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2018年7月12日 (木)

サッカー日本人サポーターのゴミ片付けは人目を気にする村意識から生まれた、との意見は見当違いの侮辱だ。18年7月12日

題名「ルールを守りマナーが良い日本人』はいつまで維持できるのか」の記事がネット上で話題になっていた。
記事は中国発の「ルールを守りマナーが良い日本人はいつまで維持できるのか」あたりを念頭に置いて、日本に活気がないのはルールに束縛されているからと断じている。さらに「社会心理学者の山岸俊男氏『信頼の構造』の記述を都合よく引用し、日本社会は「ムラ社会」で、営利企業でさえムラ社会的に運営されている企業が圧倒的に多く、村社会から解放されれば日本人はルールを守らなくなり、活気も生まれる」と記述していた。この記事の筆者は正体不明だが、記事の内容から察するに、私よりふた回りほど若い世代のようだ。

私が子供時代の昭和20年代から上京した30年代は今とは比べ物にならないほどに日本は村社会だった。しかし、社会学者山岸俊男氏や筆者の考えとは正反対に、当時の日本人は今の中国人のようにルールを守らなかった。
例えば、旅に出ればゴミは平気で車窓から外へ捨てていた。自然保護意識も低く尾瀬などの登山道わきにはゴミが散乱していた。男は子供から年寄りまで、平気で街中で立ち小便をしていた。(女性でも年寄りの中には立ち小便をするものがいた)。今、サッカー日本人サポターの意識の高さが世界で賞賛されているが、当時のプロ野球では、試合終了後の観客席の下はゴミだらけだった。
路上や床に痰を吐き散らす者も多く、不衛生なので、映画館、駅、公民館など人が集まるところには必ず痰壷が置いてあった。痰だけでない、路上へ手鼻をかむ者もいた。手鼻とはちり紙を使わずに鼻をかむ特殊な技で、我々の世代はできなかった。
夏の暑い頃は、街中をふんどし一つで歩き回る者が普通にいた。私は昭和38年に上京したが、下町の行きつけの床屋の主人は、仕事が終わると素ッ裸になり、大事なところだけタオルで隠し「アラヨーッ」と隣の銭湯へ駆け込んでいた。それらの情景は、今、嘲笑されている中国人観光客の傍若無人ぶりととても似ている。

大きく変化したのは東京オリンピックあたりからだ。
「海外からのお客さんに笑われないように」との大キャンペーンが官民あげて繰り広げられ、世間のマナーは一気に良くなった。その点も、官民あげて日本を見習えとマナー向上に励んでいる現代中国に酷似している。

だから、村意識が日本人のマナーを支えているとの筆者の考えは的外れも甚だしい。むしろ、日本人の村意識が薄れ始めた東京オリンピックのあたりから、西欧的な社会道徳と日本古来の神道に基づく穢れを排する清浄意識が融合し、高度なマナーが自然に生まれた。それがさらに進化したのが、今世界で賞賛されているサッカー・サポーターのゴミ片付けだ。

車が来なくても、人が見ていなくても、日本人が赤信号に従うのは、断じて村八分を恐れているからではない。日本には西欧のような宗教意識はないが「清らかな行いが幸せを招く」との神道の根本思想が万人にあり、今のルールを遵守する意識が自然に生まれている。
散歩コースにある御諏訪神社では、1年中、お参りする老若男女が絶えない。小さな4,5歳の子供も大人と同じように手を合わせて祈っている。そのような光景を見ていると、日本人は無宗教に見えても、本当は大変に信心深い国民ではないかと思っている。

日本は村社会だからルールを守るとの社会学者の意見も、この記事の筆者意見も、戦後一貫してリベラルが陥っている自虐的史観そのもので、日本人が築き上げた道徳を侮辱するものだ。だから「村社会による人目から解放されれば、日本人はルールを守らなくなるだろう」との筆者の考えは非論理的な妄想に過ぎない。


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散歩道のガクアジサイ。


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6月末、梅雨明けの強風の中、アオザイ姿のフィリピーナと警官が立ち話していた。
旧宗主国のスペインの血が濃い美しい人だった。
その日、イトーヨーカ堂の喫茶コーナーでは、中年のヴェトナム人の母娘がお茶をしながらスマホを見ていた。遠い異国から流れ流れたどり着いた彼女たちの人生にドラマのような旅愁を感じた。最近の赤羽は国籍不明の活気に満ちている。


最近、死について考えることをやめた。なぜなら、いくら考えても結論が出ないと気づいたからだ。今より更に老いて、その期に達すれば死は嵐のように訪れ心身を翻弄し、あっという間に魂を冥界へ連れ去ってしまう。どんな準備をしても人生はそのようにできているのだから、何も考えず、ぼんやり老いて行くのが最善の生き方だ。

哲学者も宗教家も死に対しては無力だ。
脳科学者の考えでは、自分に都合よく死後を考えることにより人は幸せ感に包まれると言う。

例えば宇治平等院は現世に極楽浄土を再現しようと、関白藤原頼通によって建てられた。当時の権力者たちの最大の恐怖は、死後地獄に落とされ、永遠に苦しみ続けることだった。
そこで藤原頼通は極楽浄土に至る道を必死に模索し、その方法として平等院を建立した。だから、平等院はテーマパークのようなもので、建物でありながらその内に居住空間はない。

彼のように、幸せな死後の世界を想像するのは脳科学的には極めて正しいことだ。だから私も、死後の極楽往生を空想し、何も考えず、ぼんやり幸せに過ごすように励むことにしている。


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鎌倉円覚寺、宝冠釈迦如来座像。
仏像に接していると心の底から安らぐ。


世界的な医学者の考えだが、プラス思考で幸せ感に包まれている者は健康で長生きし、マイナス思考で不幸感の強い者はガンなどの病気に罹りやすく長生きできないと言う。
確かにその通りだ。嘘でも良いから幸せ感に包まれた生き方をしてみると、暑さによる倦怠感が消え健康感が蘇った。
老いたら、功績を残すことに躍起なる必要はない。のんびりぼんやり、楽しく過ごすことが最善の道だ。


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