「となりのトトロ」と「秩父山中・花のあとさき・最終章ムツばあさんの歳月」考。令和元年7月17日
「となりのトトロ」のサツキとメイの家では、照明はまだ白熱電球で、夜は蚊帳を吊っていた。白熱電球には画像のように、プラスチック薄板を三角錐に加工した虫集めが被せてあった。明かりに集まった虫が透明な三角錐に落ちて閉じ込められ、白熱電球の熱で死ぬ仕組みだ。
アニメ冒頭の、オート三輪での引っ越し先の設定は、昭和30年代の狭山丘陵あたり。
小さな荷台に積まれた、少ない引っ越し荷物に時代を感じた。
サツキは小6の12歳で、私より少し年下の設定だ。メイは4歳。父親は東京の大学の考古学非常勤講師。それだけでは薄給なので、副業として中国語の翻訳をしている。
サツキが転校してきた小学校の同級生カンタは、都会的なサツキにほのかに惹かれていた。学校帰り突然の雨で、サツキとメイがお地蔵さんを祀った小さなお堂で雨宿りをしていると、通りかかったカンタが自分のコウモリ傘を貸して、濡れながら帰った。傘はかなり古くあちこち痛んでいる。多分、戦前に作られた大人用だろう。柄は口金がついた黒いセルロイド製で中に石膏が詰めてあった。
昭和20年代の私が小学生低学年の頃は、物資不足のためコウモリ傘は高価で、竹の骨に和紙、防水に桐油を塗った番傘ばかりだった。下ろしたての番傘は開くときバリバリと音をたて、桐油の香りがプンと漂った。新しい番傘の黄色っぽい透過光は大好きだった。男の子たちは、開いた番傘の端を流水につけて水車にしたり、地面を転がして遊んでいた。だから、番傘はすぐに痛んだ。濡れた後、丹念に日干ししないと、カビて黒いシミができて、骨の根元の糸が切れてバラバラになった。
トトロの昭和30年代には番傘は消え、プラスチック柄の子供用コウモリ傘が登場した。
雨の夜、サツキとメイがバス停で傘を持って父親を待つているとトトロが現れた。
サツキは赤いコウモリ傘、メイはカッパをきている。
赤い傘は大人用で、多分、入院中のお母さんのものだろう。
そこへ突然現れたトトロは、雨よけにツワブキの葉を頭に乗せていた。
バス停にツワブキが描いてあるので、その葉だと分かる。
トトロは傘を貸してくれたお礼に、どんぐりなどを木の葉に包んで竜のヒゲで縛った
贈り物を渡して、ネコバスで去って行った。
私の子供時代は年寄りが、暑さよけに香りが良く清涼感がある蓮の葉をかぶっていた。
宮崎監督にも、そのイメージがあったのかもしれない。
後先になったが、バス停のシーンの前に、メイは大楠の祠で初めてトトロに出会っている。あれほどの大楠は狭山丘陵にはない。あるとすれば東海地方か西日本あたりだ。宮崎監督は、設定場所は好きな風景をあちこちを取り混ぜて描いたと話していた。
このアニメのストーリーは実にシンプルだ。ディテールまで緻密で清々しく描かれた背景画が、物語の魅力を深めている。アニメを見ながら、子供の頃や、上京した頃の鄙びた武蔵野を懐かしく思い出した。近年大ヒットした「君の名は」も、魅力は背景画の緻密さにあった。
カンタの家は昭和40年代高度成長期の宅地開発で、裕福な地主さんになったはずだ。
病弱な母を抱えていた頭の良いサツキは、もしかすると医者になったかもしれない。
カンタとサツキは家族を持っても、今も家族同士の付き合いをしているのでは、と思っている。
昭和30年代の西武線郊外風景を描いた。
先日見たドキュメンタリー「秩父山中・花のあとさき・最終章ムツばあさんの歳月」はとても良かった。見たのは、平成13年から取材を続け、反響が大きかったシリーズ「秩父山中・花のあとさき」の最終章だ。最初は仕事をしながら声だけ聞いていたが、とても良かったので半ばから画面も見た。
場所は秩父の山間にある限界集落での物語。秩父市吉田太田部楢尾
春、住民が激減した集落に花が咲く。
ハナモモ、ツツジ、レンギョウ、ここで一生を終えた小林ムツさんが植えた花々だ。
「畑が荒れ果てていくのは申し訳ない。せめて花を咲かせて、山に還したい」
ムツさんは持ち主が消えた斜面の畑に、一万本にも上る花を植えてきた。
小柄で日に焼けた笑顔が優しい。
とても元気だが「今時の若いものには負けない」などの、年寄りにありがちな背伸びした元気自慢は絶対にしない。
「太陽が入れば、小鳥と同じだ。家へ入って寝てしまう」
「花を咲かせて畑を山に返せば、安気(のんびり)できる」
残した言葉はどれも知的で心を打つ。
私が子供の頃、ムツさんのように無学だが知性溢れる年寄りが多くいた。
ムツさんは心から夫を愛していた。
夫は炭焼き名人で家族のために懸命に働いてきた。
思い出の中で、
夫は酒好きで、夜の山道のススキを酒屋の縄のれんと間違えて寝入っていた。
夫を迎えに行った時の思い出を、楽しそうに話していた。
戦後まもない頃で住人が多く、山を越した集落に酒屋があったようだ。
2006年、ムツさんは優しい夫を亡くして気弱になっていた。
奥秩父の楢尾の冬はとても厳しい。
その年の暮れ、母親の体力の限界を感じた長男が迎えに来て、ムツさんは山を下って行った。
楢尾では、そのように山を下った年寄りが春に戻って来ることはない。しかし、2007年2月、「娘が上げ膳据え膳で、体がなまってしまった」とムツさんは戻ってきた。
5月、再度撮影チームが訪れると、ムツさんは元気に草刈りやタケノコ採りに励んでいた。
しかし、それがムツさん最後の姿となった。
その2週間後、ムツさんは畑で倒れ、翌年1月に亡くなった。享年86歳。
いい最期だと思った。
亡くなってから10年。楢尾にはムツさん思い描いていた花の風景が広がっていた。
今年の梅雨は異常に涼しくて、見慣れた風景が北国のように見えた。
夜、家に飛び込むカナブンが例年より激減した。
荒川土手ではいつものように沢山飛び回っているので、涼しさのせいではない。
住まい通路の照明がLEDに代わったからだ。
LEDの光は紫外線を含んでいないので、虫には見えない。
先日の「チコちゃんに叱られる」のテーマの一つは「なぜ虫は照明に集まるのか」だったが、その中でLEDについて説明していた。
ちなみに本題の、虫が照明の周りをくるくる回ってぶつかるのは、虫は月との角度を一定に保ちながら、目的の方向へ飛ぶからだ。月と比べて人が作った照明はとても近く、一定の角度を保って飛ぶと、くるくる回って最後に明かりにぶつかってしまうことになる。
「チコちゃんに叱られる」は子供に人気がある。
科学離れが言われているが、この番組によって科学好きが増えれば、未来に希望が持てる。
近況・・・絵本「おじいちゃんのバス停」を完成させて、Amazon Kindleの電子図書 にてアップした。
https://www.amazon.co.jp/dp/B0B79LKXVF
Kindle Unlimited 会員は0円で購読できる。
上記ページへのリンクは常時左サイドに表示。画像をクリックすればKindleへ飛ぶ。
絵本の内容・・おじいちゃんのバス停・篠崎正喜・絵と文。老人と孫のファンタジックな交流を描いた絵本。
おじいちゃんは死別した妻と暮らした家に帰ろうとバス停へ出かけた。しかし、家は取り壊され、バス路線も廃止されていた。この物語は、20年前に聞いた知人の父親の実話を基にしている。対象は全年代、子供から老人まで特定しない。物語を発想した時、50代の私には77歳の父親の心情を描けなかった。今、彼と同じ77歳。ようやく老いを描写できるようになった。
概要・・初めての夏休みを迎えた小学一年生と、軽度の認知症が始まったおじいちゃんとの間に起きた不思議な出来事。どんなに大切なものでも、いつかは終りをむかえる。終わりは新たな始まりでもある。おじいちゃんと山の動物たちとの、ほのぼのとした交流によって「終わること」「死ぬこと」の意味を少年は学んだ。
描き始めた20年前に母の介護を始めた・・このブログを書く8年前だ。絵は彩色していたが、介護の合間に描くには画材の支度と後片付けに時間を取られた。それで途中から、鉛筆画に変えた。鉛筆画なら、介護の合間に気楽に描けた。さらに、水墨画に通じる味わいもあり、意外にもカラーページより読者に評価されている。それはモノクローム表示端末で正確に表現される利点がある。
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