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2019年1月 8日 (火)

はや七草。人付き合いと年賀状を断捨離したいが、難しい。19年1月7日

正月のテレビは本当につまらないものばかで、録画ばかり見ていた。
記憶に残った中に「ブループラネット・深海、最後のフロンティア」がある。
その中のシーンに、深海に逃れたハダカイワシの大群を襲う、巨大なアメリカオオアカイカの群があった。
オオアカイカたちはハダカイワシを食べつくすと凄まじい共食いを始めた。
彼らには、自分より小さな仲間は餌で、自分より大きな仲間は捕食者であった。
彼らにとっての孤独は安らぎなのはずだが、共食いしながらも群れているのは、その方が集団として生き残る可能性が多いからだろう。

人は孤独を恐れて、群れを作りながら熾烈な弱肉強食を繰り広げている。社会は残酷な一面を含んでいるのに、それでも人は孤独を恐れて群れたがる。それはオオアカイカノの群れになんとなく似ていた。

孤独は普通の若者を狂わせ、大量殺人を犯したりする。正月の竹下通りで車を暴走させて多くの若者に重傷を負わせた若者も、以前、秋葉原で大量殺人を犯した若者も、凶行に駆り立てた動機は孤独だった。

私も孤独を恐れるが、同時に人付き合いも煩わしい。それで多くの知人たちとの付き合いを断捨離しようとしている。人付き合いを煩わしく思っているのは現代の風潮で、今年の年賀状では、「これをもって年賀状はおしまいにさせていただきます」と添え書きされたものが多かった。去年までそのような年賀状はなかった。もしかすると有名人の誰それが言い出し、ブームになっているのかもしれない。そのせいか、今年の年賀状は1億通減少したようだ。殊にリタイアした老年が年賀状を整理したい気持ちはよく理解できる。

私は生活のために死ぬまで現役でいなければならないので、止めることは難しい。しかし、今日7日以降にあと出しで届いた年賀状で、手書き文字が一切ないものは来年は出すのをやめることにした。私の理想は20枚ほどだ。それくらいなら、一通一通、丁寧な年賀状を出せる。

年賀状ファイルの中で、寂しいのは鬼籍に入った知人からの最後の年賀状だ。
故人たちの絶筆を見ていると切なくなる。
それらはこれから先の最期まで捨てられないかもしれない。


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7日の荒川土手。

あっという間に七草。
早起きして七草がゆを作った。
とても美味しい。

今年は暖かく、まだ霜柱も氷も見ていない。
このまま春が来たら、物足りない冬になってしまいそうだ。

5日、お屠蘇セットを片付けた。
セットの箱を埃除けに包んでいた新聞紙は1994年の日付で、その頃の母はとても元気だった。それより10年前の1985年あたりの暮れ、父は何を思ったのか、突然にその屠蘇セットを買ってきた。屠蘇セットをしまいながら、その時の父の自慢げな表情を思い出した。
年末年始は、年々、思い出の影が伸びて行く。


昨日6日日曜日は、片瀬江ノ島線の大和駅近くの大和市文化創造拠点シリウスへ出かけた。

☆☆ シリウスのギャラリーで、陶芸家の長谷川雅一氏が作陶展を8日までやっている。近い人はぜひ訪ねてほしい。☆☆

55年前、東海大に入った友人が座間に住んでいた。
友人のアパートは桑畑の中1軒だけポツンと建っていた。
相模大野や町田は賑やかだったが、その頃の大和市あたりは本当に寂しい場所だった。

その頃、友人を訪ねた時、間違えて片瀬江ノ島線に乗ってしまった。
その途中の中央林間の駅名が、いかにも田舎びていて侘しさが募った。
その時は、その辺りで間違えたことに気づき、すぐに引き返した。


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絵は6日、片瀬江ノ島線の向かいに腰掛けていた10代の女子。
クマのぬいぐるみ風の手袋が可愛い。
手にしている太いストローで飲むゼリー状飲み物が流行っているようだ。他にも、多くの女の子が手にしていた。最近は寒い季節でも冷たい飲み物が好まれる。昔では考えられない好みの変化だ。

背景は55年前の畑と雑木林とススキ野原が広がる中央林間あたりを思い出しながら描いた。今は隙間なく住宅で埋め尽くされている。昔は富士が東京の至る所から見えたので入れた。実際は、都市化してしまって見えにくいが、大和市辺りでは丹沢山塊の上に見えるはずだ。

シリウスでの作陶展を見た後、版画家の菊池君と三人、長谷川君の車で町田へ行き、食事をした。町田は昔、何度か訪ねているが、すっかり今風の若者の街に変身していた。

地元生活が長い菊池君と長谷川君が、昔と変わらない洋食屋グリルママを見つけたので入った。ドアを開けると美味しそうな香りがした。そのような店は当たりだ。残飯やタバコの匂いがする店は、大抵不味い。
店はほぼ満席だったが、私たちとさして年の変わらない"おねえさん"が一人で忙しく注文を取り給仕をしていた。とても明るく元気な人だ。ビーフシチューを食べ、ビールを飲みながら、彼女とやり取りするのが楽しかった。平成が終われば昭和は更に遠くなる。この懐かしい雰囲気はやがて失われてしまうのだろう。

地元の長谷川君と別れた後、菊池君と小田急線に乗った。
菊池君とは柿生駅で別れた。
空いた電車の座席は暖かく、本当に心地良かった。
いつの間にか寝入って目覚めた時は新宿だった。

赤羽の荒川に近い我が家付近は寒風が吹き付け、大和あたりより2,3度低かった。
正月が終わってしまったと、しみじみと感じた。

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散歩道の、冬の水仙。


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寒椿
厳冬期に開花する花は、バラなど意外に多い。


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Goof

Mas

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