« 欧米で韓国情報操作が成功するのは、日本強国、韓国弱小国と判官びいきされるから。オリンビックへ愛の旭日旗提案。令和元年9月15日 | トップページ | 血糖値(グルコース)スパイクは時計を前にダラダラ食いで克服。高血糖・AGE・活性酸素での老化危機は一病息災に光明。令和元年10月19日 »

2019年10月15日 (火)

台風一過の荒川。忙しさは時間を浪費し、豊かな人生を毀損する--老荘思想。令和元年10月15日

 録画でNHKスペシャル・東京ブラックホール・破壊と創造の1964年を見た。それは山田孝之扮する主人公が東京五輪に向けて沸騰中の東京へタイムスリップする物語だ。NHK秘蔵の実写映像と主人公は、違和感なくデジタル合成されていた。
当時19歳だった私は、東京オリンピクへ向かって激動する東京を鮮明に記憶している。ドラマ背景の群衆に若い私が写り込んでいるかもしれないと、目を凝らした。背景には高度成長期の劣悪な生活と労働環境が描かれていた。当時は、ドブ臭い隅田川から立ち上る硫化水素で、磨き立ての真鍮製品など数時間で黒くなった。それでも住民たちは平気でゴミを川や海に捨てていた。今のモラルからは想像もできない光景だった。

水洗トイレが普及する前で、汲み取り式が普通だった。バキュームカーが来ると、排気の悪臭が町中に漂った。汲み取った糞尿は汚穢船に積まれ、千葉沖の太平洋へ投棄された。番組にはその実写も挿入されていた。
当時、その投棄された汚物に大量のイワシたちが群がると聞いたことがある。以来、私は東京のイワシが食べられなくなった。そのトラウマが残っていて、今も東京産のイワシは敬遠している。

大気汚染もひどく、上京してから7,8年は青空を見たことがなかった。
しかし、この時代の日本には、凄まじいエネルギーが溢れていた。それは成長期の中国の光景より過激だったように記憶している。映画「ALWAYS 三丁目の夕日」が光なら、この番組は影だった。

M_5_20191015103501

 台風19号に備え、赤羽駅前の半地下の薬局は入り口に止水板を設置していた。台風19号は「スーパー・タイフーン=ハギビス」と米国では呼ばれ、地球史上最大級だと言われていた。風速はその前の15号の方が強かったが、信州・関東から東北まで洪水をもたらしたエネルギーは戦後トップクラスだった。

台風へ吹き込む南風の湿度は強烈で、仕事部屋の湿度計は100パーセントを示した。そのためにトイレと浴室の壁は水をぶちまけたように結露した。
台風は11時あたりに東京を抜け、風は乾いた北風に変わった。深夜、トイレと浴室を乾いたモップで掃除して、湿気を吸って重くなったマットとスリッパを洗濯した。ベランダに干していると、激しく流れる雲間に星が見えた。

M_8_20191015103501

 数時間眠って、早朝に目覚めた。
夜明け前の荒川。北風に変わり肌寒い。河川敷のゴルフ場は水没して湖のように見えた。上流の広大な遊水地や河川敷が緩衝帯になり、荒川の奔流は緩和された。結果、危険水域までに5mほどの十分な余裕があった。眠っていて気づかなかったが、携帯には国土庁から退避勧告の緊急警報メールが入っていた。
私の住まいは高層階なので、避難しない方が安全と判断した。
ちなみに、今回、多摩川方面で洪水が起きたのは氾濫防止を堤防だけに頼り、荒川のような二重三重の緩衝帯がなかったから、と言われている。

二度寝をして昼過ぎに目覚めた。散歩はいつもより早く出た。我が家から3キロ上流の河川敷運動公園に設置してある私の彫刻「雲親父」の点検へ行った。途中の土手道は、増水した荒川見物に大勢の人が来ていた。

M_10_20191015103501

 画像は水没した広大な荒川第一調整池方面。
彩湖を含むこの地域が増水の受け皿になり、荒川堤防の安全を保った。
彫刻の設置場所は、この地点より少し上流。
左手土手向こうに祖母と交通事故死した甥を荼毘に付した戸田斎場がある。

M_9_20191015103501

 雲親父は腕から下が水没し、多くのゴミが絡んでいた。もとより、ボロ布のイメージで製作した彫刻なので、ゴミが絡んでいても気にならない。
首都を守る荒川土手は日本一頑強で、増水に対する緩衝地帯も多く設けられている。だから、よほどの豪雨が続かない限り氾濫しない。

 帰りは中山道へ出て、環八を過ぎ、赤羽方面へ至る裏道へ左折した。
しばらく歩くと見慣れた崖下道に至った。
崖斜面の自然林はムクノキの巨木が多い。昨夜の台風で熟したムクの実が地面一面に落ちて、甘い香りをただよせていた。私は羊羹のような食感のムクの実が大好物だ。だがムクの実は潰れやすく、落ちて汚れたムクの実は洗っても食べられない。誠に残念。

M_6_20191015103501

 帰り道から見た満月。滅多に見られない光景である。
荒川土手の水際の道を見物客たちが散策していた。

夜はラグビー・日本-スコットランド戦だったが、縁起を担いで他の番組にチャンネルを合わせた。
10時過ぎ、パソコンで結果を確認すると日本の奇跡的勝利。嬉しくて、幾度もスポーツニュースで確認した。これで日本は初めての8強。優勝を願っているが、次は強豪の南アフリカ戦で厳しい。

M_2_20191015103501

 浮間の古い居酒屋前を、現場帰りのニッカボッカの初老男性が自転車で過ぎていった。左の店はパチンコの景品交換所。

 先月から突然に仕事が忙しくなった。その前まで絵が全く売れず、このまま死ぬまで無収入なのではと恐怖に晒されていた。しかし、突然に一枚売れたのが誘い水となり、絵が次々と売れ注文も重なり安堵した。

「忙」とは心を亡くすとの意味だ。心を亡くせば自分も失い、時間は一瞬に過ぎて行く。
忙しさが一段落し、気がつくと夏の酷暑は遠く去って、路傍には3時草が咲いていた。
この花と赤い小さな実は宝石のように可憐だ。

やっと、いつもの公園のベンチに腰掛けて、ぼんやりと空を眺めるゆとりが生まれた。
ぼんやりしていると、荘子の「不測に立ちて、無有に遊ぶ」の名言が思い浮かぶ。
この言葉はいつも心を癒してくれる。

 10月に入ってから5時を過ぎるとすぐに暗くなる。
暗くなると、急き立てられるように帰路を急いでしまう。
信号が赤に変わりそうになると、小走りになってしまう。
しかし、荘子は、そのように走ることを諌めている。
心を目的で一杯にすると、目的へ至るまでに味わえる自由な時間を失ってしまうからだ。
さらに、目的の結果が芳しくなくても、失望してはならない。
なぜなら、人生にとって結果は重要ではないからだ。
荘子老子は自由な心が一番大切だと言っている。
2000年昔の偉人たちは、拝金主義に陥っている現代中国人より、遥かに心は豊かだった。

M_1_20191015103501

 先日、地下鉄で見かけたスマホを使う茶髪の若い女性。
ソヴィエトのボルシェビキのような黒革マリンキャップとパフスリーブの半袖ブラウスがとても似合っていた。

 

Ma_3

Ma_4

Ma_5

Goof

Mas

|

« 欧米で韓国情報操作が成功するのは、日本強国、韓国弱小国と判官びいきされるから。オリンビックへ愛の旭日旗提案。令和元年9月15日 | トップページ | 血糖値(グルコース)スパイクは時計を前にダラダラ食いで克服。高血糖・AGE・活性酸素での老化危機は一病息災に光明。令和元年10月19日 »