東京連休風景・好天の連休の後の記録的低温 18年5月8日
東京の連休風景が変化した。
10年前のゴールデンウィークは街から人が消えて閑散としていた。今は違う。混み合う行楽地を避けて、都内でのんびり過ごす親子連れが目につく。住まい下の荒川土手も、ジョギングやサイクリングで賑わっていた。この平和で健康的な風景は心地よい。若い頃は、そのような平凡を嫌っていたのに、年を重ねるにつれ価値観が大きく変わった。
東京北医療センター下の公園。
この広場は桜の頃は花見客で賑わっていた。花見客に踏みつけられたクローバーは回復して、一面花に覆われている。好天だった連休中は、クローバーの花の中にいく組もの母子が腰を下ろして花冠など作って遊んでいた。四葉のクローバーを探している人もいた。四つ葉を見つけた嬉しそうな仕草が遠目にも分かった。
日曜、病院庭のベンチでお茶を飲んだ。
目の前のクローバーの中で若夫婦らしき男女が四つ葉を探していた。新妻は黒のロングスカートの綺麗な人だった。彼女は長い裾が邪魔なのか、スカートの裾を太ももまでたくし上げて四つ葉を探していた。スラリとした白い足が艶めかしく眩しかった。
傍の老人介護施設「桜の杜」の老入所者が、彼女たちをぼんやり眺めていた。もし、老人にも彼女の綺麗な足が見えたら、その刺激で元気になって、1年くらい長生きできるかもしれない。
5月は1年の中で一番心地よい時期だ。仕事は低迷しているが、この素晴らしい貴重な季節は嫌なことを忘れさせてくれる。歩きながら「至高の生き方は、現実をあるがままに受け入れことだ」の老子の言葉を思い出した。老子は、現実をあるがままに受け入れてしまう赤ん坊を生き方の理想形とした。健康と病、裕福と貧困、権力と被支配。人はプラス面は受け入れるが、マイナス面は素直に受け入れることができず苦悩する。その点、赤ん坊はそれらを他と比較して選り好みしたりはしない。
ミズキの花簪のような花。
九州の郷里にはない樹木で、上京した当時は、とても珍しかった。
昨日は曇り空の下散歩へ出た。荒川河川敷の熟し始めた桑の実を摘んで食べながら歩いた。桑の実は個体差が大きく、1本毎に甘みが違う。大粒で枝に疎らについている実は甘く、小粒で密集している実は酸っぱい。
東京北医療センターのカフェテリアでコーヒーを飲んだ。飲み終える前に雨が落ち始めた。買い物があるので、急いでコーヒーを飲み干し店を出た。
買い物を終える頃には本降りになって、濡れた衣服に吹き付ける風が冷たかった。
今日は雨は止んだが肌寒く、10年ぶりに最高気温が15度を下回った。
午後遅く、ポツポツと雨が落ち始めた中、散歩へ出た。
冷たい大気は憂鬱な現実を思い出させる。
心底、連休の好天が懐かしくなった。
5月連休の好天は本当に貴重だ。
好天は戻って来るが、その頃の緑は色褪せ、蚊も発生して5月始めの快適さはない。
連休終わりの夕空。天候の悪化を予感させた。
下は荒川河川敷ゴルフ場。
先日、104歳のオーストラリア人男性が、安楽死目的で欧州へ旅立ったとの記事を読んだ。
彼は長生きしたことをひどく悔やんでいた。
その人は西オーストラリア州に住む植物学の研究者デービッド・グッダルさん。
彼は安楽死支持団体の看護師に付き添われ、スイスのバーゼルにあるクリニックを目指した。
ABC放送のインタビューに「誕生日の願い事がかなうとしたら死を望む。私は幸せではない。死にたいと思う。それはとりたてて悲しいことではない。悲しいのは、死を妨げられることだ」と語っていた。オーストラリア、ビクトリア州は2019年半ばから安楽死を認める計画だが、彼が住む西オーストラリア州は合法化されない。
彼は1914年4月、ロンドンに生まれ。英国、米国、オーストラリアの大学で教鞭をとり、1979年に引退後は生態系の学術書籍を編さんしていた。経歴と現状を見ると、一貫して充実した人生で後悔とは無縁に思える。インタビューに「身体機能や生活の質は悪化しつつあり、更に悪化して不幸になることは望まない」と応えているが、104歳でスイスへ旅できるほどの健康状態は保っている。
安楽死については「人が自ら命を絶つことを選ぶのなら、それは正当な行為であり、他人が介入すべきではない」が彼の考えだ。
彼の死と老いに対する考えはとても興味深い。老人医療を専門にしている医師から「長生きすると死に対する恐れが薄れる。それは神の恩顧かもしれない」と聞いたことがある。だから、100歳を過ぎてからの自死は極めて稀だ。私見だが、彼は人生に満足しなかったのでは、との疑念が募る。しかし、世の中には自殺する人は多い。最近では西部邁氏の自死が印象深い。
彼は100歳を超えていたことだけが特異なだけで、一般的な自死と同じと捉えるべきかもしれない。それにしても、数年で自然死が訪れるのに、死を早める心情は興味深い。死に対する恐れについては仕組みが解明され医学で解決できると思っている。その頃は薬物や心理療法で、死期が近くなったら、人は苦しんだり悩んだりせず、眠りを待つように死の訪れを待ち焦がれるようになると思っている。
病院下公園の寒い雨と散り始めた石楠花。
今年は一段と鮮やかに咲いた。
背景は桜並木。
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