日本滅亡論につき、豊かさは数値より文化が占める比率は大きい。東京直下型地震シミュレーション番組に思った。令和元年12月6日
その国の豊かさは常に経済で語られる。だから近年、日本は滅亡する国だと揶揄されることが多い。ユニクロの会長兼社長の柳井正氏は「将来、日本は公務員と失業者だけになって滅亡する」と語っていた。しかし、経済人や経済学者の未来予測のほとんどが外れて来た。その最たるものがバブル崩壊で、それを予測した経済人や学者はいなかった。米国発のリーマンショックも同様だ。
私見だが、柳井氏予測の根拠は、労働人口の年齢構成から推測したものだと思っている。それは町内の年齢構成を見ればすぐに理解できる。今は老人世帯が急速に増加し、5軒に1軒は空き家だ。
私が上京した昭和30年代後半は、若い働き手を含む5,6人家族がほとんどだった。映画「三丁目の夕日」のように、いたるところに元気な小企業があって、昼休みは若者たちが至る所で、路上キャッチボールをしていた。今、そのほとんどは廃業し、アパートか駐車場に変わった。
日本の先端技術を支えて来た大田区の優秀な中小企業集団は後継者がいなくなり、ほとんどが廃業した。かって街の中心だった商店街も、今はシャッター通りに変わった。その最大の原因は少子高齢化だ。その結果、日本企業のほとんどは生産拠点を海外に移転した。商品の生産国を見ても、国内産は稀になった。
その対策として、産業人たちは移民受け入れを強く主張している。これはとても危険な選択だ。なぜなら、労働人口の不足は過渡期の一時的な現象だからだ。AIは急速に進化し、やがて人に代わって知的労働を担うと予測されている。10年以内になくなる仕事一覧では、事務労働などのほとんどがAIによって消滅する。仮に移民を実行すれば、彼らのほとんどは10年後に失職し、社会不安を引き起こすことになる。今、欧州は海外からの移民で経済は回っている。しかし同時に、デモやテロが日常化し、社会不安は増大している。
今、日本で働いている外国人人口は、中国人を中心に200万に近い。私が住む赤羽でも、5人に1〜2人はアジア系の外国人だ。これは小さな県が二つできるほどの人口だ。もし、正式に移民を認めたら、千万単位の流入が予測されている。
日本の経済成長率は、実質GDPベースで0.81%と193カ国中171位と、きわめて悪い。それを現政権の責任だとする意見が多いが、安易で単純すぎる。幸い日本は長く続いた好景気時代に積み上げた人口ボーナスの恩恵を受け、海外資産は世界一だ。日本は人類史上最初に少子高齢化時代に突入したが、海外資産の利潤で、なんとかやっている。その点、人口ボーナスによる資産を積み上げる前に、少子高齢化に入る中国や韓国はとても厳しいだろう。
現在主流の、右肩上がりに増大することを前提にした経済論では、有限な地球はいずれ滅亡する。日本の少子高齢化は何もしなくても、団塊世代以上が亡くなる頃に自然解消し、適正な人口構成に落ち着く。
明治の頃から、いつの時代にも日本滅亡論を唱えるものがいる。そのような人をアラーミストと言う。外国人ではジム・ロジャーズがその代表だろう。彼は世界三大投資家の一人と称されているが、過去に投資で成功したことや、トランプ大統領の当選を予想した功績によるものだ。
彼は先年「韓国は北と統一して日本を圧倒し、日本は路上で日常的に殺し合いをするような悲惨な国に変わる。だから、子供には韓国語を習得させて、韓国移住を考えたが良い。自分は日本株をすべて売却して、韓国株に投資した」と語っていた。
その時、彼が推奨したのは大韓航空だったが、その後すぐに大韓航空株は経営悪化で暴落した。はたして彼は売り抜けたのだろうか。
彼の韓国愛と反日は強く、最近は韓国政府の広報官になり下がったようだ。彼はことある都度、反日プロバガンダに励んでいるので、タイトルに世界三大投資家が入った韓国発ニュースは読まないことにしている。
私は金銭で幸せを計らない。
幸せの大きな要素は、文化だと思っている。その一つが、犯罪が少ないことだ。
米国などの海外諸国では、安全にかける費用がとても大きい。頑丈なドアや窓。海外の民家は、防犯のため必ず窓には鉄格子が設置されている。中流以上の家庭での子供の通学は車送迎が常識だ。夜は女性が一人で歩けないので、車通勤も当たり前だ。
以前、社会学者が言っていたことだが、日本のスキー場でのスキー板預かり所は、無人のバラックでも盗難に会うことは稀だ。しかし、欧米では、係員が常駐する頑丈な預かり所を設ける。それだけでも社会的負担は増す。他にも、野菜の無人販売所、飲み物などの自動販売機、日本での常識が、欧米先進国では非常識となる。そのような社会的なコストは豊かさの数値には加味されていない。
柳井正社長は日本は公務員が多いと言っていたが、それは誤解だ。
千人当たり公務員数では、
日本-42.2人 ドイツ-69.6人 米国-73.9人 英国-78.3人 フランス-95.8人
そのように、日本は海外先進国と比べて公務員の数は少ない。それは治安が良いために警官の数が少なくて済んでいることが影響している。
日本の医療福祉はとても使い勝手が良い。北欧などの方が進んでいると思っている人が多いが、北欧に在住していた知人は、椎間板ヘルニアの手術を予算がつくまで何年も待たされているので、日本に一時帰国して受けた、と話していた。
日本では誰でも自由に医師や病院を選べるが、ホームドクター制をとっている海外の福祉先進国ではありえないことだ。患者はまず指定されたホームドクターにかかり、その指示で特定の病院を紹介してもらう。その時、紹介された病院がヤブ医であっても変える事はできない。日本みたいに個人が自由に病院を選べるのは、海外では高所得者たちの特権だ。極端な話、日本ではホームレスでも自由に高度医療が受けられる実にありがたい国だ。
日本では、日常生活に伝統が生きているのも潤いがある。
先日の大嘗祭のテレビ動画を見ながら、古代の伝統が今も息づいていることに深く感激した。私は、11月には酉の市、12月には羽子板市、正月は飛ばして、2月には初午と、毎月のように古い伝統を楽しんでいる。文化大革命で古い伝統をすべて捨て去った中国人たちは、日本の伝統をとても羨ましく思っている。
そのような日本の文化的な豊かさは、数値で表すことはできない。だから、アラーミストたちは、日本は滅びる滅びると、警告を鳴らし続けるのだろう。
日本文化の一つに、チップなしでも、ファーストクラスのサービスを受けられることがある。
日本ではチップなしでも、店員から敬語を使ってもらえ、丁寧な扱いを受ける。それでも、注文の手違いはめったに起きない。
それに関連して、タイで日本人の評価が最近悪くなったとの記事があった。何故だろうと読んでみると、日本人はチップをくれないケチな客だから、と現地人の評判が悪かった。タイに詳しい版画家の菊池君によると、昔はタイでもチップなしで、応対は良かったようだ。しかし、激増した欧米からの観光客が、チップの悪しき習慣を持ち込んで、近年、急速に欧米化してしまった。しかし日本では、日本人店員たちは誇り高く、今でもきっぱりとチップを拒否する。だから、チップの悪しき風習は根付きそうにない。
日本はキャッシュレス化が遅れていると、海外から馬鹿にされている。しかし、現金も文化の一つで、現金が通用することを誇りに思うべきだ。現金主義には 清潔で信用できる紙幣を維持し、釣銭をごまかさない道徳意識の高さが必要だからだ。日本とドイツのキャッシュレス化が遅れているのは、優れたシステムが完成しているからだ。
キャッシュレス化にはスマホが必須だ。しかし、日本のような災害大国には不向きだ。先日の台風による千葉の停電では、長期間、スマホ決済ができなくなっていた。
意外な日本文化の良さに「代引き」支払い制度がある。この制度は欧米にはないようだ。どうやら、配達員に現金を渡す安全性に問題があるようだ。代引き制度の素晴らしさは、恥ずかしい買い物をしても記録に残らないことだ。その点、欧米では、クレジットカードに「大人のおもちゃ」とか「SMプレイ用のムチ」とか「アダルトDVD」とか、完璧に記録されてしまう。
文化的視点で、日本の楽しさを記したが、それに金銭的な豊かさが加わることに異論はない。
子供7人に1人が貧困の現実はとても気になる。その一方、食品の25パーセントが、食べられるのに破棄されている。貧困対策として、賞味期限切れが迫った食品を、公的機関が安価に買い上げ、貧困家庭に提供する制度を設ければ、子供の貧困感はかなり和らぐはずだ。
病院下公園。いつも静かだ。
傍のテレビでは、東京直下型地震のとてもリアルなシミュレーション動画を連日放映している。
30年以内に70パーセントの確率で直下型地震が起きる、とされている。
この数値の意味を正確に実感するのは難しい。
とてもアバウトな説明になるが、ガラポンに常に当たり1個入りの15000個の玉が入れてあるとする。そのガラポンを毎日1回する。もし、当たりの赤玉が出たら、その日に地震が起きるとする。そのガラポンでは、運が悪ければ今日当たりが出るかもしれない。運が良ければ30年目の最後の日まで当たりが出ない。30年後まで当たりがでない確率は30パーセントである。
地震で嫌なのは、崩壊したビルに生き埋めになることだ。
強いて救いを言えば、私は十分に生きたので、諦められるが、未来がある若者は辛いだろう。
むしろ生き残って、避難所でトイレの使用ができないことが、老人にはとても辛い。
幸い、我が家の目の前には広大な荒川河川敷がある。
このゴルフ場に穴を掘り、仮設トイレを作るのは容易だ。
食品と飲用水の備蓄も必須だ。これは、自己責任として、これから増やそうと思っている。
阪神大震災から間もない頃、大阪で個展をした。
その時、親しいボランティ団体からの招きで、神戸へ行った。
あの時の体験では、一階に駐車場や店舗が入ってる建物のほとんどは、ねじれるように壊れていた。対して、小さな箱が積み上がっている集合住宅はとても頑強で、ほとんど無償で残っていた。
ビルと新幹線架線の間の夕富士。
新河岸川大橋。大橋と名付けられているが、実際は小さい。
1990年の劇団七曜日公演のビラ。
それまで、絵を買ってくれたのは知人ばかりだったが、この原画は、画家転向後、初めて他人に買ってもらった。
その頃、主催者の渡辺正行氏は「笑っていいとも」のメンバーだった。それで公演のある都度、番組最後にポスターは紹介され、とても嬉しかった。
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