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2020年1月23日 (木)

いと恥ずかしきこと。例えば、意識高い系の「スタバでMacノート」への賛否は時代で変化。令和2年1月23日

 若手文筆家で論客の古谷経衡=ふるや・つねひら=氏が、先日、スタバでMacは恥ずかしいと書いていた。彼はワイドショーのゲストとして見た記憶があるが、内容は記憶にない。経歴を見ると、昔はやや右寄りだったが今はそうでもない。芸能事務所に属し、タレント論客になるのが夢のようだ。そのようなスタイルと論調なので、好き嫌いは分かれるはずだ。

 彼は「意識高い系」が大嫌いだ。その代表が「スタバでMacノート」とか、「新幹線でノートパソコン」だ。そもそも、喫茶店は会話したり静かに本を読んだりする場所で仕事をする場ではない、と彼は否定的だ。
欧米や韓国には日本より多くのスタバがあるが、皆、会話を楽しんでいて、Macノートを広げて仕事をしているようなダサい者はいないとも書いていた。欧米や韓国のスタバ愛好者を褒めても、私としては共感しにくい。海外はこうだから日本もそれを見習え、などの押し付けほど嫌なものはない。日本には日本の文化がある。他国の風俗に従う必要はまったくない。

 私はノートパソコンを持っていない。しかし、隣席がノートパソコンをしていても、全く気にしない。だから、彼の気持ちは理解できない。第一に、赤羽の喫茶店は一人で仕事や勉強をしている者がとても多い。108席あるドトールでは、8〜9割はそのような一人客でいつも満席だ。スタバ、マック、KFCはそれほどではないが、他地域と比べたら一人客は断然多い。

昔は喫茶店へ一人で入ることはまずなかった。
4年前、猛暑の散歩での大汗に耐え難く、ドトールに入って時間つぶしに紙と鉛筆で仕事をしてみたら、意外なほどに捗った。以来、毎日のように愛用するようになった。

仕事が捗る理由は明快だ。散歩中に思い浮かんだアイデアを喫茶店でラフスケッチする。しかし、少し描き込むと「大した絵ではない」の壁が出現して手が止まる。それが家なら、クシャクシャ丸めてゴミ箱へ放り込み、すぐに違う下絵に取り掛かる。しかし、最初に思い浮かんだイメージほどの強さがなく、挫折してしまう。しかし、喫茶店は違う、長居できないので、壁にぶつかっても強引に描き進め乗り越える。すると、不思議なほどに、強い絵ができた。
今は、その強引さが気に入って、喫茶店を利用し続けている。

高名な文筆家でも、昔から喫茶店で仕事をする人は多い。資料が揃って環境がいいオフィスが能率的とは限らない。不便な喫茶店だからこそ、強引に壁を乗り越え、力強い作品が生まれる。

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 この古谷経衡氏の絵も、前回のメーガン妃も、ブログ掲載の鉛筆画は全て喫茶店で30分〜1時間ほどで描いた。
資料が手元にない出先では、作為的にならないこともとても良い。

 ホームレス男性の肖像シリーズも、記憶だけで喫茶店で描いた。
人の顔を記憶する方法は、目、鼻、口、髪型と顔を分解して、有名人やよく知っている人に当てはめて記憶して再現する。古谷経衡氏の場合は、「眉を剃った下膨れの安達祐実に宝塚風の大きく派手なカツラのホスト風」と記憶して描いた。
帰宅して本人写真の資料と並べたらかなり違う。しかし、雰囲気はうまく捉えていると思う。

 スタバでMacノートの話に戻す。
私はそのような「意識高い系」を全く気にしない。人のことより、私自身が恥ずかしいことを山ほどして来たので、あれこれ言う気になれない。若い頃を思い出すと、穴の中に入りたくなるほど恥ずかしいことだらけだ。
古谷氏が私ほどの年齢になって、若い頃の写真を目にしたり、論評を読み返した時、どう思うだろうか。恥ずかしくなるか、平気なのか、それはわからない。
現実には、自分が恥ずかしいと思うことは、人から見れば大したことではない。逆に、自分が全く気にしていないことを、恥ずかしい行為だと思われていることは多い。人の気持ちは、立場や年齢で様々に変化する。

 韓国・中国の若い女性たちの間で鼻頭を赤くする化粧が流行っているようだ。
それを高須クリニック院長が専門的に解説していた。鼻整形でプラスチックを入れると、鼻頭の皮が突っ張って薄くなり、血行不良を起こして赤くなる。それを放置すると皮は破れプラスチックが露出する。その赤鼻をごまかすための作為的な流行だろうとの解説だった。とても納得できる。韓国は整形大国なので、そのような恥ずかしい化粧が流行るのだろう。愚かな日本女子が真似しないように心から願っている。

ちなみに、歯のプラスチック詰め物は、暗がりで紫外線が当たると蛍光色に光る。同様に鼻に入れたプラスチックも光る。
芝居の演出で、暗がりで紫外線ライトを当てる演出がある。アングラ芝居にガールフレンドを連れて行った時、笑って見ていた彼女の歯が斑点状に煌々と光り、びっくり仰天したことがあった。

 平成の初期、日本へ出稼ぎに来て、小金を貯めて帰国した中国の若者たちは、サングラスに日本メーカーのシールなどを自慢げにつけたまま使っていた。彼らは今、50代だ。中年になった彼らは、そのような若い頃を思い出して恥ずかしくなっているだろう。

 終戦直後、米国タバコ・ラッキーストライクは愛煙家たちの憧れの的だった。父は闇で手に入れた高価なラッキーストライクが空になると、中に国産タバコを入れ、人前で自慢げに吸っていた。本物に比べ香りがまるで劣っていたが、それを知らない大半の日本人は騙せた。私は子供心に、父のいじましい偽装をとても恥ずかしく思った。しかし、父は気にしていなかった。そのような父だったので、恥ずかしいことを死ぬまで続けていた。

 昭和の頃、来日欧米人関連のニュース・タイトルには、決まって「青い目もビックリ」と入っていた。私と同年輩のマスコミ人にとっては、恥ずかしい記憶のはずだ。

 先日、映画「ジュマンジ」の続編「ジュマンジ/ウェルカム・トゥ・ジャングル」のTV放映をみた。
その中で1996年から来た青年が盛んに「気分はチョベリグ」と言って、古臭がられていた。
「チョベリグ」は私は使ったことはないし、聞いた記憶もない。多分、シナリオ翻訳者が、古い流行語辞典で見つけてそう訳したのだろう。しかし、耳にする都度、とても恥ずかしくなった。

肝心の「ジュマンジ」の続編は、ゲーム好きの人が見たらたまらなく楽しいはずだ。屈強な理想体型に変身できるのはゲーム好きの若者たちの夢だろう。まさしく、この映画は、それらの疑似体験を描いていた。
この手の物語には、決まってアジア的な猥雑で混沌とした市場が出てくる。そのシーンがとても好きだ。私は若い頃から、ヒマラヤあたりの山中を彷徨っていたら、突然に賑やかな市場が現れ、美しいエキゾチックな美女がいて言葉を交わし・・・と言った妄想をしていた。

 昭和の森繁主演の「駅前シリーズ」などで、欧米人の接待の場面は、これでもかこれでもかと欧米人の思う日本の「富士山芸者」が出て来て恥ずかしくなる。もっと恥ずかしいのは、当時の欧米映画に出てくるジャパニーズだ。
先日、テレ東で、日本ロケをした「007は二度死ぬ」を放映していた。これは見ていて最高に恥ずかしい日本が出てくるので絶対に見ない。

当時の日本の表現には、決まって宝珠飾りのついた朱塗りの手すりが登場した。
昔、裕福な頃、奈良ホテルを拠点にお寺巡りをしたことがある。奈良ホテルの外装にも朱塗りの手すりがあり、「嫌だなぁ」って恥ずかしく思ったが、使った部屋はシンプルな清潔な作りで、気分良く滞在できた。

恥ずかしいことは、延々と思い浮かぶが、この辺りで止めることにする。

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 昨日の夕富士。

 昨日の早朝、外に出ると、東の空低く、くっきりとした三日月が出ていた。
しかし、今日は寒い曇り空だった。
まだ結氷を見ない。このまま、冬が終わるとしたら寂しい。

 

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