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2019年3月31日 (日)

私の平成には最良と最悪の出来事が起きた。社会的にもバブル崩壊に大震災に大事件と悪いことが多かった。19年3月31日

しみじみと自分の平成史を振り返っている。
その前の「昭和」は自分の基本を完成させた時代だった。
平成元年、私は43歳で絵描きに転向した。まだバブルは続いていて、経済に勢いがあり、初個展ではほとんどの絵が売れた。
さらに広告業界と出版界はとても元気で、副業のイラストの注文は断るほどあった。だから、私は最後のチャンスに実に巧く滑り込むことができた。

もし、絵描きへの転向が3年遅れていたら、悲惨なことになっていた。
今の出版業界は凋落の一途で、広告業界は業態がネットへ移行し、イラスト需要は激減した。さらに、クラウドワークスのために素人参入が容易になって、イラスト・グラフィクデザインのギャラは悲惨なほどに大暴落している。

絵描きとしての地位が固まり始めた平成6年に作家寮美千子氏と出会い、絵本「父は空 母は大地」を企画した。
企画は彼女と旧知だったパロル舎へ持ち込み、出版は意外なほどに簡単に決定した。
しかし、それから完成まで、私と作家と編集部と三つ巴に激しい紆余曲折を繰り返した。
当時、50歳少し前の私はとても元気で、次々と現れる障壁を乗り越えて突き進んだ。

翌年、平成7年1月17日未明まで原稿に手を入れ続け、その日の昼にパロル舎へ入稿した。
奇しくも17日未明に阪神・淡路大震災が発生した。
徹夜で仕上げの画筆を加えていると、傍のテレビ緊急通報で「大きな地震が起きて、神戸のスーパー2階駐車場へ向かう車用スロープが落下して死者が出た模様」と伝えていた。それ以降は、時間とともに被害は急拡大し未曾有の大災害となった。

その後の大震災被害報道に心を痛めながら、絵本印刷は私が望む色味がでず、編集部と印刷所と三つ巴で熾烈な軋轢が続いた。その間、決して妥協しない私の自己主張の強さにパロル舎社長はうんざりし、幾度か出版中止寸前まで追い込まれた。

そして、絵本が完成した日の朝、オームサリン事件が起きた。
パロル舎は本郷にあった。昼前に私がパロル舎へ向かった丸ノ内線車内は異常な緊張感に包まれていた。乗客たちは私の資料で膨らんだ紙袋を不審な視線で見ていた。車内でコトリと物音がすると、乗客は一斉に振り返った。今もあの緊張に包まれた異常な静寂を鮮明に記憶している。
下車した地下鉄本郷三丁目駅構内はサリンを洗い流した水が靴の甲近くまで溜まっていた。

古ぼけた木賃アパート1階のパロル舎につくと、狭い部屋にギュウギュウに集まった編集部一同が一斉に拍手して迎えた。
絵本「父は空 母は大地」は完成まで苦難の連続だったが、私以外の誰もが「とても良い出来だ」と喜んでいた。

その後、大手新聞各社の一般図書の書評で大絶賛され、講演に呼ばれたり、マスコミからインタビューされたり、NHK衛星放送で番組が作られたり、FM東京に出演して自然について語ったり、今では考えられないほどに、当時の私は脚光を浴び続けていた。

当時の日記に次のように書いた。
サリン事件は文明の荒廃が生んだ事件だった。文明は廃墟以上のものを作り得ない。死者への哀悼はすぐに忘れ去られ、人は同じ愚を繰り返す。その2ケ月前の阪神大震災が太古に起きたら、歪んだ竪穴式住居の柱を直しながら、「でかい地震だったな」と語り合う程度の天災であったはずだ。
文明への静かな怒りを語ったインデアンからの手紙「父は空 母は大地」がヒットしたのは、それらの時代と合致していたから、と思っている。

しかし、平成の大災害はそれで終わらなかった。
平成23年3月11日の三陸沖地震の時も、私は激しい揺れの中で絵を描いていた。テレビ報道の最初は少し大きめの津波を予想していたが、すぐに未曾有の大津波に変わり、原発の大事故までが起きた。

私は前年平成22年7月1日に在宅で母を看取った。
三陸沖地震では8畳間の仏壇が母が寝ていたベットの位置まで飛んだ。だから、平穏だった前年に母が死んでくれていて本当に良かったと思った。もし、生きていたら、仏壇がぶつかり怪我をしたか、弱っていた心臓がショックで止まったかもしれない。

平成での、私にとって最良の出来事は絵描きへの転向で、最悪の出来事は母との死別であった。
4月1日に新元号が決定し5月1日から実施される。
平成はまだ1ケ月残っているが、平穏な日々であることを深く望んでいる。


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都営桐ヶ丘団地の道路から眺めた東京北医療センター。

平成末期は有名人の訃報を次々と聞いた。
近日では声優の白石冬美氏が、虚血性心不全のため82歳で死去した。
昭和57年に終了したTBS深夜ラジオ人気番組「パックインミュージック」にて、彼女は故野沢那智氏との軽妙なやりとりで人気があった。私はその「ナチ・チャコパック」の大フアンで欠かさず聞いていた。
平成元年に絵描きに転向して青山で初個展を開いた時、偶然に彼女は会場を訪れた。それをきっかけに彼女と知り合い、その後何回か私の個展に彼女は来訪してくれた。

彼女と同じ頃に、萩原 健一氏(ショーケン)が68歳で死去した。彼とは無関係だが、大宮在住の知人と彼は親しかった。
彼は2011年からGIST(消化管間質腫瘍)を患い闘病してきた。闘病開始の頃にモデルの冨田リカ氏と結婚した。ショーケンの若い頃は好きな役者ではなかったが、晩年、冨田リカ氏と結婚してからは、とても良い歳の取り方をしていた。だから、彼の早い死は残念だった。


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荒川土手下の夜桜。

夜になると土手道に寒風が吹きすさぶ。
新元号が決まれば、一気に昭和が遠くなる。
新元号の時代に私の人生は終結するはずだ。
昭和は本当に懐かしい時代だった。

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小春じいの家は、空き地にポチとたタマが勝手に建ててくれた違法建築であった。


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Goof

Mas

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