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2020年6月21日 (日)

今年の梅雨は陽性で気持ちがいい。コロナ禍の中で様々思った。令和2年6月21日

早朝、肌寒さで目覚め、もう一枚タオルケットを出して重ねた。
お昼は薄曇りで、時折、日差しが戻った。気温22度。開け放った窓からの涼風が心地よかった。
M_7_20200621125701昨日の荒川風景と夏雲。
30度近くまで気温は上がったが、意外に湿度は少なかった。

散歩道のツツジの植え込み下で、メスのハシボソガラスが何かを狙っていた。
彼女はピョンと飛び上がって何かを捕まえた。
小指ほどの大きな毛虫だ。
彼女は器用に毛虫を地面に擦り付けて毛虫の毛を落とし始めた。
カラスでも、毛虫の毛は嫌なようだ。すぐそばまで近づくと、毛虫をくわえて傍のブロック塀の縁に飛び乗った。
「いいもの捕まえたね。横取りなんかしないよ」
声をかけると、目をクルクルさせて私を見た。
カラスは話しかけると、意味をよく理解してくれる。

そこから先は人通りが増えるのでマスクをした。
涼しい日のマスクは平気だが、蒸し暑い日は本当に不愉快だ。

いつもの病院庭へ行くとヤマモモが熟し、樹下を熟した実が敷き詰めるように落ちていた。
今年のヤマモモは例年より瑞々しさがなく、凸凹があって見栄えが悪い。しかし、とても甘い。例えれば、例年が酸っぱい夏ミカンだとすれば、今年はオレンジの甘さだ。
すぐに、ヤマモモはカラスたちに知られて丸裸にされる。

散歩帰りに見ると、すでに丸裸にされていた。
カラスは枝を折るような乱暴な摘みとり方をするが、枝も葉も落ちていない。
実を一個づつ摘み取っているので、犯人はダルマインコだろう。
M_9_20200621125901ヤマモモ。

芝生にはネジバナが咲いていた。
このラン科の可憐な花は大好きだ。
芝生では若夫婦が小さな女の子を遊ばせていた。
ヨチヨチ歩きの女の子は、母親と父親の間を行ったり来たりしている。
長身の父親は窮屈そうに体をかがめ、一生懸命子供の相手をしていた。
愛おしくてたまらない気持ちがにじんでいて、胸がジーンとした。
不意に、山上憶良の「しろがねも くがねも玉も なにせむに まされる宝 子にしかめやも」の句が思い浮かんだ。
両親は美男美女なので、きっと美しく育つだろう。

コロナ禍以来、TV番組はリーモート出演と再放送ばかりになった。
昨日のTBS「世界不思議発見」も昔の番組を再構成していた。
テーマは米国西部のグランドサークル。
メインは「ザ・ウェーブ」だ。
侵食された砂岩が波打つ虹のような縞模様を作り、実に不思議で美しい光景だ。
その放映は2010年5月。昔から好きな番組で、地学好きの私がこの回を見逃すはずがないのに見た記憶がない。
思い返すとその頃、終末期の母の介護で疲労困憊し、急性胆嚢炎を起こして緊急手術を受けていた。世話をできない母は理由をつけて同じ病院に入院させた。病院任せでは繊細な対応できない。母は数日で衰弱してしまった。

私は前倒しで退院して、母を自宅に連れ帰り、術後の激痛に耐えながら世話をした。
それから二ヶ月後の7月1日に在宅で、私は一人で母を看取った。
今思い返すと、自分がよく生きていたと思うほどに過酷な日々だった。

その回の世界不思議発見」のレポターは竹内海南江だった。
「ザ・ウェーブ」の見学は保護のため1日二十人と抽選で制限されている。
取材チームは2日連続抽選に外れた。
そして、取材最終日に1人だけ当たった。しかし、一人では番組は成立しない。すると米国人の3人組が見学を辞退して、チームに権利をゆずってくれた。それは美談だが、竹内海南江レポーターが3人組に接する態度に感謝の気持ちがほとんど見えず、冷たく見えた。
「米国人の思いやりに対して、なんと無礼な態度だ」と怒りがこみ上げたが、番組作りには裏がある。多分、スタッフが3人組と話をつけて権利を譲ってもらったのだろう。その経緯を知っている竹内海南江レポーターは芝居がかった感謝の演技ができなかったのかもしれない。

そのようなことを考えていたら、期待した「ザ・ウェーブ」の素晴らしい光景が、色あせて見えてしまった。
私は「ザ・ウェーブ」より、同番組で再放送されていたナバホネーションの柔らかな光に包まれたアンテロープ・キャニオンの光景が好きだった。こちらは2002年8月放送で竹内海南江レポーターは若々しかった。
M_4_20200621125701病院庇からの雨景色、
M_5_20200621125701伐採された桜並木跡。
去年まで見事な桜のトンネルが道路を覆っていた。

涼しい雨の一昨日。
公園のベンチは濡れて使えないので、病院ひさし下のベンチで休んだ。
大木の先の通りは桜並木。去年は両側から覆う見事な桜トンネルを楽しめた。
今年は、寿命が来て倒壊の恐れがあるからと、全て伐採され、若木に植え変えられた。伐採された時、切り株を見るとほとんどの切り株には空洞はなく、後十年は元気だったと思われた。これは区の公園課と天下り先の園芸会社が結託した計画だろう。それを思うと無残で桜が哀れだった。植え替えられた若木が成長して、花見ができるまでに20年は要する。それまで自分が生きているとは、到底思えなかった。

写真の大木はシデノキ。そこまで病院敷地なので伐採は免れている。対して隣の区営公園の柳や桑の古木は伐採され、10年前の光景と変わってしまった。
写真の明るい右手には、去年まで青葉に変わった桜が鬱蒼と茂っていた。正面は横断歩道で、東京で一番気持ちの良い横断歩道だと思っていたが、今は寒々しい光景に変わってしまった。

庇下のベンチでシークレットガーデンの曲を聴いた。韓流ドラマではない。ノルウェーの音楽グループだ。
そのCDは昔、人から貰ったものだ。私は何故か、人から貰った曲は聴かない。よく聴く曲は全て自分で選んで買ったものばかりだ。
贈ってくれた方は、私より少し年下の女性で、3年前にガンで亡くなった。初めて聴いたのは、それからしばらくしてからだ。聴いてみるととても良い曲で、元気な頃にそう伝えていたら喜んでくれたのに、と後悔している。
曲を聴きながら見上げると雨粒が光跡を残してサラサラと落ちていた。
見上げながら過ぎ去った年月が蘇った。

コロナ後はどうなるか。最近のニュースで、箱根の旅館が客足回復のため、東京からのタクシー送迎を始めた。家の前からタクシーに乗り、旅館まで連れていってくれるのは楽で、客には大好評だ。
今は高コストなので利益を出すのは大変だが、将来的には極めて有効だろう。
自動運転が一般的になれば、公共交通に対する考えが一変する。国家予算を圧迫している、空気を運んでいるような高コストのバスや電車などの公共機関は廃止の方向に行くだろ。住民にとっても、24時間いつでも使える自動運転のタクシーの方がずっと便利だ。
M_6_20200621125701昨日、公園のベンチで描いた。

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