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2019年12月20日 (金)

自分より若い人の訃報は辛い。景気が後退した銀座のクリスマス風景は質素だった。美しい自然の中で暮らすと、死後の世界が信じられる。令和元年12月20日

 いつもの公園で休んでいると、不意に風が過ぎて、ミズキの枯葉がカサカサと舞い落ちた。
自然の音はとても美しい。久しぶりに静かな晩秋の音を聞いた気がした。

荘子の言葉に「未だ天籟を聞かず」がある。
天籟(テンライ)とは三穴の小笛のことで自然の美しい音を表す。
意味は、世界は美しい音に満たされているのに、世人はあえて耳を塞ぎ、聞こうとしない。

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病院下公園

 月曜の夜、遅くまで仕事をしていて、寝入ったのは午前4時だった。
翌火曜日17日、午前10時に電話で起こされた。
電話をしてきた人は、川口の溶接屋さんの社長Kさんの姉だと言った。
Kさんとは、20年以上昔、一緒に野外彫刻を作ってからの付き合いだ。しかし、彼の母親以外の身内は全く知らない。直感的に、何か重大なことが起きていると思った。それには理由がある。彼は毎年、誰よりも早くお歳暮を送って来ていたのに、今も届かない。何か悪いことがあったのでは、と案じていた矢先だ。
彼女はしばらく口ごもっていた後、「・・・実は、弟は11月2日に、心臓が破裂して亡くなりました・・」と涙声で話した。

今年は彼より先にと、12月に入るとすぐに鹿児島から冷蔵さつま揚げを送った。
しかし、Kさんは独り者だったので、自宅はずーっと空き家になっていた。
さつま揚げは、たまたま姉さんが後片付けのために訪ねた日に届いた。

「毎年、鹿児島からさつま揚げセットを送っていただいて、私も弟から分けてもらい、楽しんでいました。留守が続けば局内に置かれたままになり、傷んだかもしれません。丁度その日に、私が空き家を訪ねたのは、弟が呼んだのかもしれません。」
彼女は嗚咽しながら話した。

彼は急変して救急車を呼び入院した。すぐに緊急手術が行われたが間に合わなかった。
享年69歳。私より若い人の訃報はとても辛い。受話器を置いた後、表現しがたい寂しさに晒された。彼が亡くなった11月2日は、私は友人と池袋で飲んで、深夜に帰宅した。何も知らずに過ごしていた日々を思い返すと、彼にすまない気がした。

 20数年前、2月の寒い時期に1ケ月ほど赤羽から川口に通って、Kさんと一緒に野外彫刻を制作した。
以来、彼と仲間たちと、よく川口の夜の街で遊んだ。無口だが朴訥なKさんの人柄は気に入っていた。
しかし、間もなく母の介護が始まって、彼とは、中元とお歳暮を交わすだけの間柄になった。最後に会ったのは、3年ほど前の銀座での個展の時だ。彼はガールフレンドと一緒に訪ねて来た。その後、彼女と一緒になるのかと思っていたが、自宅が空き家になっているところを見ると、そうはならなかったようだ。

私は世話になったお礼に、彼の事業所のホームページを作っていた。これからどうしようかと迷いながらホームページを開くと、元気な彼の写真が入っていた。それを見ると休止するに忍びない。営業は休んでいる、とだけ記して、しばらく、そのままにして置くことにした。


 彼の訃報を聞いた日は仕事をする気になれず、銀座へクリスマス風景を見に出かけた。
親しい画廊に寄ると「今年のクリスマスは華やかさがない」と嘆いていた。確かに、去年と比べると華やかさが消えている。そう感じたのは、訃報が重く心に残っていただけではない。実際、経済ニュースでも非製造業の落ち込みを伝えていた。

去年のブログでは、クリスマス飾りは丸の内仲通りが一番素晴らしいと記していた。しかし今年の丸の内は、人通りが少なく、飲食店などのクリスマス飾りは質素で寂しかった。

東京中央郵便局のあるKITTE=キッテに寄った。去年は中央エントランスに巨大なクリスマスツリーが飾ってあって華やかだったが、今年は質素な飾りだけで見物人は少なかった。非製造業の落ち込みの記事以上に、実態は悪い気がした。

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銀座通りのブルガリの蛇の装飾。
LEDライトの色味が去年と違っていた。

 日本経済の低迷は経営陣の無能さにある。彼らは日本の経済成長期の成功体験をもとに経営を考えるから失敗する。東芝にシャープに日産に松下電器。どの企業も素晴らしい技術を無数に持っていながら、無能な経営者たちによって滅びかけている。他の大企業も同様だ。日本は二度目の敗戦を味合わないと本当に立ち直れないのかもしれない。

敗戦後、40年にわたって右肩上がりに繁栄して来た。それは、敗戦によって下克上が起きたからだ。そして今が二度目の敗戦だ。この苦難を経なければ日本は立ちなおれない。
米国も欧州も、一度低迷してから立ち直っている。ただし、日本を待ち受けているのは人類史上初めての少子高齢化だ。この処方箋は、過去のどの歴史も参考にできない。

救いは、待ち受けているのはAI時代であることだ。AIの特徴は、多量の労働人口が不要なことだ。むしろ、労働者全部に仕事を与えることができないのが問題で、労働人口減は有利に働く。だから、AI時代は消費を停滞させないために、働かない人にも賃金を支払うベーシックインカムが考慮されているくらいだ。

国際的な経営コンサルタントによると、経営者トップに多様なアイデアは必要としない。部下たちの提案をひたすら聞いて、「わかった。良きに計らえ。」と容認するだけで良い。ただし、失敗したら責任を取る。簡単だが、これがとても難しい。
その点、明治維新の偉人たちは、その資質を備えていた。だから失敗したら腹を切って責任を取った。しかし、現代の大企業のトップは、無能な指示を乱発し、失敗したら責任を部下に押し付ける。これでは、どんなに優秀な大企業でも滅亡してしまう。


 惰性で付けっ放しのテレビで「いだてん」の東京オリンピック開会式編をやっていた。
実写フイルムが多量に残されているので、画像は本物をデジタル処理したもので鮮明だった。当時二十歳で突っ張っていた私はオリンピックには背を向けていた。しかし、開会式の大空に描かれた五輪マークは、近所のざわめきで気づき、外へ飛び出て仰ぎ見た。当時の東京は大気汚染がひどい時代だったが、あの日の澄み切った日本晴れに描かれた五輪マークは、とても鮮やかだった。五輪マークの位置は代々木上空だったはずだが、当時住んでいた十条の真上に見えたことがとても不思議だった。
当時は、日本も、私も家族も友人知人たちも元気過ぎて爆発しそうな時代だった。しかし今、彼らのほとんどは鬼籍に入ってしまった。あれから54年の重さを、あらためて感じている。


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夕富士

 年々、自分の死は近づいている。だから、死後の世界を考えることが増えた。信仰はないので、天国とか極楽とかにリアル感がなく、没入できない。しかし、ヒンズー教の輪廻転生は受け入れやすい。人の死を科学で説明すると、自分の死後、体は気体と無機質に分解する。それらは自然に吸収され、再び生命を得て生き返る。輪廻転生は自然の循環に似ているので、無理なく信じられる。

赤羽の美しい晩秋の風景を眺めていると、自分が死ねば確実にその自然に吸収されて蘇ると確信できるようになった。意識の引き継ぎはないとしても、循環を思うだけで救われる。

 2018年度の住みやすい街1位は赤羽だった。
今年はそれに川口市などが加わり、東京北部地域全体が1位となった。

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風の音から秋景色。

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