涙を流す涙活は、笑いや睡眠や抗うつ剤よりもストレス解消効果がある。19年2月19日
世界各地で涙活の効果が研究されている。
その報告によると、泣くことは笑いや睡眠よりも、どんな抗うつ剤よりもストレス解消効果があると言う。例えば、職場で意図的に涙を流すと、気分が向上し仕事効率が格段に良くなる。スポーツの決戦前にチーム全員で涙を流すと、集中力が増し実力以上の力を発揮できる。
効果があるとわかっていても、必要に応じで涙を流すのは難しい。
役者さんが演技で泣かなければならない時は悲しい記憶を思い出して涙を流すと聞く。舞台に立っている知人は、アニメ「火垂るの墓」の、妹が空のドロプ缶を持ったまま死んで行くシーンを思い浮かべると、すぐに泣けると話していた。私は死別した肉親たちのことや、昔、看取ったペットたちや野生動物たちとの別れを思い出すと泣ける。
貧乏絵描きなのにストレスが少ないのは、この涙活のおかげだと信じている。
昔、親しくしていた社長は、涙を流したことがなく、昼寝もせず頑強で病気知らずを自慢していた。しかし、彼は40歳でガンになり早世した。今思うと、泣かないことでストレスが溜まり、ガンになったのかもしれない。
昨日、Eテレでネコメンタリーをやっていた。
出演は社会学者で作家の岸政彦氏と愛猫のオハギ。
20年近く、ともに過ごしたオハギの姉妹猫キナコが亡くなったシーンの朗読を聞いていたら、もらい泣きしそうになった。
私は旧居の敷地で数匹の野良猫を看取った。
その時のことを思い出して涙腺が緩んだのだろう。

緑道公園。満開の蝋梅。
昔、都内なのに豊かな自然に囲まれた崖の上の一軒家に住んでいた。
そこは野良猫や野良犬の通り道で、厳冬期になると庭のゴミ焼き場の暖かい灰の中で、よく野良猫が寝ていた。
その敷地で最期を迎えた野良猫たちのことは、どれも深く心に残っている。
彼らは決して助けを求めず、静かに簡潔に死んで逝った。
人と比べると、彼らの最期は実に立派で畏敬すら覚える。
40年ほど昔の旧居でのことだ。
玄関へ至る山道の郵便受けの傍らに、大きなエゴの木があった。
郵便物を取りに行くと、その太い枝で時々子猫が居眠りをしていた。
子猫は生粋の野良で決してなつかず、煮干しを差し出してもシャーと私を威嚇した。
だから餌はそのあたりに置くだけにした。
そんなことを一ヶ月程続けているうちに子猫はいなくなった。
翌年の初夏、隣家の庭で親子三匹の野良猫が遊んでいるのを見つけた。
母猫をよく見るとエゴの木にいた野良だった。
その時、あの子猫が雌だったことを知った。
隣家の庭は広く夏草が気持ち良く茂っていた。
母子は暑い午後は木陰で午睡をして過ごし、夕暮れになると子猫たちは夏草の中を駆け回って遊んだ。仕事の合間、草むらで遊んでいる子猫達を眺めているのは楽しかった。
夏が終わり秋の長雨が続いた。
野良の母子は裏の物置の軒下に、円くなって寝ていた。
しかし、すでに乳離れの時期で、間もなく母猫は痩せた子猫たちを残して消えた。
子猫は三毛の雌と黒トラの雄だった。
人懐こい三毛はすぐに近所の飼猫になった。
黒トラは母猫に似て誰にもなつかず、私が声をかけると激しく威嚇し、逃げ去った。
だから、母猫同様に、煮干しをそのあたりに置くだけにした。
黒トラはバッタやカナブンや蜥蜴などを取ってたくましく自活していた。
しかし、すぐに秋が終わり、豊富にいた虫や蜥蜴達はいなくなった。
黒トラは居場所を変えた。
散歩途中、痩せた黒トラが道路の側溝を覗いてネズミを狙っているのを見かけたことがあった。体の大きな飼い猫に追いかけられて逃げる黒トラを一瞬見かけたこともあった。
寒風が吹き始める頃、郵便受け傍らのエゴの木の太い枝に黒トラがうずくまっていた。
飼い猫の襲撃を避ける為と、かすかに残る母猫の痕跡に惹かれたのかもしれない。
厳しい寒さの中、古ぼけた刷毛のように黒トラは震えていた。
私は毎日エゴの木の根元に餌を置いた。
しかし、彼は口にしなかった。
彼は病気だったのかもしれない。
黒トラは次第に弱って行き、枝に登れず、終日、根元にうずくまるようになった。
みすぼらしい毛並みからは痩せた体が透けて見えた。
餌を置き続けたが、彼は一口も食べなかった。
そのころは近づいても逃げようとせず、目を細くして穏やかに私を見上げた。その深く澄みきった薄緑色の瞳を、今も鮮明に思い出すことができる。
数日後、黒トラは荒い呼吸してうずくまっていた。
声を掛けると微かに目を開いた。
私は風除けに彼の回りを段ボールで覆った。
その日は徹夜の仕事を抱えていたので、1時間おきに様子を見に行った。
黒トラの呼吸は次第に小刻みになって行き、体にさわっても目をつぶったまま反応しなくなった。
翌朝、見に行くと黒トラは前足を少し曲げて冷たくなっていた。
その姿は子猫の頃の楽しい夢を見ているように見えた。
庭の片隅にツワブキの花が咲き残っていた。
その傍らの凍った土を掘って黒トラを埋葬した。
それから長い年月が流れた。
子猫達の遊んでいた広い庭には大きな家が建った。
黒トラのいたエゴの木は切られ駐車場になった。

2月14日、聖バレンタインの日、姪が出張で上京したので、新橋に会いに行った。
絵は、高崎線の車中で向かいに腰掛けていた女性を記憶して、帰宅してから描いた。1年前までセーラー服を着ていたような昭和の雰囲気のある女の子だった。寒さに強く健康そうな体躯と白い足が印象的だ。学生ではない。私と同じく新橋で下車したので、新橋に職場があるのかもしれない。
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