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2018年5月27日 (日)

テレ朝「こんな所に日本人」ラオス編で、以前会った中村章吾氏が尋ね人になっていた。2018年5月27日

テレ朝「こんな所に日本人」を毎週見ている。
旅番組で好きなのは、Eテレの「旅するフランス語」「旅するドイツ語」などの語学シリーズとテレ朝の「こんな所に日本人」だ。

前者は現地の人が取材にとても協力的だ。それは母国語を広めるための番組に対しての愛国心からだろう。普通、外国人に尊大な態度を示しがちのフランス人でさえ、取材に対し実に愛情が溢れている。普段の旅番組では見られない稀有な場所でも、丁寧に紹介してもらえる。

普段取り上げられない稀有な僻地の紹介では、後者の「こんな所に日本人」が優れている。飛行機で行ける場所でも、レボーターは過酷なバス旅行を強いられる。画面には出ないが、現地の原始的なトイレなど、よくぞ女性レポーターが利用できたものだと感心してしまう。以前、秋野暢子が東南アジアの僻地へ行った時、トイレに入るとありとあらゆる虫の大群に群がられて、虫嫌いの彼女は卒倒しそうだった、と話していた。この臨場感は飛行機旅では絶対に得られないものだ。

先日の「こんな所に日本人」のラオス編は市川右團次54歳がレポーターだった。
彼は「陸王」でシューフィッター役をしたことで有名だ。
行き先はラオス・パクソン郡トンガッタイ村。そこに暮らすたった一人の日本人を探す旅だ。
経路はバンコクからラオスのヴィエンチャン。
タイ国境へ向かってメコン川沿いに5時間でターケーク。
そこでバスを乗り継いで更に8時間でパクセー。 
パクセーは古い歴史のある街で、これから観光地として発展しそうだ。
パクセーから西へバス1時間で高原の街パクソン着。
標高は1000~1350m程で、冬は日中20度、朝の最低気温は10度と涼しく日本の早春の感じ。キャベツ、白菜など高原野菜やコーヒー・お茶の産地。焙煎前のコーヒー豆の現地価格は1キロ150円。パクソン郡は暑い時期でも雨が降ると気温が下がり、長袖ジャンバーが必要なほどだ。現地では避暑地として有名で、これから観光で発展しそうな地域だ。

トンガッタイ村に到着したレポーターの市川右團次は、村民に手当たり次第に日本人の情報を聞くが誰も知らない。聞き込みをしているうちに、日本人の所在を知っている副村長に出会う。彼が運転する耕運機の荷台に乗って自然林の中を1時間ほど、やっと目的の日本人と出会えた。

彼は中村章吾43歳。その姿に見覚えがあった。早速、名刺ホルダーを開くと彼からもらった名刺が見つかった。昔、付き合いがあった役者などをテレビで見かけても驚かないが、テレビ画面で普通の人と出会うことは稀で驚いた。

中村章吾氏と出会ったのは2014年の初夏の頃だった。
その頃、今の公営住宅が抽選で当たり、引越し準備に旧居の荷物を整理していた。
当時の旧居・公団は家賃が高く、引越し費用どころか生活費にも窮していた。保持していた金・プラチナや宝石などは全て売り払って、本当に逆立ちしても鼻血でない状態だった。
しかし、住まいを整理し始めると金目のものが次々と出てきた。
絵描きに転向する前の高収入の頃、伝統工芸素材の赤銅や四分一をキロ単位で作ってあった。作った当時は金が安く、どれも金を3〜5パーセントを含む高品質なものだった。それらを旧知の日暮里の地金商に持ち込み金を抽出してもらい、買い取ってもらうと100万ほどになった。お金など全くないと思っていたので本当に嬉しかった。
更に銀素材も残っていたので、ネットで見つけた池袋の地金商に買い取ってもらう事にした。

電話を入れると地金商は意外に若い人だった。
一人で営業しているようで、行く時間を予約して地金を持ち込んだ。そこはメトロポリタン近くの雑居ビル上階の小さな店だった。彼は板地金の一角をベンチで切り取って組成を調べた。少し不慣れな手つきで、たたき上げのプロではないと思った。地金商がやりがちな誤魔化しはなく、正直にその日の相場で買い取ってくれた。こんなやり方で儲けが出るのかと心配になったほどだ。

その後、彼と世間話をした。
彼は釧路の出身で、近く地金商はやめてラオスで農園をすると話していた。農業の経験はないが現地人を雇うので問題はない。すでに土地も買ってあると楽しそうだった。
「もし、実現したらテレビ取材があるかも知れませんね。ラオス関連の番組はチェックするようにします」
そのようなことを話して別れ、私は地金の売上を持って久しぶりにディズニーランドへ行った。

「こんな所に日本人」で、彼は釧路の高校を卒業した後、上京して新聞配達をしていたことを知った。
1995年20歳で企業向け融資の会社に就職したが、会社がすぐに傾き始めたので離職した。その後、24歳でリサイクルショップを立ち上げて1000万貯蓄。それを株に投資して4000万に増やして沖縄へ移住した。更に株で7000万稼いだがリーマンショックの不動産株暴落で大損失。傷心のまま東京へ戻った。それからFXを始めて年収は1000万を超えた。
銀の地金商はその頃に始めた商売だった。地金商はリサイクルショップの経験を生かしたのだろう。

トンガッタイ村で日本人の存在を誰も知らなかったのは秘密にしてあったからだ。
日本人がいると知られるとドローボーが一杯寄ってくるらしく、移住当時「日本人が来たぞー」と噂になって10回以上泥棒に入られたと、彼は笑いながら話していた。

ラオスに移住した理由に重度の食物アレルギーがあったからと話していたが、本当は国際結婚お見合いサイトで知り合った16歳下のラオス人女性の存在が大きかった。
ラオス人女性と知り合った2014年38歳の彼に私は出会った。
翌年、2015年結婚して、去年FXを辞めてラオスに移住した。移住の本当の理由は、妻の一族20人以上の面倒を見ていては大変なので、現地で事業を起こし、一族に働いてもらい自立させることが目的だった。

幸い、現地は観光避暑地として将来性がある。
購入した7ヘクタールの土地に自費180万で電気を引いた。今は妻や現地の親戚とテント暮らししながら、これから増える観光客用のカフェと自宅を建設中だ。
年下の27歳の妻は可愛くて誠実で、彼はとても幸せそうだった。
43歳の彼は、私が絵描きに転向した歳と同じだ。
これからも様々なことが起きるだろうが、彼は良い人生を過ごせるような気がする。


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ツリーハウス。
のんびりひたすら昼寝をしたい、と願いながら描いた。


Ma_3

Ma_4

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Goof

Mas

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