平成最後の桜は本当に美しかった。あと4日で平成が終わると思うとセンチメンタルになってしまう。19年4月26日
春が陰影深いのは桜があるからだ。
散ってしまってからしばらくは虚脱感に囚われていた。
いつも休むベンチ前の桜はすっかり葉桜になった。
それでも時折、花弁が一つ二つと舞って、お茶のボトルの飲み口にハラリと落ちることがある。
そのまま口をつけると、かすかにシナモンの香りを感じる。
それはシナモンと同じクマリンを含むからだが、その儚げさは心に染み入る。
その桜は15年前に植えられた。
同じ場所で車椅子の母を撮った写真があるが、後ろに細い幼木の桜が写っている。今、成木に育った桜を見上げていると、平成15年からの記憶が走馬灯のように蘇る。
桜は華麗に咲き誇ったと思う間もなく、花吹雪とともに消えてしまう。
だから、花の短さに人生を重ねて、花吹雪に死のイメージを持つのだろう。
ちなみに「サクラ」の「サ」は神、「クラ」は神の座す場所の意味だそうだ。それで人々は桜が開花すると食物を供えて祝った。それが今の花見の原型となった。
ついでに「死」について調べた。
「死」は白骨と、それに跪く人を合わせた表意文字だ。「死」の元来の意味は、事故や刑によって命が奪われることだった。しかし現代では自然死を第一に表す。仏教で「死」を意味するのは「涅槃寂静」で、煩悩から解放された永遠の安らぎを表す。
養老孟司氏は「人の死は存在するが自分の死は存在しない。だから、自分の死は考えない。もし、今、自分が死んだと感じるなら、まだ自分は生きている訳で死んではいない」と、語っていた。
仏教では人を含む全ての生き物は輪廻転生して姿を変えながら生き続ける。キリスト教など他の宗教では天国地獄などの死者の国を想定している。面白いのはインデアンの死生観で、あの世は天国だけで地獄はない。それは罰が必要な犯罪そのものが少なかったからだ。
哲学者たちの死生観は養老孟司氏と似ている。
少し変わっているのはニーチェの死生観だ。
彼は、死んでも死んでも同じ人生を繰り返す永劫回帰を考えた。初めて見た光景や訪れた街に、以前見たことがあるとデジャブを感じることがある。ニーチェの考えに従えば、それは前世の記憶が微かに残っているからだろう。
浮間池夕景。
話は変わるが、初期のあみだくじは放射状に描かれ、その形が仏像の光背に似ていたので、あみだくじと名付けられた。
最初は賭博用のくじだったが、視線を変えると哲学的だ。
仮に、くじを人類全体に割り当てたとする。
それぞれの人は与えられた放射線をたどり、横線を選びながら進んで行く。その間、多くの人と交差し、途中に設けられた成功や失敗を経て、最後は全ての人が中心の死の領域に辿り着く。
そのように考えると、あみだくじは実に奥が深い。
先日、高須クリニックの高須克弥院長が全身ガンであることを公表した。
彼は私と同じ歳なので色々と考えされられる。
私とくらべ、彼は天上人のような大金持ちで、毎日、10万円の800gステーキを食べている。私もステーキは大好きで800gくらい平気で食べる。ただし、私のステーキは最上級和牛ではなく、スーパーの安売りで買ったオージー・ビーフだ。
それでも、彼と人生を交換したいとは思わない。理由は彼がガンだからではない。貧乏なやりくり生活の毎日でも、好きな時に起きて好きな時に食べ、好きな時に絵を描き、好きなだけ散歩ができる人生の方が断然楽しい。思えばそのような生活を50年ほど続けている。
しかし、それでも、最期はあみだくじのように死に辿り着いて終わる。
グーが来た。
このシリーズを老荘思想に従って文脈を変え、描きなおし、令和に発表する予定だ。
平成はあと4日で終わる。
思い返すと、平成の前期3分の1は絵描きに転身して、生涯で一番楽しく充実していた。
中盤の3分の1は母の介護で明け暮れ、生きることを深く深く考えさせられた。
母と死別してからの残り3分の1は、死について深く深く考えさせられた。
だから、私にとっての平成は、昭和よりとても思い入れが深い。
欧米人と付き合いが多い友人によると、彼らは元号を羨ましく思っているようだ。理由は適度な長さで人生をリセットできるからだ。確かに、西暦での世紀は100年単位と長すぎる。その点、元号は時代の雰囲気を的確に伝えてくれる。例えば明治は急速な西欧化。大正は大正ロマンの言葉があるように文化の成熟。昭和は大激動と高度成長。平成はバブル崩壊と相次いだ大災害。元号は時代を実に端的に表している。
日本の元号に世界一興味を持っているのは本家の中国だ。中国人の多くは100年前に元号を廃止したことを残念に思っている。だからか、令和元年の歴史的瞬間を目撃しに、来日する中国人観光客が増えそうな気配だ。
今、中国では文化大革命で排除してしまった古典学習の大復興期で、「令和」が発表されるとすぐに、典拠は中国最初の詩文集「文選」からだろう、との投稿が相次いだ。当時の日本でも「文選」は知識階級が学ぶ必須科目だったので、万葉集で「令月」と「和気」が引用されたのは自然な成り行きだ。
中国人観光客が京都に殺到するのは、本国では失われている長安の街並みが残っているからだ。
年頭に東京国立博物館で開催されていた「顔真卿展」では日本人より中国人の方が多かった。展示された書は台北・故宮博物院が貸し出した国宝の顔真卿の書だ。それで、見学を目的に多くの中国人たちが来日した。面白いのは、会場で売られていた日本製の筆・硯・墨・和紙などが飛ぶように売れたことだ。
そのように、自国文化を捨て去ることは大きな損失で、取り返しのつかない残念なことだ。その点、日本人は民間の力で文化を大切に守り続けてきた。それは世界に誇れることだ。
初めて改元に接する若者たちは感傷的になっているようだ。殊に、平成初期に生まれた若者たちは、令和を迎えると30代となり、若くはないと思い知らされている。それを嘆く声をネット上で目にすることが多くなった。私にも感傷はあるが、それより令和に入るのを機会に、人生を良い方向へリセットしようと思っている。
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