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2020年1月 1日 (水)

明けましてお目出とうございます。令和二年元旦

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貞士-ていし-は 福を徼-もと-むるに 心無し。
天、即ち 無心の処に就-つ-きて その衷-ちゅう-を牖-ひら-く・・・

菜根譚・洪自誠著・前集92項から抜粋。
洪自誠 =中国明代の思想家。 儒教・仏教・道教・老荘思想などを融合した随筆集「菜根譚」の著者。わかりやすく実用的な内容で、経営者・スポーツ指導者などに人気がある。

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猛烈な寒風にカメラを構えている体が揺れた。
明日は冬らしい正月を迎えられそうだ。

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大晦日の理髪店と蕎麦屋。

この床屋さんに客が入っているのを見たことがない。大晦日の午後5時。客のいない店で、主人は俯いて居眠りしているように見えた。
どうやって食っているのか、心配になる。客の大半は近くの都営団地だが、千円床屋が全盛で、このような街の床屋さんを利用する人は減った。昔の床屋さんの大晦日は、深夜まで正月をさっぱり迎えたい客でごった返していた。今思うと夢のようだ。
私が40年付き合っている床屋さんは「新規の客が増えず、老人が消えるに従って客が減っていくばかり。今年の暮の予約はまで一人しかいない」とぼやいていた。

桜並木の蕎麦屋は大掃除をして大晦日の年越しそばの準備をしていた。
老主人夫妻に80代の腰が丸くなった姑までが手伝って、テーブルを拭き、床を磨き上げていた。

ドトールを覗くと空いていたので入って、この絵を描いた。
令和2年の正月は休業する店が多く、例年よりおせち料理が売れているという。
帰りに、本みりんを買いにスーパーに寄ると、例年より活気があった。
やはり日本はクリスマスではなく正月だ。

すでに紅白が始まっている時間だった。
人だかりがしているコーナーがあったので覗くと、店員がおせち料理に次々と半額のシールを貼っていた。
すでにおせち料理は全て作ってあるので、安くても買わなかった。
帰りは、床屋さんは店を閉め、蕎麦屋には数人年越しそばの客がいた。
行き帰り、ひっきりなしに救急車が走っていた。大晦日と正月は餅で喉を詰まらせた急患が多い。

帰ってからEテレで交響曲第九を聴いた。
それから、以前ハードデスクに録画しておいた「PAN ネバーランド・夢のはじまり」を見た。年末年始のテレビ番組は最低なので、録画が役立つ。

録画を見終えたのは11時半。そろそろ「行く年来る年」が始まるのでNHKに入れた。しかし、まだ紅白が続いていた。歌手が「松田聖子に似ている」と思っていたら松田聖子本人だった。声量に衰えがない。
次は紅組のとりの「ミーシャ」。私は今の歌手に疎い。彼女はうんこみたいな髪型で、上手いのか下手なのかさっぱり分からない歌手だった。白組のとりは「嵐」。こちらは名前だけ知っている。歌は初めて聞くが、ミーシャより少しマシかなと思った。以上三人を比較すると、松田聖子が一番客を楽しませる力があった。

紅白の最後は「蛍の光」でフェードアウト。
そして「行く年来る年」の静かな奈良風景。
やっぱり大晦日は和が一番しっくり来る。

これからシャワーを浴びて身を清め、神棚と仏壇と仕事用の水を新しくする。

 寒月の 眠れる街に 靴の音

皆様の令和二年が良い年になりますように、心から願っています。

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