人が密集する行事は全て禁止。飲食店の閉店に葬式と、ひっそりとした終わりは寂しい。令和2年7月5日
梅雨の間は7月でも明け方の最低気温は低い。温度計を見ると22度だった。コロナ禍の今は、単純な風邪から中国コロナ感染を招く恐れがある。念の為に葛根湯を服用し、タオルケットを2枚重ねにして二度寝した。
葛根湯のおかげか、今も風邪の気配はない。中国コロナの予防で大切なのは睡眠の質だ。6時間より短いと、6時間以上の4倍、5時間未満だと5倍は感染しやすい。
夏風邪は生涯で一度しかひいたことがない。母が死んで直ぐの頃、空になった母の部屋で寝たことがある。それまでは仕事部屋を毎夜片付けて寝ていた。これで片付けの手間が省けると期待したが、環八に面した母の部屋は騒音が酷くて眠れなかった。
母は騒音を気にしなかった。むしろ静かな部屋は寂しいと嫌がっていた。母の部屋で寝たその夜、開け放しのベランダから吹き込む冷風で、夏風邪をひいてしまった。それで、寝室は仕事部屋に戻した。
4日、荒川土手夕景。
風が強く心地よい。
このところ、コロナ感染者が100人超えで、8割おじさんの予測が当った、と世間で騒いでいる。でも、全面大自粛の再開は絶対にやめてほしい。そうでなくても今年は夏祭り自粛で1.8兆円が失われる。それはインバウンドが止まって失われた金額とほぼ同じだ。さらに音楽、演劇関係のイベントが30万件も消えた。こちらは経済だけでなく、多大な文化の喪失を伴う。今度は知恵を絞った対策をとってほしい。
「狼狽しないで、冷静に」それが率直な感想だ。
100年前に流行したスペイン風邪の毒性は新型コロナと同等と考えられている。その時、世界人口20億の中、感染者は5億、死者は5,000万~1億人だった。第一次世界大戦中だったが、徴兵対象の成年男子が減ったことで終結が早まった。
スペイン風邪と中国コロナの毒性が同等でも、当時の医学・衛生水準と今はまるで違う。日本人の普通の感覚で清潔を保てば、ほぼ防ぐことができる。
先日、米国の青春映画を観たが、1時間半の間に200回ほどは濃密接触を繰り返していた。おまけに、クリームが付いた指をしゃぶったり、スナックを手づかみで食べたり、汚れたスニーカーを履いたままベットにのったりと感染助長行為だらけだった。そんな生活習慣の国では、都市封鎖を強行しなければ終息は無理だろう。
何事も100%は不可能だが、90%なら簡単だ。
外出中は薄い手袋をしていて、スーパーなどで何かに触れたらあとで手袋の上から濡れるくらいアルコールをかける。これで買い物カゴの取手から汚染したウイルスを死滅させられる。多くの人が触れそうなものは、極力触れない。人混みではマスクをする。それだけで、感染リスクは大幅に低減するはずだ。
もっとも大切なのは、健康な体力の維持だ。これがあれば免疫力を維持できる。医療専門家は免疫力を高める食品はないと言うが、それは研究がなされてないからだ。にんにく、生姜、ブロッコリー、キノコ、納豆や味噌や乳酸菌飲料などは免疫力を高める食品だと昔から言われている。
新河岸川、船着場夕景。
最近のTV番組では「ドキュランドへようこそ・マリー・アントワネット最後の日々」が見応えがあった。
革命主導者たちの無理矢理に犯罪者へ仕立てる手法には理不尽さに怒りを覚えたが、皮肉にも彼らのほとんどは内部闘争で最後は処刑されてしまった。
番組で気になったのは、歴史家が「見せしめ裁判を好む傾向は、ソ連をはじめナチスドイツ、中国、カンボジアなど、革命政権に共通する現象です」と語っていたのに、字幕スーパーでは中国が消されていた。現存する唯一の革命国家中国が今もウイグル、チベットなどに行なっている過酷な民族弾圧を、NHKは中国に忖度し糊塗したようだ。
香港で国家安全法が成立した。これで反中国の発言をしたものは国籍に関係なく好きなように逮捕できる。例えば、反中国発言をした米国人が飛行機の乗り換えなどで香港に立ち寄った時、微罪で香港警察に捕まれば中国に引き渡されたりする。
中国の監視網は全世界にくまなく張り巡らされている。米国在住の知人は、ネット上で人権。尖閣問題などを批判すれば、直ぐに在米華人協会から嫌がらせを受ける。それは同時に中国のブラックリストに載せられることを意味する。私のブログも10年前から中国本土から監視されている。だから、香港へは危なくて行けない。
浮間橋から新河岸川上流の夕景
新河岸川から浮間橋夕景
コロナ禍は憂鬱だ。
私は街中で、通行人をぼんやりと眺めるのが好きだ。印象に残った人を覚えて、帰宅して描くのは楽しかった。マスクだらけになって、それができなくなったのはとても寂しい。
来週末に、長年親しくしていた画廊がひっそりと閉じる。普段なら関係した作家の作品を展示して盛大にお別れ会が開催されるのだが、クラスターを発生させる行事は全て禁止だ。飲食店の店じまいも、葬式も、人が集まるので自粛され、どれもひっそりと行われる。
銀座へは長く行っていない。今行ったら、寂しさを覚えるだけだ。
友人知人たちとも電話で話すだけで、直接は会っていない。
公園のベンチで一人で過ごす時間がとても長くなった。
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