« ゴーンに「もの言う投資家」村上氏など、強欲な経済人たちの開き直り。温室効果ガス排出の新研究。19年3月6日 | トップページ | 幸せ度ランキングはミスコンと同じ。一位だから魅力的とは限らない。人生の楽しさは無駄にある。究極に合理化したら人そのものが無駄になる。19年3月22日 »

2019年3月15日 (金)

街中で不意に聞こえた津軽三味線。震災ドキュメンタリー「あの日の星空」に思う。カタカナ語を正確な発音に変えたら。19年3月14日

震災ドキュメンタリー「あの日の星空」を見た。
大震災の日、三陸地方は灯りが消えて太古の世界に戻り満天の星が広がっていた。その星空に昇天した死者たちを想う被災者達の言葉がとても悲しかった。

私も母が死んでから、晴れていれば夜空を見上げている。
しかし、東京の空は明るすぎて星は少ししか見えない。
それで、荒川向こう川口市高層ビル群の赤い航空標識を眺める。
航空標識を眺めていると、先に逝った家族達が自分を見守ってくれているように思えて心がなごむ。

番組を見ていたら当時の写真が見たくなってブログを遡った。
当時の掲載写真は、のんびり寝る転んでいるニャンコたちや、可憐な草花ばかりだった。無意識に美しいものや可愛いものに惹かれていたのかもしれない。

最近、漫画「小春じい」を描きなおした。
これは、再生医療が進んで、自在に体の部位を取り替えられる時代を想定した。やがて、永遠の命が得られると思う人は多いが、宇宙物理学では永遠の命は不可能だ。宇宙であっても永遠ではなく、最後は素粒子レベルまで分解され、すべての命は消滅する。

M_16
M_17
M_18

人の最大の関心は死だ。
当面の問題をすべて解決しても、最後に死が大きく立ちはだかる。これだけは、未来永劫解決方法はない。できることは、死の恐怖を緩和させることくらいだ。例えば、野生動物のように現実を等身大に捉えられるなら、死への恐怖は軽くなる。
辛いのは、死を間近にして感じる孤独だ。たとえ大家族であっても孤独からは逃れられず、死が近づくに連れ肉体的な苦痛が加わり、ひたすら安らぎを求める。しかし、自然死を選ぶなら恐怖は軽減し、多幸感に包まれながら死を迎えられる。だから「壊れるに任せよう」と小春じいに語らせた。
母は臨死体験の中で多幸感を経験したことがある。
それ以降「死ぬのが少しも怖くなくなった」とよく話していた。

最近、悟るための修行など不要だと思っている。
なぜなら、強い意志で身につけた悟りでも、死間近の健康を失った心身では悟りシステムは働かないからだ。
若い頃に読んだ禅宗の本に、死を目前にした高僧が「死ぬのが怖い」と呟いた逸話があった。その時、達観している高僧が何と情けない、と思った。今は、それは正しい言葉だと思っている。高僧だろうと庶民だろうと、誰でも死の恐怖は必ず訪れる。だから高僧は素直に「死ぬのが怖い」と呟いたのだろう。
危篤状態のその高僧は、その後に意識を失い、多幸感の中で安らかに逝ったはずだ。


M_2


114日、赤羽駅前広場で青年が津軽三味線を弾いていた。
不意に耳にする津軽三味線はとても心を打つ。
それで、近づいて500円玉を投げ銭した。

10年前の秋、母が生きている頃、同じように津軽三味線を弾いてい人がいた。
絵はその10年前の人を思い出しながら描いた。
その時、車椅子の母は感動し、お金をあげたいと言った。
それで、その人の前まで車椅子を押して行った。
母は車椅子から手を伸ばして彼の前のザルへ500円玉を落した。
ザルの中に他の投げ銭はなかった。
男性は驚いたように母を見上げて、深々と礼をした。
傍らに身の回りの品を入れたトランク一つ。
実入りが良ければ安宿に泊まり、
おけらの日は路傍で一夜を過ごすのだろう、と思った。

今日の青年の前には、しゃれたハットが置かれていた。
中にはすでに5000円ほど投げ銭が入っていた。
だから、絵に描いた10年前の人とは境遇が全く違う。


M_3


最近、ホームレスの姿に惹かれる。
彼らの表情には太古の野人のような茫洋とした強さを感じる。

先日も、荒川土手で初老のホームレスが荒川を眺めていた。
傍に身の回りのものを積んだ手押し車が止めてあったのでそれとわかった。
彼が眺めていた荒川河川敷に柳が芽吹き始めた。

今年の冬はほとんど雨が降らなかったので土筆がとても少ない。
先日、片手で掴めるほど摘んで、母の好物の卵とじにして仏壇にあげた。
そのあと食べたが、ほろ苦くてとても美味しかった。


M_4

荒川土手から見た夕焼け。

桜田義孝五輪相が定例記者会見で、五輪競技を表す絵文字「ピクトグラム」に関する質問を受け、答えに詰まった。そのことで「彼はピクトグラムをよく知らなかったようだ」と揶揄していたが、この記事は変だ。私は外来語を不必要に使いすぎると思っている。この場合、日本語の「絵文字」で十分なはずだが、マスコミはそれが許せないようだ。

先日の記事に、AI化で変化する仕事形態のRPAがあった。意味は人間が行ってきた事務作業を、ロボット技術で自動化するRobotic Process Automationの略語だ。他にルーティン業務があった。ルーティン業務=Routine は日本語の「定型的な仕事」で十分通用するのに、なぜかカタカナ語を使う。
ただし「ルーティン」では英語として通じない。どうしても使いたいなら、英語として通用する「ルティーン」と表記すべきだ。RPA=Robotic Process Automationも「ロボテック プロセス オートメーション」ではなく、正しく「ロバーティク プロセス アルメーション」と発音すれば英語として通じる。
ちなみに「ピクトグラム」も「ピクテグラム」と「ト」の発音を弱めて発音すると通じる。

もし、どうしてもカタカナ語を使いたいなら、一般化しているカタカナ語を全て正しい発音に変えれば良い。それで日本人のカタカナ語知識が役立ち英語下手はかなり改善できる。日本人が記憶している膨大なカタカナ語が、外国語として通用しないのは実にもったいない。


Ma_3

Ma_4
Ma_5
Goof
Mas

|

« ゴーンに「もの言う投資家」村上氏など、強欲な経済人たちの開き直り。温室効果ガス排出の新研究。19年3月6日 | トップページ | 幸せ度ランキングはミスコンと同じ。一位だから魅力的とは限らない。人生の楽しさは無駄にある。究極に合理化したら人そのものが無駄になる。19年3月22日 »

「心と体」カテゴリの記事