現代人の孤独考その二。18年4月26日
ライン・ミュージックのCMが好きだ。
心地よい日差しの中で可愛い女子高生が、調子外れに歌いながらぎこちなく体をゆするように踊っている。
彼女の楽しげな表情に青春を感じる。
あの年の頃は、訳もなく幸せ感に満たされたり、寂しさに囚われたりしていた。
散歩の行きがけ、10年以上前に急死した母の家庭医のKさんの小さな診療室前を通った。
Kさんが亡くなってから、診療室は空室のままだ。
家主は裕福な人で、もう誰にも貸す気はないようだ。
診療室の窓の内側にはまだKさんの魂が彷徨っている感じがする。
埃に覆われた診察室で「何故、誰もいないのだろう」とKさんが悄然と座っている姿を幻のように感じる。
散歩道に、そのように放置された空間が増えた。
御諏訪神社下の蕎麦屋は去年突然に休業した。
すぐに再開すると思っていたが、「しばらく休業いたします」の張り紙はすでに色あせ始めた。中を覗くと昨日まで営業していたように、什器類と出前のバイクが雑然と置かれている。
店主は赤ら顔の太った人だった。
霙の寒い日、出前途中の彼が信号待ちをしながら2リットルボトルのジュースを一気飲みをしている姿を目撃したことがある。彼はかなり進行した糖尿病だったのかもしれない。
東京北医療センターの庭から下の公園へ、板張りの長いスロープを下った。
15年近く昔の今の季節、そのスロープを母の車椅子を押して下っているとギターと歌声が聞こえた。見ると金髪の綺麗な白人の女の子が透明な美しい歌声でギターを弾いている。住まいでは近所迷惑なので公園を選んだのだろう。心に染み入る旋律だったが曲名は分からなかった。
彼女は暑くなると現れなくなった。引っ越したのか、それとも蚊に悩まされて来なくなったのか、ほのかに寂しさが残った。
風景の喪失、親しい人の喪失、体力の喪失、失われたものは心に残る。
8年前に母が逝ってから、突然に自分の死が間近に見え始めた。
死は恐れてはいないが、老いもまた失うものが多くて心が乾く。
東洋思想では人生を陰陽を基に考える。
陰だけでも陽だけでも、人生は完全ではない。
ともにバランス良くあって人生は完全となる。
陽の楽しさや幸せ感は誰もが容易に受け入れる。
しかし、陰の孤独や寂しさは難しい。
だから公園のベンチにぼーっと腰掛け、木立の梢を見上げながら陰陽のバランスを取っているのだろう。
人の体には盲腸とか扁桃腺とか、機能がよく分かっていない器官がいくつもある。
昔はそれらの器官は不要のものとして、簡単に切除していた。
現代医学の考えでは体の器官に不要なものはなく、それぞれに大切な役割がある。
同じように孤独感や寂しさにも重要な役割があって、それがあるから人は活き活きと生きられる。
創造のほとんどは負のエネルギーに依存している。
昔の文士たちは自ら破滅して、その苦しさを作品作りのエネルギーにした。
もし幸せだったら、人生はそこで完結し、敢えてもの書きなどする必要がないからだ。
負の要素は、人生を美味しくするスパイスみたいなものと思っている。
だから気分が滅入っても、それを否定したことはない。
荒川河川敷ゴルフ場脇の自然林。
昨日今日と初夏のような素晴らしい好天だ。
どんなに辛い時でも、新緑に包まれていると辛さは雲散霧消してしまう。
自然は本当に素晴らしい。厳冬期の荒野でも、真夏のむせかえるような草原でも寂しさは感じない。人の孤独感や寂しさは、自然によって生き抜く力に変換されているのかもしれない。
野薔薇
上流の奥秩父あたりから流れ着いて実生したオニグルミ。
まだ未熟な山桜の実。
昔の子供は濃紫に熟したサクランボを喜んで食べていたが、ほろ苦くて酸っぱくて現代児には好まれない。それでもすぐになくなるのは、年寄りたちが懐かしがって食べているからだろう。
未熟な桑の実。半月もすると甘く熟す。
河川敷には無尽蔵にあるが、最近は採りに来る人が増えた。
赤羽台に住んでいる頃、毎日、ガラス戸にしがみついて母を覗いて行く黒猫がいた。
思い出したのは、散歩道のツツジの植え込みの陰でくつろいでいる黒猫がいたからだ。
物陰の黒猫は自分は人には見えないと安心しきっていた。
だから、声をかけると、
「どうして見つかったのニャ」
と不思議な顔をした。
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