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2018年8月21日 (火)

どんなに暑い夏でも終わりは寂しい。脳内麻薬エンドルフィンの簡単な出し方と太宰治考。18年8月21日

「暑いのは嫌だけど、終わるのは寂しい」
タレントの小池栄子がワイドショーで話していた。
その気持ちはよくわかる。
長すぎた夏のおかげで体が熱帯仕様に変化し、今は室温32度でも不快ではない。
うんざりするほど暑い夏でも、終わりが寂しいのは人生に似ているからかもしれない。

公園ではミンミン蝉とツクツクホーシが合唱していた。
彼らの地上での命は2週間ほどだ。だから、彼らには夏の終わりも始まりも関係なく、今が全てだ。

 一片の感傷もなし蝉時雨

60歳になった時、70歳まで〇〇時間とブログに書いていた。
73を過ぎた今は80歳まで〇〇時間などと考えない。残り時間には、60代より切迫した心情がある。だから明日のことは考えず、今をしっかり生きることを心がけている。

今、一番楽しいのは公園のベンチでぼんやり樹々を眺めていることだ。1日、ぼんやりし続けても飽きがこない。私にとってしっかりと生きるとは、ぼんやり過ごすことのようだ。

目の前のソメイヨシノはいつの間にか黄葉が混ざり始めた。地面では蟻たちが忙しく動き回っている。黒く大きな蟻は、子供の頃は山蟻と呼んでいた。噛まれるととても痛いが、自ら攻撃することはない。山蟻よりずっと小さな赤蟻は肉食で凶暴だ。彼らは勝手に靴を這い上りズボンの裾に侵入して、ふくらはぎあたりに所構わず噛みつく。どうやら人を餌の肉塊と思っているようだ。それは痛痒くてとても不快だ。


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夕陽に輝くキバナコスモス。

最近、若い人や豊かな人への憧れがなくなった。
若く豊かだった昔は、恥ずかしいことや嫌なことばかりだ。
歳を重ねた今が一番、心身のバランスが良い。
幸運と不運に差はない。
万物斉同、死を前にすれば誰もが平等になる。
どんなに恵まれていても、確実に老いて死ぬ。


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夕暮れの環八通り。

前回、臨死について書いた。
臨死体験をしなくても、多幸感を生む脳内麻薬のエンドルフィンを簡単に出す方法がある。
極度な苦痛、例えば苦しいジョギングなどをする。
宝くじで1億円が当たった、と想像する。
大掃除をする。
簡単にはできないが、パチンコ、競馬などで大当たりする。
唐辛子たっぷりの激辛料理を食べる。
健康に良くないが、砂糖などの炭水化物と油脂を組み合わせたジャンクフードを食べる。
例えばドーナツなどの揚げ菓子。
私の場合は苦境を切り抜けた時、とても爽快感がある。


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「動物園」タブレットで描いた。

昨夜、Eテレで太宰治を取り上げていた。
私が好きな彼の作品は「津軽」である。
作品で描かれた北国の冷たくて透明な青空に憧れ、幾度も青森を旅した。
小さい頃、子守りをしてくれたタケとの再会。遠くから来た客人を溢れるように歓待する青森の気質。竜飛岬への紀行。生家の ある金木から- 五所川原への情景。
今も当時の旅を懐かしく思い出す。

しかし、代表作の「斜陽」と「走れメロス」は好きになれなかった。
「斜陽」で描かれている貴族社会については「田舎紳士の空想だ」と三島由紀夫が批判していたが、私も同じ印象を感じた。太宰は生家をモデルに田舎の豪農の没落を描けば、もっと力強い作品が生まれたと思っている。

「走れメロス」は太宰そのものだ。
人の弱さを巧みに正当化している姿勢が垣間みえて好きになれない。
「弱くてもいい」と「弱い方がいい」は意味が違う。
太宰はその弱さで同情を買い、二人の女性を死に巻き込んでしまった。

彼の写真は、憂鬱な顔の着流し姿がすぐに思い浮かぶ。
若い頃を含めて、彼の写真は口を閉じた憂鬱な顔ばかりだ。
しかし、終戦直後の「BAR・ルパン」で、気に入っていた軍靴姿でくつろいる彼は笑顔で歯を見せている。
それには理由がある。甘やかされて好き放題に菓子類を与えられて育った彼はひどい虫歯でミソッ歯だった。今の人は歯を大切にするので、ミソッ歯の大人など見かけたことがない。
大地主の出身で長身で2枚目だった太宰にとってミソッ歯は唯一の劣等感だったかもしれない。だからか、どの写真も口を閉じて汚い歯並びを隠し憂鬱な顔で写っている。

彼は32歳の頃、健康に悪いと友人に指摘されミソッ歯を抜いて入れ歯にした。
それ以降の写真は歯を見せた笑顔が多い。その代表作が銀座のBAR・ルパンで屈託なく笑っている軍靴の立膝姿だ。

アドラー心理学では、人は劣等感を解決するために、体験の中から好都合なものを選んで当てはめると分析する。彼の作品もそのように屈折した心が生み出したのかもしれない。


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