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2020年8月 5日 (水)

やっと夏が来て、散歩と料理・旅番組が楽しい。令和2年8月5日

住まいと公園を往復する毎日だ。コロナ禍の今はその範囲が全世界になっている。
住まいに冷房はない。1日中、窓を開け放って過ごすのは、コロナ対策として理にかなっている。
今日も大掃除をして、沢山のハサミを見つけた。剪定ばさみ、金属切りバサミ、鼻毛切りハサミ、和鋏、断ち物鋏、調髪用鋏と、ありとあらゆる鋏が総計40丁ほどあった。金属切り鋏は昔彫金をしていた頃のもので、大型の鋏は握り手を万力で固定して2ミリの銅板でも楽に切れた。和鋏は90年前に作られた品で、手芸には洋鋏より便利だと母は生涯愛用していた。
料理鋏だけは一丁しかない。これはヘンケルの料理鋏を模した国産で、50年近く前に買ったステンレス製だ。当時のヘンケルの料理鋏はとんでもなく高価で一般的ではなかった。その国産料理鋏が切れ味が悪くなったらヘンケルに買い換えようと思っていたが、今も切れ味は落ちていない。切りにくい薄手のビニール袋でもスパッと切れる。安物の中国製と比べると、とんでもなくクオリティが高い。

ハサミには悪縁を切る霊力があると信じられている。男女の悪縁を切るのとは反対に、縁が切れないようにあえて錆びさせ、針金でぐるぐる巻きにして、神社に奉納された。
檜枝岐の「橋場のばんば」には悪縁を断つ縁切りハサミと、縁結びの錆びたハサミがお供えしてある。本来の「橋場のばんば」は水難から子供を守る神様である。

板橋の旧中山道には「縁切り榎」がある。霊力の強い榎で、傍に祠が祀ってある。そこから2キロ弱先に東京都健康長寿医療センターがある。昔、母が入院していた頃、赤羽から旧中山道を歩いて通った。長距離だが、古い商家が残っていて、情緒のある道だった。
鋏を整理しながら、昔のことを懐かしく思い出した。

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梅雨が明けてからは、開け放ったベランダから蝉の声が降るように聞こえる。この夏の風情は嫌なことを忘れさせてくれる。
最近楽しかった番組は、世界ふれあい街歩き・イスタクブール編だ。撮影は8年前。今見ると旧市街の人混みが懐かしい。このような人間らしい雑踏が世界中の街から消え、しばらく戻ってこないと思うと喪失感を覚える。

東西交易で栄えた歴史の街の散策は楽しい。旧市街と新市街を結ぶガラタ橋の大勢の釣り人たち。雑貨屋から色とりどりのスパイスを売るお店まで雑多に賑わう旧市街は大きなアメ横の風情がある。旧市街のグランドバザールは東京ドームほどの広さに4000もの店舗が集まりとても賑やかだ。中世アラブの雰囲気が残っていて、カラフルな食器や装身具や、ランプや布地の店が、通りの両側に所狭しと並んでいた。
迷路のような路地を抜けると、建物にぐるりと囲まれた中庭のような小さな広場があった。そこは東西の隊商が立ち寄る宿で、中庭で商品を取引する喧騒が一瞬蘇ったような気がした。

街のあちこちで、水を満たした大きなガラス瓶に沢山の瀉血用のヒルを入れて売っていた。瀉血とは瘀血をメスなどで切って押し出し、病気を治す伝統治療法だ。ヒルは皮膚を傷つけず、痛みもなく瘀血を吸い取るので、今も世界各地で使われている。
話は飛ぶが、母の叔父は明治初期にヒルを使った瀉血医療を学び、名医として久留米一帯に名が知れ渡っていた。母の曽祖父は久留米藩の重臣で明治維新で地位を失ったが、その叔父のおかげで、零落せずに済んだ。
母の父親である私の祖父は嫡子だった。しかし、2枚目でもてたことが災いし、染物屋の娘と恋に落ち、親の猛反対を押し切って結婚した。その結果、廃嫡され家は真面目な母の叔父が継いだ。
世界ふれあい街歩きはどれも大好きな番組だ。殊にイスタンブール編は楽しくて様々な思いが過ぎった。

グレーテルのかまど「虹色のグミ」編もよかった。
「かまど」がグミは昔はなかったと話していたが、ゼラチンの代わり寒天を使った代用品はあった。グミのような強い弾力はないが、不思議な食感があり、私は大好きだった。それは板状に桃太郎などのキャラクターに形成され、めくりと呼ばれるクジの景品として、駄菓子屋で売られていた。私はくじ運が強く、「マーちゃんに、また一等を取られた」と駄菓子屋の女主人を嘆かせていた。早めに一等がなくなると、売れ行きに影響するからだ。

半透明ではなく細かくあわ立てて作ったマシュマロ状の淡雪に似た駄菓子もあった。私はこちらも大好きだった。
グミから派生した菓子だが、ゼリービーンズも大好きだった。米大統領のロナルド・レーガンもゼリービーンズが大好きだった。米国のは丸い形だが、私が好きなのは勾玉のように少し湾曲した形だ。今もアメ横などで売っている。
他にも陶器の玉のような硬くて甘いチャイナマーブルも大好きだった。
こちらはしゃぶっていると次々と色の層が現れ楽しかった。とても硬い砂糖菓子で、相当強く奥歯で噛んでも割れなかった。それを無理して割ると鮮やかな色の層が見えてとても綺麗だった。製法は金平糖と同じように、加熱した回転ドラムのなかで砂糖液をかけながら乾かし、完成まで2週間ほどかかる。
見た目が艶やかな純白のタイルのようなアメリカ製チューインガムも大好きだった。とても薄荷味の強いハイカラなガムで、今もふと、爽やかな香りが鼻腔に蘇ることがある。

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