新型コロナは今、東京で変異して第二波を起こしたがその毒性は弱い。秋の第三波、次の第四波と更に毒性は弱まり自然終息する。令和2年7月17日
昨日今日と涼しく、今日は夏スタイルはやめて長袖のシャツを羽織って過ごした。
午睡の時、タオルケットなしでは風邪を引きそうなほどだった。
姉は麹町の飲食店へパートに通っている。
昨日、帰宅するとすぐに、店の近所でコロナ感染者が発生したと不安げに話していた。
新型コロナが、たった一人発生しただけで大騒ぎする社会状況が怖い。まだ、感染者0の岩手県では、絶対に感染一号にはなりたくないと、住民は神経を張り詰めて生活している。田舎には、家族から感染者が出たら村八分になるような雰囲気がある。
「Go Toキャンペーン」が問題になるのも、そのような社会の雰囲気が背景にある。
しかし、観光客に支えられて来た宿泊業や飲食店、土産物店の窮状は、コロナ禍をはるかに超えている。自粛が始まって4ケ月。関係者の多くは、すでに耐えられる限界を超えている。識者に「経済重視など、とんでもない。人の命を、なんと心得る」と大見得切られたら、政府はひれ伏すほかないだろう。それで急遽、東京発着の旅行者は補助対象から除外された。
それにしても、奥多摩や伊豆七島や小笠原は別枠にすべきだろう。
面白いのは千葉県にある東京ディズニーランドで、当然ながら補助の対象になる。
雨が落ちてきそうな、肌寒い荒川土手。
自粛を声高に言っているマスコミ人の多くは、コロナ禍を煽る事で利益を得ている。街で自粛を主張する人も、年金生活者などコロナ不況の影響を受けていない人たちが多い。
私は1月までに絵の注文を受けて、今年の生活は安泰だと安堵していた。しかし、受注した作品の多くの打ち合わせが中止になり、以来、連絡はないままだ。お客さんと面談しないと仕事は進行しない。注文が消えることはないが、来年に持ち越す可能性が大きく、それまでどうやって凌ぐかが問題だ。
先日の荒川夕景。
最近、面白いデータを目にした。それによると日本の医師数は32万人。対してコロナ患者は累計約2万人。コロナ患者に対応している医師は限定されているので、日本の殆どの医師は、コロナ患者の診察どころか見たこともない。医師が診察したことも見たこともない新型コロナを流行病にするのはおかしな話だ。日本では、新型コロナはマスコミが作り上げた疫病かもしれない。
春あたりに病院に殺到した殆どはコロナパニックを起こした人たちで、感染者ではなかった。ちなみに、コロナパニックに対応しても診療報酬は発生しない。
老人たちのような不要不急の患者たちが、コロナ感染を恐れて病院行きを敬遠し始めた。
生前の母もそうだったが、毎朝、病院へリハビリに出かけて、サロン化した待合室で知人と雑談するのを楽しみにしていた。今思うと、病院の多くが、そのような老人たちで経営が支えられていたようだ。
不要不急の患者が消えて、病院経営が急速に悪化している。その結果、非正規の医師の多くが雇い止めされ、医師のアルバイト収入も悪化し始めた。散歩道に去年秋、皮膚科と耳鼻科が新規開業した。両院とも患者で賑わっていたが、今は閑散としている。病院の開業では初期投資がとても大きい。加えて、看護師、受付事務など、人件費も大きい。コロナ禍が終息するまで、経営を耐えるのは大変だろう。
コロナ禍の中、藤井聡太7段の17歳での棋聖奪取は、久しぶりに胸がすくようなニュースだった。
京成線沿いの土留めに住み着いた子ヤギの話題も楽しい。碁盤状のコンクリートの急斜面は、ヤギにとっては住みやすく、餌にしている崖の雑草はミネラル分豊富で、子ヤギの健康状態はとても良いようだ。
来年の東京オリンピックが、ワクチン完成を条件にするなら、開催はとても難しい。新型コロナワクチンへの期待が過大すぎる。コロナワクチンは感染症対策の主役ではない。効果があったとしても、通常のインフルエンザワクチン程度のものだ。インフルエンザワクチンの予防接種は毎年おこなわれているが、十分な予防効果はない。インフルエンザウイルスは毎年変異していて、有効性は年々低下するばかりだ。しかも、ワクチンで獲得した抗体は4カ月で消滅する。新型コロナワクチンもその程度のものだ。
連日200人超えの感染者が発見されて、マスコミは大騒ぎしている。新宿の特定地域での陽性率は33%近い。しかし、そのほとんどは無症状で、重症者と死者は右肩下がりで減っている。ICUも人工呼吸器も大量に余っている。しかし、ワイドショーでは安心材料の公表は控え、不安を煽るばかりだ。
新型コロナウイルスはインフルエンザウイルスと同じように、変異スピードが非常に速い。ウイルスの特性として、感染力と毒性は反比例する。今、東京で急拡大している第二波新型コロナは、東京変異型と考えられる。東京変異型は重症者と死者の少なさから、春に流行した武漢コロナ、欧米型コロナより感染力は強いが、毒性は弱まっている。ウイルスは毒性が強いと、感染者が人に移す前に亡くなるので、感染力は弱くなる。対して、毒性の弱いウイルスは感染者が元気なまま人に感染させ続けるので、感染力は強くなる。
世界の色別けしたコロナ変異型のグラフを見ると、種類が多すぎてつづれ織りみたいだ。変異し続ける新型コロナを一波二波三波と分けること自体、無意味に思える。
今回の第二波が終息し、秋に起きる第三波では、さらに毒性が弱まるのがウイルス変異の原則だ。第三波以降は更に新型コロナの毒性は弱まり、人との平和共存を図るだろう。現実に、ヨーロッパで猛威を振るった新型コロナをイタリア人感染病研究者が「どう猛な虎がヤマネコに変わった 」と言っているほどだ。
感染者急増に一喜一憂せず、マスコミにも踊らされず、慎重かつ大らかに対処すれば自然終息する。この数カ月で治療法が確率し、連日200人超えの感染者に対し重症者の比率は下がり、一番重要な死者数は殆ど0人の日が続いている。今、病床が逼迫しているのは、若い軽症者が急増したからで深刻な事態ではない。
医療関係者とウイルス学者の考えは違う。ウイルス学者の多くは、神経質に考えず、自然の成り行きに放置すべき、と考えている。
ウイルスは世間で思われているほど邪悪なものではない。ウイルスがそれを意図している訳ではないが、結果的に人との平和共存へ向かって進化する。人間を含め、生命自体がウイルスの力を借りて進化してきた。ある意味、宇宙線(放射能)の刺激で細胞が変異し、生物が進化した過程に似ている。胎盤など、我々の体の器官の一部はウイルス由来のものだ。どの生物も持っている細胞核についても、ウイルス起源説があるほどだ。アフリカで人に感染したエイズウイルスは、元々の宿主の類人猿の体内では平和共存していた。
ワクチンより、徐々に新型コロナに暴露されることで得た自然免疫の方が、終息に繋がる。国際医療福祉大学高橋泰教授の研究では、日本人の3分の1が知らぬ間に新型コロナに暴露され、その98パーセントは無症状のまま自然免疫を獲得していると言う。自然免疫を獲得した人をPCR検査しても、抗体も抗原も少なすぎて検出できない。BCG接種が自然免疫を高めたり、新型コロナに類似した弱毒性の日本土着コロナ感染によって免疫力が高まるなど、免疫は未知の分野だ。ウイルス学者は、日本では細心の注意を払って放置すれば、自然終息すると考えている。ちなみに、我々アジア人は欧米人より圧倒的に重症化しにくく、死者も少ない。
日本で、新型コロナにより40万の死者が出ると煽っている専門家がいるが、その算出方法は新型コロナの特性に沿っていない。同じ方法で高橋泰教授が計算すると300万人の死者が出ることになる。新型コロナの特性に沿った高橋教授の計算では、日本での死者は3800人を超えない。
欧米で新型コロナが大惨事になったことが現在のコロナ禍を招いた。それはアジア人と欧米人の自然免疫が大きく違ったことが原因だ。
日本での新型コロナへの対応は通常のインフルエンザと同様に考えれば良い。母の介護をしている頃、風邪が流行れば母を感染させないように、新型コロナ対応と同程度の対応をした。通常のインフルエンザでも老人や基礎疾患のある人は、新型コロナ同様に悪化を招き死につながっていた。全員PCR検査についても、通常のインフルエンザではありえないことだ。熱が出て症状が出れば検査する、新型コロナの最初の対応で十分だったようだ。
ワイドショーで「陰性だと証明してもらって、普通に生活すべきだ。そうすることで中国は成功し、景気も回復している」と中国を賛辞していた。彼らは、中国が新型コロナを押さえ込んだ極めて強圧的な過程を隠している。
中国では、集合住宅で一人感染者が発生したら、その家庭は玄関に鍵をかけられて、囚人同様の生活を強いられる。さらに、その集合住宅全体が鉄柵で封鎖され、住民は買い物にも行けなくなる。そのような強硬手段で達成した事実を隠して、強権国家の中国を見習えとは言語道断だ。
今、テレビをつければ、新型コロナ関連でうんざりする。これは風評被害に近い。それも極めて深刻な風評被害だ。現実を冷静に眺めるべきだ。30年前に新型コロナが流行ったら、今年のインフルエンザは少したちが悪い、程度に捉えられたはずだ。
現在のPCR検査の精度では全員検査は無意味だとの考えが、医学者の間では根強い。なぜなら、偽陰性の出現率が30パーセンもあるからだ。それは、真の陽性者が100人いたとすると、30人が偽陰性で、残り70人だけが感染者として捉えられる。偽陰性が問題なのは、本人は陰性のつもりで行動し、コロナを広げてしまうからだ。
100年前のスペイン風邪のパンデミックの際は、働き盛りの人たちが命を落として経済に大打撃を与えた。しかし、今回の新型コロナの犠牲者の多くは、余命いくばくもない老人たちで、働き盛りは少ない。むしろ、都市封鎖での経済打撃の方が、はるかに大きい。もし、もう一度5月のような大自粛を行なったら経済は壊滅し、失業者の自殺が急増する。
新河岸川にかかる浮間橋。
先日Eテレで吉本隆明の幻想論を語っていた。彼の著書は読んでいないので、内容は分からない。しかし、「幻想」の言葉は好きだ。それは合理性のない情熱みたいなものだからだ。
ワイドショーを見ながら、突然その言葉を思い出した。ワイドショーでは、相変わらず政府のコロナ対策攻撃に終始していた。ワイドショーの目標は政権打倒にあり、すべての事実をその方向へ捻じ曲げる大衆洗脳に明け暮れている。
今、吉本隆明がワイドショーを見たら、政権打倒には賛同するだろうが、ワイドショー自体は悪い幻想だと思うかもしれない。
携帯の着信音量を最大に設定しているが、小さすぎて、人混みでは気づかない。
私のガラケーのシステム自体が4,5年後に廃止になるので、ドコモからは「スマホに買い換えろ」と言われ続けている。
しかし、ガラケーの愛好者は多いので、なくなることはないと思っている。
先日の梅雨の晴れ間。
若者たちは四六時中スマホを見て過ごしている。それはもったいない生き方だ。SNS上で、人の考えばかり気にして過ごすのは人生の浪費だ。それより、ぼんやりと過ごす方が、ずっと充実した生き方だ。
荒川の土手道にはセキレイが住み着いている。しかし、連日の強風と雨で、路上の餌は洗い流されている。それで下の街中に移動して、行き交う通行人の足元で、健気に餌探しをしている。そんなホッとする情景に気づくのもスマホがないからだ。
SNS上の誹謗中傷で自殺する人まで生まれている。時には人の言葉など無視して生きる方がいい。人の言葉に右往左往して、ストレスにさらされる人生はもったいない。今回の新型コロナが社会問題になったのも、ネットの発達が大きな原因だと思っている。
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