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2020年1月 7日 (火)

3日は浅草観音様へ初詣・東京迷宮・あっという間に七草。煩悩の鐘吠えまくるベイルート。令和2年1月7日

 元日、近所の氷川神社への初詣の後、浮間が池に寄った。

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 夕暮れ前の浮間が池。鴨がたくさん飛来していた。
木立の向こうは荒川河川敷ゴルフ場。空がとても広い。
大晦日の強風は止んで、穏やかな正月だった。

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浮間が池から荒川土手へ戻ると、あっという間に暗くなっていた。
中央の洋館は、ゴルフ場のレストハウス。

 3日はアメ横へ買い出しに行った。
早く出たので、買い物前に観音様へ初詣へ行った。

しかし、大混雑で雷門で通行規制していた。仲見世を埋め尽くす大群衆に尻込みしたが、ノロノロながら停滞せず進んでいる。そのまま我慢して進んだ。

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 仲見世の一軒の店奥に、萌黄色の晴れ着の少女が少し緊張気味に腰掛けていた。
薄暗い店内で、凛とした表情に鮮やかな萌黄色が鮮烈に浮かんでいた。

 雑踏の 影に眩しき 初晴れ着

それまで、ゆっくりした行列に退屈していたが、その店だけは一瞬で過ぎた。しかし、通行規制で引っ返すことはできない。画像を脳裏で幾度も反芻して、しっかりと刻みつけた。彼女は大人びて見えたが、実際は18,9の少女だろう。

観音様に初詣したのは30年ぶりだ。
昔はこれほど混んでいなかったのに、伝統回帰と海外旅行者が増えたせいだ。
しかし、欧米観光客は少なく、群衆の2,3割はアジア系で、中国語に東南アジアあたりの言葉が飛び交っていた。

 本殿階段前に5メートルほどの松が数本立てられ、暖簾のようなしめ縄が江戸風に水平にピンと張られていた。しめ縄の数カ所正月飾りが飾ってあるのが清々しかった。
本殿前で参拝客は階段事故を防ぐために百人ほどずつ左右に分けられた。


 規制のおかげで、本殿内の参拝はゆったりとできた。参拝後の帰りのコースも決められていて、私は本殿左コースを辿った。途中のおみくじ売り場には大行列ができていた。おみくじの結果は受けた人の表情で吉か凶かすぐに分かる。凶を引いた人は大抵表情が曇る。中には笑ってしまう人もいるが、何処か空々しい。
おみくじを受ける人には様々な願望や不安がある。本人や家族に病気などの不安を抱えての託宣が凶だったら平静でいられないだろう。若い男性が結びつけた凶のおみくじに手を合わせていたのが印象に残った。「凶なんか気にせず頑張れよ」と、心の中で声をかけながら、その場を離れた。
観音様のおみくじ掛けは凶専用になっている。すぐに満杯になるので、職員が幾度も回収にきた。まとめてお祓いをして燃すのだろう。

 さらに人並みに従って行くと木馬亭前に出た。建物は大衆演劇の木馬館と寄席の木馬亭に分かれている。この一帯は昔ながらのモツ煮込みの居酒屋が多く、上京した昭和38年頃の雰囲気がまだ残っていた。貸衣装の派手な着物姿の女性たちの嬌声が響く猥雑な空間は、ドキドキするような魅力があった。一瞬、迷宮に迷い込んだような目眩を覚えた。
 

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 この風景は現実ではない。赤羽の散歩コースの、1キロほど続く河岸段丘の黒い森に、アメ横と、浅草のわい雑な喧騒を合体させてデフォルメした。

 暮れ早し 東京迷宮 胸騒ぐ

 左へ左へと曲がって行くうちに、自動的に仲見世に戻った。
仲見世通り近くの甘味処・梅園には列ができていた。
通行規制はすでに解かれていて、雷門方向へ向かうことができた。
銀座線に乗りアメ横へ向かった。
・・翌4日、姪から「銀座線でおじさんに似た人を見かけた」とメールが入っていた。
見かけたなら、声をかければ良いのに、と思った。

 アメ横も、浅草に劣らず混雑していた。
袋いっぱい千円・チョコレート屋は行列ができて、若い女性たちが嬉々として「もっと、もっと」と囃し立てていた。買い物袋いっぱいのチョコレートをテレビを見ながら腹一杯食べることができるのは若さの特権だ。

二木の菓子でアーモンドの大袋を二つ買った。これでしばらく買い出しの必要がない。
中央通りは混雑しているので、アーケード内の迷路のような通路を上野駅方面へ向かった。
暗い裏路地の居酒屋前の席で欧米人家族が高架橋を行き来する電車を珍しそうに見上げていた。正月三が日はそのように、穏やかにあっという間に過ぎてしまった。

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 梵鐘に変装して逃げたミスター・ゴーン。

 煩悩の鐘吠えまくる ベイルート。

大晦日の大ニュースはゴーンの逃亡劇だった。
レバノン人やフランス人は彼を支持する者が多いが、日本人の多くは、彼の強欲さを許せない。
ゴーンの弁護士は「そんなことをするとは想像もしていなかった」と言い訳していたが嘘だ。弁護士は、ゴーンが不正をしないように厳重管理する、と裁判所へ確約して保釈を成立させた。しかし、いとも簡単に逃亡させてしまったのは、約束を守る気は最初からなかったからだろう。

彼はレバノンにいる限り安泰だ。
しかし、日本の地方の県程度のレバノンは狭すぎる。贅沢したくても田舎すぎるし、かと言って住み慣れたパリには戻れそうにない。しかも、米軍によるイラン司令官暗殺により、これからレバノンも大混乱しそうだ。
もしかすると、ゴーンはどさくさに紛れて暗殺される可能性もあるとの噂がある。
安全で友人たちも多いパリに戻りたくても、馴染みないレバノン別邸に閉じこもる他なく、ストレスが溜まる一方だろう。

彼はレバノンに世界のマスコミを集めて、日本を大糾弾して溜飲を下げる予定だ。しかし、急速に悪化しつつある米国対イランの情勢では、世界のマスコミはゴーンの与太話を本気で聞く気にはならないだろう。
荘子の言葉に「乱世には泥棒が聖人の徳を利用して利を得る」がある。
まさしくゴーンは、法のグレーゾーンを利用して巨万の富を築いた。
彼によって人生を奪われ、自死した者も多いと聞く。
それでも内外の拝金主義者たちは彼を崇拝する。
ホリエモンもゴーン崇拝者の一人だが、本気半分で半分は注目を買う炎上戦略だろう。
「天は強欲な心を嫌い、その者の幸せを奪う。」菜根譚にそのような言葉があった。


 関東では今日7日に松の内が終わる。
松飾りを外し鏡餅も片付けた。餅は小さく刻んで、硬く乾燥させる。それを電子レンジで熱すると霰ができる。私はほんの少しキツネ色に色づいた香ばしさが好みだ。それとアーモンドを一緒に食べると最高に美味い。

松を片付けてから、七草がゆを作った。
今年は七草の売れ行きが例年より良い。こちらも伝統回帰のせいだ。
七草を刻みながら七草の歌を口ずさんだ。
「七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に トントントン・・・」
意味はわからないが、こんな歌だ。それを五穀米の粥に加えて、少量の塩と出汁で味付けた。とても美味い。

母が元気な頃は、私が作った七草がゆを喜んで食べていた。母は久留米の育ちだ。久留米はブリズトン発祥の地方都市だが、昔は少し歩くと田園風景が広がっていた。母は子供の頃、冬になると野ゼリを摘みに出かけていた。だから、七草がゆは大好きだった。

母は趣味が多彩だった。
95歳まで1日中、編み物、彫刻、絵、作文と休みなく手を動かしていた。
夕暮れになると、
「もう日が暮れる。1日が過ぎるのが早いね」とぼやいていた。
その点、姉はまるで風情がない。
家では朝から寝るまでテレビばかり見ている。
調理の仕事をしているのに料理すらしない。何を食べているのか不思議になる。
定年退職した夫を粗大ゴミ扱いする主婦の話をよく聞くが、あの気持ちは痛いほどわかる。
今、現役の諸氏は、リタイア後の人生をよく考えておくべきだ。

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