋の親方が素朴に答えた。
言葉に北国の訛りがあった。

その近くのソメイヨシノは20年前に植え替えられ、今は立派に成長して、毎年美しく花を咲かせている。今日植えられた幼木が、それくらいに成長した姿を見られるだろうか。
もし見られるなら、私は93歳になっている。
母は私がいたから、その年でも元気だったが、自分には無理だろうと思った。
それでも桜がとても待ち遠しい。
若い頃はさほどではなかったのに、歳を重ねると共に桜への思いが強くなっていく。
日本人の血を改めて感じている。


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Ma_4

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Goof

Mas

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