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2019年5月18日 (土)

健康な食欲が最高のグルメ。ポケトーク は日本人を変える。モダンアートと伝統の相違。令和元年5月18日

米国モダンアート作家ジェフ・クーンズ(64)の金属彫刻「ラビット」が約100億円で落札され、存命作家としては史上最高額だった。
作品はビニール玩具様のウサギをステンレス鋳造し、ピカピカに磨き上げた高さ1mほどのオブジェだ。

モダンアートと伝統的なアートは基本理念が大きく違う。
モダンアート作家は新規性と理論武装を重視し、作家は必ずしも制作を楽しめない。
対して伝統的な作品は、個性とわかりやすい具象表現で、作家は制作がとても楽しい。

20世紀のピカソやマチスなどからアンディウォーホールなどに至るモダンアートの巨匠たちは、新規性と創る楽しみを両立できた幸せな世代だった。しかし、今、デビューしているモダンアート作家たちは違う。新規性は出尽くし、既成作品以上に新しいものが生まれる余地はほとんどない。だから、現代の中堅作家たちに制作の喜びは少なく、日夜、理論武装と新規性の創出に追いかけられ、大きなストレスに晒されていている。

古典から印象派まであたりを除き、今後の伝統的アートが美術界で大きく評価されることはないだろう。
米国の国民的画家アンドリューワイエスですら、米国美術界では装飾美術寄りの評価しかされず、モダンアートほどの高額取引で話題になることは少ない。

ちなみに私は理論武装より描く楽しさを重視した装飾美術寄りの作風を選んだ。
だから、私の作品が美術界で高評価されることは全くない。

 

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グーが来た

令和元年に入ってすぐに、散歩道で1円玉を拾った。
少額でも、改元早々にお金が入ったのはとても嬉しかった。

「1円を無視する者はお金に嫌われる」

私はそう信じている。

昔から悪運は強い。
本当はゆとりを持って不運を乗り越えたいが、そのようなことはほとんどない。
「死ぬのでは」と思うほど追い詰められたことも幾度かあった。
しかし、毎回、誰かに救われたり、幸運に見舞われて助かった。
だから悪運が強いと思っている。


昨日は深夜4時に寝て、午前10時に小学校校庭で騒ぐ子どもたちの声とウグイの声で目覚めた。
しばらく寝ぼけていて、40年前に住んでいた赤羽台の家いると錯覚していた。

そのころの住まいのすぐ近くに八幡小学校があった。
校庭は団塊世代の子供達であふれていた。
今、その八幡小学校は少子化で廃校寸前だ。
対して、この浮間地区は都内では珍しく子供の人口が増え、近くの小学校は子供たちで賑やかだ。
そんなことをぼんやりと考えているうちに現実に覚醒して、少し虚しくなった。

午後一番で上野歯科医院に歯のメンテナンスへ出かけた。
帰りは久しぶりに自然公園へ回った。
公園へ至る道は道路建設の区画整理が進み、軒を寄せ合っていた古い家並みは撤去され、広々と新しく建て代わっていた。

自然公園は新緑が美しかった。
母を毎日連れて行っていた10年前と比べると、木々が大きく成長し森の雰囲気に変わっていた。
当時の顔なじみのお年寄りたちは亡くなるか弱るかしているので、一人も出会わなかった。

先日、版画家の菊池君が携帯翻訳機のポケトーク を購入した。
早速、米国人相手に試してみると、スムースに会話ができて、相手は驚いていたようだ。
ポケトークは日本人の生き方を変えるくらいの力があるかもしれない。
それは翻訳機能内蔵の従来翻訳機とは全くシステムが違う。
それはネットワークで繋がるクラウドコンピューティングの携帯端末で、世界中で70ケ国言語に対応し、クラウド上のAIは使用状況から誤訳などを修正し、休みなく学習進化し続ける。殊に海外で病院にかかった時などに必要な医学用語などは充実している。今は会話主体で書面などの読み取りはできないが、数年のうちにカメラが付いて、書類などを読み取ってくれるようになるだろう。

この機器の発想は英語下手の日本人の特性から生まれたものだ。
自国語が世界で通じるのが当たり前と信じている米国人や、元々、語学が得意な中国人からは生まれにくい発想だ。

姉は菊池君より前に、知り合いのフランス人の12歳の男の子がポケトーク を片手に一人で日本旅行を無事にできた、と聞いてすぐに購入した。
私は早速、姉のポケトーク とグーグルの翻訳機能と比べてみたが、甲乙つけがたかった。
しかし、実際の使いやすさは、スマホアプリを使ったグーグル翻訳より、ポケトーク の方が一段上だ。
まだ、地名などの固有名詞は誤訳が多いが、慣れれば推理して補えるので大きな問題ではない。
東京オリンピックでの実用化を目指し、官民協力して作り上げた携帯機器だったが、これから1年で格段に進化しそうだ。

ポケトーク の登場で、内向的と言われていた日本人が海外へ気楽に出かけ積極的な交流を始めそうだ。
それは今の日本の停滞感を、一掃するほどの力を生み出すかもしれない。

 

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北赤羽駅高架下

食べ物番組は好きだ。
B級から超セレブな高級料理まで満遍なく見る。
しかし、私はグルメではない。
ただただ、食べるのが好きなだけだ。

40年前、高級料理店経営者と料理人たちで構成されたグルメの会に参加していた。
毎月、メンバンーの店が持ち回りで料理を担当し、材料費だけで参加できた。
しかし、腕によりをかけた一流料理だったのにも関わらず、さほど美味しくはなかった。
なぜなら、それはその時食べたかった料理ではなく、お仕着せの料理だったからだ。
料理研究のためならグルメの会で良いが、料理を楽しみたいなら、その時すぐに店まで出かけて食べるのがベストだ。

一番美味しい料理や食物は何だったか即答できる。
それは18歳あたりまでに集約される。

小学生だった昭和20年代後半、最高に好きだったのはハムだった。
その頃のハムは本格的に作られたドイツ式の本物で、特有のスパイスの香りがした。
高度成長につれハム・ソーセージは粗製乱造されて、本物の味も香りも完全に消えた。
世の中が落ち着き、本物が求められるようになってからドイツ産のハムを食べた。
「この味と香りだ」と感動はしたが、子供の頃の感動にはほど遠かった。

4,5歳の頃食べた、米軍横流しのハーシーのチョコレートの芳醇な香りには、頭がおかしくなるほど大感激した。
しかし、後年、同じハーシーのチョコレートを食べてみると、大味で不味かった。

12歳から暮らした宮崎市のラーメンはとても美味かった。
真冬、家族総出で映画に行き、帰りによく食べさせてもらった。
寒い夜道にポツンと光るのラーメン屋の提灯を見つけると気分が高ぶった。
店に入り、シミだらけのカウンター席に腰掛けると、大釜の湯気とラーメンの香りに包まれた。
メニューはラーメンと飲み物だけだ。
子供が席に着けばラーメンに決まっている。
店主は黙って湯切りした麺を背脂入りドンブリに放り込み、白濁したスープを注いだ。さらにモヤシを一掴み。刻み青ネギ、メンマ、店手作りの焼き豚と手際よく並べて、カウンターにドンと置いた。
当時の宮崎の豚は本当に美味しかった。白濁したスープは今はやりの豚骨スープとは別物で、もっとあっさりしていた。
火傷しそうに熱い麺にたっぷりと胡椒をかけ、フーフー吹きながら貪った。
それは今のどの有名店より美味かった。
しかし、後年、宮崎へ行った時、期待してラーメンを食べたが昔ほどの美味さはなかった。

生涯で一番美味かったのは、それらではない。
16歳の春休み、飯盒に米、メザシ、沢庵の古漬けを持って、宮崎市から15キロほどの青島へ自転車で行った。
誰もいない海岸で流木を拾い、砂山で釜を作り飯盒炊爨をした。
炊きたてのご飯は、熾火で焼いたメザシと沢庵をオカズにして食べた。
メザシは小型のカタクチイワシを固く干し上げたものだ。
沢庵は固い少し酸味のある古漬けだった。
この時以上に美味しい食事は今に至るまで経験していない。
満腹後は砂浜に寝転び、青空と大海原をぼんやり眺めた。
その幸せ感は今も蘇る。

番外として、子供の頃にとても美味しかったのに、それが何だったのかどうしても思い出せない赤いシロップがある。
それは山いちごを煮詰めて作ったような香りがした。
それはババロアにかかっていたようなイメージがある。
食べた記憶は明確に残っているのに、どこで食べたのかも思い出せない。
上京してからも、似たものを見つけては食べてみたが、記憶とは大きくかけ離れた別物だった。
しかし今でも、不意にその甘い香りが鼻腔いっぱいに蘇る。

母の料理で記憶に残っているのは、
時間をかけて煮込んだビーフシチューとロールキャベツだ。
一家総出で作った餃子もとても美味かった。


最高に美味しい食べ物はどれも18歳くらいまでに食べたものばかりだ。
だから、私のグルメに対する考えは常識とは大きく違う。
それは食味解説者たちが、眉間にしわを寄せて理屈を並べ立るような料理ではない。
食物レポーターが、大仰に褒めそやす有名店の料理でもない。
1年間、同じものを食べ続けても毎回感動できる健康な食欲を保つことが、グルメだと思っている。
散歩などで適度に疲れ、健康な空腹感の中で食べるのが、最高の料理だ。

昨日は散歩帰りに買ったベビーホタテをキャローラ油を敷いたフライパンで弱火で蒸し焼きにし、胡椒を振ってシンプルに食べた。
今朝は鰆の塩麹漬けを焼いて食べた。
共にとても美味かった。


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土曜18日は荒川対岸の花火大会だった。
荒川土手は昼間から見物客がやって来て、テントを張ったりして開始を待っていた。
花火より、自然に包まれた待ち時間の方が楽しいかもしれない。
私は熟し始めた桑の実や山桜のサクランボを食べながら河川敷の道を散歩した。
今年のサクランボは大豊作で、香り高く甘い。
口中をアントシアニンで紅色に染めながらたらふく食べた。

 

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