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2018年9月25日 (火)

あり合わせの知こそ最強の知性である=レヴィ・ストロース 18年9月25日

 昨日は十五夜だった。予報では曇り空で月見は無理と言っていたが、雲の晴れ間から美しい満月が見えた。満月を見上げると良いことが起きそうな気がする。

 先日、十条で友人と飲んだ。十条は昔ながらの商店街が元気だ。昭和38年から48年まで10年間住んでいた頃と今も賑わいは変わらない。
地方の商店街では完全に大型店に淘汰されシャッター通りに変わってしまった。
東京はまだ生き残っているが数えるほどしかない。商店街の素晴らしさは客と店主のコミュニケーションにある。ただ生きるためだけの便利な生活ならコミュニケーションは無用だ。しかし、それだけでは生活の潤いがない。
十条の商店街へ行く都度、人にとって進歩とは何かを考えさせられている。

 私が上京した頃の東京の下町には、100メートル四方に小さな雑貨屋、総菜屋、八百屋、魚屋があり、一人暮らしの老人でも楽に生活できた。今は代わりにコンビニが生まれたが、昔の個人商店ほど充実していない。だから今は足腰が弱ると一人では生活できなくなる。杖をつき重い荷を背負ってトボトボと歩く老人を見ると胸が痛む。

 街の進化はそれだけではない。日本政府はお金の支払いおけるスマホ決済を進め、キャッシュレス化を目指している。それには政府の目が届きにくい脱税や闇資金を止める目的もある。しかし、スマホ決済が進めばスマホが使いこなせない老人は取り残される。すでにスマホによるキャッシュレス化や生活サービスが進んでいる中国では、スマホが使えない老人は買い物も役所での手続きも病院の予約も公共交通の利用もできなくなって取り残されている。

 スマホのような便利な機械に頼りすぎると、人間本来の能力は衰退し知能指数が落ちると近年の脳科学で明らかにされた。先日の北海道地震では停電になりスマホが使えなくなって大混乱が起きた。様々問題があっても、若者にとってスマホは最大の必需品だ。もし、スマホを家に忘れたら、ほどんどの若者は学校や会社に遅刻してでも家に取りに帰ると考えている。

 社会は衛生的にスッキリして合理的なら良いと言う訳ではない。ドイツや北欧の風景はスッキリしていて、ごみごみした闇の部分がない。中国やシンガポールでは古い町並みを次々と破壊して、真四角なビルを建てている。そのように衛生的に進化させられた街にはゆとりがなく、人らしい楽しさは見出せない。対してゴミゴミしたアジア的な混沌には潤いがある。東京でも混沌としたアメ横には人が溢れ、活気に満ちている。築地魚市場は豊洲に移転するが、病院か工場みたいな豊洲新市場が築地のような魅力を発揮するとは到底思えない。石原元知事は世界的ブランド「築地」の価値を全く理解せず、ゴミみたいに捨ててしまった。

 それでも社会は完璧に便利な合理性を目指している。今流行りのIoTでは、家の戸締りから台所の食品管理まで全てAIによるシステムが代行してくれる。もしIoTシステムが完成したら、人は何もせず何も考えずに一生を終えることになる。

人生の価値のほとんどは無駄なことで構成されている。昔のSF小説では、未来社会では1日に丸薬を2,3粒飲めば何も食べなくても生きていられる、などと書かれていたが、それは実に潤いのない生き方だ。むしろ、自然の中で苦労して自然の食物を集め、焚き火で調理して食べる方がずっと楽しい。

 私はスマホを拒否しているが、小さくて字が読みにくいからとか、すぐに電池が切れてしまうからだけではない。そのような短所はすぐに改良されるだろう。そのようにスマホが進化しても私は使わないはずだ。その根底に自然保護と同じ考えがある。自然な生き方は不便だが、その部分にこそ人らしい生き方があると思っているからだ。


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荒川夕景。

 世界の哲学者に人生相談最終回「マニュアル依存な自分。想定外に対応できない」を先日見た。この回では自分らしく生きるヒントが語られていた。

フランスの社会人類学者・民族学者で哲学者でもあるレヴィ=ストロースはブラジル奥地の原住民の生き方から学んだ。
彼は20世紀初めのパリで過ごすうちに機械文明へ違和感を抱き、文明から逃れるようにアマゾン奥地の先住民の中へ飛び込み、共に暮らした。
先住民はわずかな道具を使い自然の植物で家を建て、自然から作った目薬をさす時は葉を円錐形に丸めて使ったりしていた。彼らの生活には、自然にあるもので何でも作り上げてしまう知恵に満ちていた。彼は先住民との暮らしを著書「野生の思考」にまとめ、大ベストセラーとなった。

「あり合わせの知こそ最強の知性である」レヴィ=ストロースの言葉。

 それに関連して、昔見たアフリカのドキュメンタリー番組を思い出す。映像には無一文で数百キロを歩いて旅を続けている現地の若者が登場した。彼が身につけている荷は小さめの座布団みたいな草の葉を編んで作ったバックだけだった。その中にはナイフと裁縫道具とボロ布が少量入っているだけで、若者はナイフ一つで、夜は小さな小屋を建てて休み、野生の植物を見つけては食料にしていた。

 同じ頃に見たヒマラヤを舞台にしたドキュメンタリーでは、現地の案内人は豪雨の中、竹としわくちゃの古びたビニールを使って、快適なかまぼこ型のテントを作り上げた。
日本でも昔の山の民は山から山へ移動しながら、山刀一つで山小屋から風呂まで作り上げ、手作りの釣り道具でヤマメを釣って食料にした。
対して、現代人は脳も肉体もひ弱になってしまった。


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 ツタヤオリジナルのボールペン上2本とシャープペンシル下2本。
色合いは、金と銅の合金である赤金に近い。
この色合いが無性に好きで、まとめ買いをしてしまった。
この数があれば、死ぬまで使い続けられるだろう。

 この色合いを見ると昔見た現代版の「ロミオ+ジュリエット」を思い出す。
1996年米バズ・ラーマン監督作品、ロミオ:レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット:クレア・デインズ。こちらはジュリエット役が角張った男顔で清純ではなく、作品を台無しにしていた。しかし、ディカプリオ好きの女性達には熱狂的な人気があった。

舞台はブラジルの架空の都市ヴェローナ・ビーチ。若者たちはアロハシャツを着て、城は高層ビル、剣による決闘はなく街を巻き込む銃撃戦だった。その時、ロミオが剣の代わりに使ったシルバーのオートマチック拳銃の銃把に透けて見えた赤金色の銃弾が実に美しかった。
その銃弾の美しさを思い出して上記のペンシルを衝動買いしてしまった。


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もらった食べ物は食べる前にスケッチすることにしている。
郷里の漁師町から大きな伊勢海老が届いた。
昔からたくさん食べてきたので、1匹だけですぐに飽きて食傷気味になった。


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先日もらった20世紀梨。
瑞々しくて懐かしい。
最近は豊水などの赤梨系が多くなった。


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Goof

Mas

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