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2018年12月23日 (日)

クリスマス・ベストポイント、銀座コリドー街から丸の内仲通りを経て東京駅へ。18年12月23日

今年のクリスマスは美しい。
クリスマスだけではなく、全ての季節や年中行事が楽しく美しく感じる。
それは、私が晩年に入ったからかもしれない。
母も車椅子散歩をさせている頃「今年の桜は一生で一番美しい」とか「モクモクした入道雲がとてもいい」とか、毎年、繰り返し感動していた

冬枯れの自然も、しみじみと眺めると美しい。
紅色の鞘に覆われているネコ柳の芽。
紅色の枝を青空に端正に広げているミズキの若木。
プラムそっくりの色合いに蝋質の白い粉で覆われている濃紫のニガイチゴの茎。
若い頃は気づかなかった自然の彩に、晩年になってからとても惹かれるようになった。


先日再度、クリスマス飾りを見学に銀座へ出かけた。

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八重洲口を出て銀座へ向かった。
この直後、目の前を消防車が何台も有楽町方面へ疾走して行った。

銀座への途中、スイスのナイフと文房具のメーカー・ビクトリノックスの専門店があったので覗いた。試しに1500円のシャープペンシルを買ったが、同程度の日本製と比べると4倍は高い。
ちなみに、実用性のあるシャープペンシルを作ったのは日本のシャープだ。だから、日本製が優秀なのは当然かもしれない。


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最近、コリドー街はナンパスポットとして有名になった。
この近くでお店を経営している知人によると、金曜の夜など、丸の内の一流企業勤めの三高若者を結婚相手に狙う女性たちが大挙押し寄せると言う。
しかし、5時を少し過ぎたこの時間は、多くの店は準備中で人通りは少なかった。
このワインバーの外テーブルは傘状の電気ストーブがあって、外でも遠赤外線でポカポカと暖かい。このテーブルなら、自然に知らない同士が仲良くなれそうだ。

コリドー街から帝国ホテルへ抜け、宝塚劇場に出た。
宝塚劇場前にはひいきのスターの出待ちをしている女性たちが整然と並んでいた。
ひいきのスター別に、彼女たちはそろいのスカーフをしている。それぞれに指導者がいて、彼女の指示で整然と立ったり座ったり移動したりと、オモチャの兵隊みたいで、とても面白かった。


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クリスマス飾りは丸の内仲通りが一番素晴らしい。
高級感とセンスがあふれるレストランや洋品店が並び、ウインドウショッピンをするだけでも楽しい。

丸の内仲通りを丸ビルまで歩いて、丸ビルのエントランスホールの巨大なクリスマスツリーを眺めながら丸ビルを抜け、東京中央郵便局のあるKITTE=キッテへ向かった。
前回と同じように、中央エントランスに置かれた白いクリスマスツリーを眺めた。ライティングされたツリーは7色に変化し、25分ごとに荘厳なクリスマスの曲が流れ、クリスマスの雰囲気が高まった。

簡単に書いたが、このコースだけでゆったりと2時間近く最高に楽しめる。クリスマス飾りは25日を過ぎると一瞬で消えてしまうので、この3日間に、ぜひ訪ねることを薦める。


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東京駅で上野経由高崎行きの東海道線に向かった。

前回11日、クリスマス飾りを見に行った帰りは、うっかり中央線への長大なエレベーターに乗ってしまい、上り切ってから下りに乗り換えた。下りは私一人だった。傍の上りの通勤客たちは体を左右に揺らしながら黙々と登っていく。まるで、ボルガの船引きたちのようにも、地獄から這い上がっていく亡者の列のようにも見え、悪夢のようだった。


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赤羽、星美学園のクリスマス飾り。
ミッションスクールらしい簡素なクリスマス飾りが味わい深い。


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帰り道の公園。
赤い小人たちが、街灯の根元で踊っているように見えた。


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土曜日、喫茶店で描いた横道河子=おうどうかし=情景。
昔見た、桑原甲子雄写真集「満州昭和15年」の1シーンだ。
記憶で描いたので、実際の写真とは違う。戦争前夜の一瞬の平和が強く心に刻まれた。若妻が抱いている赤ちゃんは、戦後の混乱期を乗り越え無事に帰国できたとしたら、今は78,9歳だ。

横道河子とはハルピン市近くの山岳地帯のロシア風の美しい町。
ロシア領の頃、豊富な森林開発のために作られた新しい町だ。
絵の若夫婦は傍の官舎らしきものに住んでいるのだろう。もしかすると、日本がロシアから買った森林開発会社の社員かもしれない。

満州は中国領と思われているが、歴史的には違う。チベットがチベット人の国、内蒙古がモンゴル人の国、ウイグルがウイグル人の国であるように、満州は満州族の国であった。満州族の王ヌルハチは中国を支配して清を建国した。清は祖先の地満州への漢族の入植を厳しく制限し、ロシアが植民地化するまで満州に漢族はほとんどいなかった。しかし、ロシアがハルピンや満州鉄道建設のための労働力として漢族を入れ、居残った彼らたちが農地を開拓した。
日本は日露戦争で勝利した後、満州支配をすすめ、1932年に満州国を建国した。
日本敗戦の後は中国が自国領とした。


あっという間に年の瀬が迫ってきた。
我が家では11月からお供えを飾ってある。
松飾りもクリスマス前には必ず済ませてある。
近年、殊に集合住宅では、松飾りをする住まいがなくなった。季節の行事をしないのは寂しい。
これから、少しづつおせちの準備に入る。今は屠蘇散を味醂と酒を混ぜたものに漬け込んである。塩数の子は丁寧に薄皮をむき、毎日、水を取り替えて塩抜きをしている。昆布巻きに使う身欠きニシンは冷凍してある。これから九州の郷里から、正月用の魚類や練り物がたくさん送られてくる。


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Goof

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